第26話 領主館の謁見と忍び寄る「世界の歪み」
街の賑やかな喧騒を抜け、石畳の緩やかな坂道を登っていくと、視界が開け、白亜の美しい外壁で囲まれた巨大な館が現れた。門前には全身を白銀の鎧で包んだ重装騎士たちが整列しており、物々しい雰囲気を醸し出している。
「止まれ。何者だ」
門番の騎士が長槍を構え、威圧的な声をかける。のえるはギルドマスターから渡された羊皮紙の推薦状を差し出した。
「冒険者ギルドからの紹介だよ。領主様に呼ばれてきたんだけど」
騎士は推薦状の封ろうを確認すると、一瞬だけ驚いたようにのえるの顔を見つめ、すぐに姿勢を正して扉を開いた。
「……ギルドマスターからの連絡通りだな。お通りください。領主様がお待ちです」
館の内部は、外観以上に豪華絢爛だった。磨き上げられた大理石の床、天井から吊り下げられた巨大なシャンデリア、壁に掛けられた歴史的な絵画や高級な絨毯。
のえるは足を踏み入れながら、足音を殺して歩いた。彼女の足元はバイオ素子と緩衝機構によって、まったく足音を立てずに移動することが可能だったが、あまりに静かすぎる歩行がかえって警備の騎士たちの不気味さを誘っていた。
豪華な絨毯が敷き詰められた階段を上り、重厚な装飾が施された大扉の前に辿り着く。執事がドアをトントンと静かに叩き、声をかけた。
「領主様。グラン・シザーを討伐いたしました冒険者、のえる様一行をお連れいたしました」
「入るが良い」
奥から響いたのは、意外にも穏やかで落ち着いた、しかしいくぶん疲労の混じった男の声だった。
重い扉が開かれると、広大な謁見の間が広がっていた。部屋の奥には、豪華な椅子に腰掛けた初老の男——この地域を治める領主、ガルシア子爵が座っていた。彼の傍らには、側近と思われる魔法師の老人や、精鋭の護衛騎士たちが控えている。
のえるたちは指定された位置まで進み、立ち止まった。
「よくぞ参った、冒険者のえるよ。余がこの地を治めるガルシアである」
ガルシア領主は穏やかな笑みを浮かべ、のえるたちを見つめた。
「話はギルドマスターから聞いている。あの凶悪なグラン・シザーを、少人数で見事に討伐したそうだな。街道の安全が保たれたこと、領主として心より感謝する。街道が塞がれれば、物流が滞り、領民の生活にも深刻な影響が出るところであった」
「いえ、たまたま通りかかっただけですから。お役に立てたなら良かったです」
のえるは、事前に頭の中で予習していた「失礼のない程度な会話」を無難にこなした。あまり目立ちたくはないという意識が働き、余計な言葉は口にしない。
「うむ、謙虚なのだな。手柄を誇る冒険者が多い中、その落ち着きは感心だ。困っていたところを助けられたのだ、相応の褒美を与えねばな。ギルドマスターを通じて、追加の金貨と褒賞金を渡してある。受け取るが良い」
「ありがとうございます」
礼を言い、これで用事は終わったとばかりに胸を撫で下ろしのえるが去ろうとした、その時だった。
ガルシア領主の表情が急に陰りを帯び、ふぅと深い溜め息を漏らした。
「……そこで、だ。優秀なお前たちに、折り入って頼みたい儀があるのだ」
(……あー、きたきたきた)
のえるは心の中で盛大に天を仰いだ。異世界アニメやラノベで100回は見たような「褒美をあげた直後に次の面倒な依頼を押し付けられる」という定番の展開である。貴族の「頼みがある」が、実質的な拒否権のない命令に近いことくらい、のえるにも分かっていた。
(本当にあるあるの展開だなぁ……。まあ、話を聞くだけならタダだし、無理そうなら上手く断ろう)
のえるは表情には出さず、首を傾げて尋ねた。
「頼み、ですか? 私たちにできることならお聞きしますけど……」
ガルシア領主は肘掛けに肘をつき、痛める頭を押さえるようにして語り始めた。
「実はな……最近、グラン・シザーの件に限らず、このような原因不明の『異変』が領内で頻繁に発生しているのだ」
「異変?」
「そうだ。つい先日の報告では、ここから少し離れた古代遺跡において、封印されていたはずの『ゴーレム』が突然動き出し、周囲で暴れているらしい」
「ゴーレム……土や石で作られた魔法の自動人形ですよね? 遺跡の警備か何かじゃないんですか?」
「本来ならそうなのだ。これまでの数百年間、あの遺跡のゴーレムは内部に静かに収まっており、起動すらしていなかった。遺跡の中に足を踏み入れぬ限り、人を襲うことなど決してなかったのだ。それが……理由もなく突如として暴走し、遺跡の外へと飛び出し、近隣の村や街道にまで被害を及ぼし始めている」
ガルシア領主の言葉を受け、傍らに控えていた魔法師の老人が一歩前に出て、付け加えた。
「魔法協会の観測によれば、遺跡周辺の『マナ(魔力)の循環』が著しく乱れております。まるで、世界の根幹を成す不可視の理……大気の底に流れる魔力の地脈そのものが歪み、狂い生じているかのように……」
領主は重々しく頷き、どこか遠くを見るような眼差しで呟いた。
「……もしかしたら、世界のバランスそのものが崩れ始めているのかも知れん。古代の伝承にある『歪みの兆候』のように……いや、すまん。ただの老人の杞憂だな。なんでもない」
領主は首を振り、自身の言葉を打ち消すように苦笑いを浮かべた。しかし、その何気ない一言は、のえるの胸に突き刺さった。
(世界のバランス……? 世界の歪み……?)
のえるの頭の中で、記憶の断片が激しく明滅した。
彼女が目覚めたのは、2036年、南極にあるアメリカ基地の廃墟だった。そこでバイオプラントから目覚め、強化人間としての身体を得た。そして、その基地の最深部に存在していた謎の「異世界ゲート」を通って、このファンタジーのような裏世界へとやってきたのだ。
もし、表世界(地球)と裏世界(この異世界)を繋ぐゲートが開いたことによって、二つの世界の間に干渉が起きているとしたら?
あるいは、表世界のテクノロジーや高エネルギー、次元の亀裂が、この世界の「マナ」や古代の遺物に悪影響を与えているとしたら……?
『マスター、推論を送信します。表世界と裏世界を繋ぐ次元孔の存在が、局所的な空間歪曲および魔力濃度の不均一を引き起こしている可能性:68.4%。ゴーレムの活性化現象と次元歪曲の関連性は否定できません』
脳内のAI回路が、のえるの思考を裏付けるような推測データを弾き出す。
(やっぱり、ただの偶然じゃないかもしれない。私たちがこの世界に来たこと、あるいはあのゲートが存在すること自体が、この世界の『世界のバランス』を壊しかけているんだとしたら……知らん顔して無視するわけにはいかないよね)
単なる面倒事だと思って逃げ出そうとしていたのえるの心に、小さな責任感と好奇心が芽生えた。もしゴーレム暴走の原因が地球側の影響やゲートに関係しているなら、それを調べることは、のえる自身がこれからこの世界でどう生きていくかを知る手がかりになるかもしれない。
のえるは息を一つ吐き出し、ガルシア領主をしっかりと見つめ返した。
「……分かりました。そのゴーレムが出ている遺跡、ちょっと見てきます」
ガルシア領主の顔に、ぱっと明るい驚きが広がった。
「おお……! 引き受けてくれるか! 頑強なゴーレム相手では、通常の兵士では歯が立たず困り果てていたのだ。引き受けてくれるなら、これ以上の力強さはない!」
「ただし、無理はしませんよ。まずは現地の状況調査と、暴れているゴーレムの排除を中心に動きます。何か深い原因が分かったら報告しますね」
「充分だ! 必要な物資や手配があれば、ギルドを通じてすべて余が負担しよう。頼んだぞ、のえる!」
領主館の重厚な扉を後にしたのえるは、澄み渡る秋の風を浴びながら、深呼吸をした。
「ゴーレム、か……。ファンタジーの定番だけど、機械生命体みたいな私の体と、どっちが頑丈か試してみるのも悪くないかもね」
のえるは拳をキュッと握り締め、新たな目的地である古代遺跡の方角へと視線を向けた。世界の影で進行する「異変」の真相を確かめるため、彼女の新たな戦いが始まろうとしていた。




