第25話 ギルドマスターの呼び出しと集会所の喧騒
暗く不気味な森林の奥深くで繰り広げられた、あの凶悪な魔物「グラン・シザー」との死闘から一夜が明けた。
朝日が街の石畳を赤く染める中、のえるたちは冒険者ギルドの重厚な木造建築の中へと足を踏み入れていた。朝のギルド内は、仕事を探す泥臭い冒険者たちや、夜勤明けで酒を煽るならず者たちの大声で充満しており、肉や安酒、汗と革の匂いが混ざり合った独特の熱気に満ちている。
「おい、見たか……? あの娘たちだろ、グラン・シザーを仕留めたっていうのは……」
「嘘だろ、あんな華奢な女の子が? グラン・シザーつったら、ベテランのCランクパーティですら返り討ちにあう悪夢のようなバケモノだぞ」
「でも、買取所に持ち込まれたあの巨大な大鋏と甲殻、本物だったぜ。受付のドワーフのおっさんが目を丸くして震えてたんだから間違いない」
すれ違う冒険者たちが、ひそひそと囁き合いながら視線を送ってくる。
のえるは視線を正面に向けたまま、それらの視線を軽やかに受け流していた。見た目は可憐な17歳の少女そのものであるが、彼女の皮膚の下に宿るのはバイオ素子で再構築された筋肉と、脳内に埋め込まれた高度なAI回路である。人々の視線や体温、心拍数の変化すらも、彼女の視界に展開されるAR表示によって冷静にデータ化され、分析されていた。
『マスター、ギルド内部の生体反応および音声を解析。注視率87%。好意よりも警戒と驚愕の比率が高く推移しています』
脳内で、AI回路の機械的でありながらどこか親しみを感じさせる静かな声が響く。転生前の世界で遊んでいたゲームのナビゲーションAIを思わせるそのサポートに、のえるは意識の中で短く答えた。
(まあ、そりゃそうでしょうね。こんな格好した女の子が巨大なハサミ虫の化け物を倒してきたって言うんだから。目立たないように行動したいのに、なかなかうまくいかないわね)
ギルドの最奥、頑丈なオーク材で作られた重厚なドアの前に到着すると、のえるは一呼吸置いてからノックをした。
「入れ」
重厚な低音が室内から響き、扉を開けると、巨大な机の向こうにドシリと腰を下ろしたギルドマスター——全身に数々の傷痕を持つ巨漢のベテラン冒険者、ヴァルガスが煙草の煙をくゆらせていた。
「よく来たな、のえる。そして仲間たちも」
ヴァルガスは深く煙を吐き出すと、組んでいた手を解き、前傾姿勢になってのえるを鋭い眼光で見つめた。
「まずは、グラン・シザー討伐の件……誠にご苦労だった。正直に言えば、お前たちが無事に戻ってきたこと自体が驚きだが、あの巨獣の首を完全に落として持ち帰ってくるとはな」
「別に、大したことじゃないよ。ちょっと手こずったけどね」
のえるは肩をすくめ、軽めのトーンで返した。しかしヴァルガスの表情は険しいままだ。
「大したことではない、か。グラン・シザーはこの近郊の生態系における最上位の捕食者だ。本来ならあんな人里に近い街道近くに現れるような魔物じゃない。あんな化け物は今までこの地域にはいなかったんだ。だが……実はここ最近、森の奥深くで不穏な噂や異変の報告が相次いでいてな。ギルドとしても近いうちに調査隊を編成して派遣しようと考えていた矢先だったんだ。お前たちが討伐してくれなかったら、今頃どれだけの行商や村人が犠牲になっていたか分からん。本当に助かった、感謝する」
そう言うと、ヴァルガスは頭を深く下げた。その威厳ある態度に、周りにいたギルドのスタッフたちも驚きの表情を浮かべる。
「いいってば、そんなにかしこまられると調子狂うよ」
「いや、礼は正当に支払われるべきだ。ギルドの規約に基づき、グラン・シザー討伐の特別報酬を出す。それと……お前たちの実績を考慮し、冒険者ランクを『Dランク』へと昇格させる」
「Dランク……! いきなり上がったね」
「当然だ。本来ならCランク相当の功績だが、お前たちは登録したばかりだからな。段階を踏む必要がある。だが、これで受けられる依頼の幅も大きく広がるはずだ」
ヴァルガスは革袋に入ったぎっしりと重みのある金貨の袋をデスクの上に置いた。金属が触れ合う重厚な音が室内に響く。のえるがそれを受け取ろうと手を伸ばしたとき、ヴァルガスはふと表情を曇らせ、言葉を付け加えた。
「……それとな、のえる。実はもう一つ、話がある。というか、こちらが本題と言ってもいい」
「本題?」
「ああ。今回のグラン・シザー討伐の件、すでに街を治める領主様のお耳にも届いていてな。領主様自ら『その優秀な冒険者たちに直接礼を述べたい、館へ招待せよ』との召喚がかかっているんだ」
その言葉を聞いた瞬間、のえるの眉がわずかに跳ね上がった。
(領主……ってことは、貴族様か)
のえるは心の中で深くため息をついた。かつて表世界(地球)で生きていた頃の記憶や、異世界ものの物語の知識が脳裏をよぎる。貴族や領主といった特権階級との関わりは、大抵ろくなことにならない。権力闘争に巻き込まれるか、無理難題を押し付けられるか、あるいはその異質な存在(のえるの身体や異質な能力)に興味を持たれて実験台にされるかだ。
「……領主の館、ねぇ。あんまりそういう偉い人と関わるのって、面倒事に巻き込まれそうで乗り気がしないんだけど」
「お前の気持ちもわかる」
とヴァルガスは苦笑した。
「だがな、この街で冒険者として活動していく以上、領主の呼び出しを無下に断ることはできんのだ。下手に拒否すればギルド全体の立場も悪くなるし、最悪の場合、お前たちがこの街から追放される可能性だってある。……すまんが、顔を出すだけでいい。挨拶をして礼を受け取ってくればそれで終わるはずだ」
ギルドマスターの切実な眼差しを受け、のえるは諦めたように肩を落とした。
『マスター、周辺状況から判断して、領主との接触を回避した場合の社会的リスクは高めに算出されます。短時間の面会に応じ、無難な対応に終始することを推奨します』
(わかってるわよ。仕方ない、パパッと挨拶だけ済ませて帰ってこよう)
「わかったよ。行けばいいんでしょ、行けば」
「助かる。領主の館へはギルドの推薦状を持たせる。無礼のないようにな」
こうして、のえるたちは気重な足取りで、ギルドの建物を後にし、街の中央の高台にそびえ立つ領主の館へと向かうこととなったのだった。




