第24話 奪われた光と残された後味
アルトたちは全身泥まみれになり、恐怖で顔を極限まで引きつらせて逃げてきていた。少年弓手のルークは途中で足を滑らせて転倒し、少女魔導士のミナは涙を流しながら彼を引っ張り起こそうとしている。
「アルト! どうしたの!?」
のえるが叫びながら駆け寄る。アルトはこちらに気づくと、絶望に満ちた声を張り上げた。
「に、逃げろのえる! 森の奥に……異常個体が……! 薬草を採ってたら、突然現れて……!」
アルトたちの背後の樹木が、まるで紙屑のように豪快に薙ぎ払われた。
そこから姿を現したのは、全身に禍々しい赤黒い甲殻を纏い、巨大な鎌のような両腕を持った、体長四メートルを超える凶悪な魔獣『カマキリ型変異種』だった。
「なっ……なんでこんな初心者エリアに、あんな大型の魔物が……!?」
のえるは瞬時に武器を構えようとした。
「みんな、私の後ろに——」
だが、事態はのえるの思考速度すら超えて動いた。
パニック状態に陥っていた少女魔導士のミナが、足をもつれさせてその場にへたり込んでしまったのだ。
「ミナっ! 危ない!!」
少年剣士アルトが、咄嗟に叫んで彼女の前へ飛び出した。
仲間を守ろうとした、勇敢で、そしてあまりにも無謀な一歩。
次の瞬間——。
シュッと、空気を切り裂く不快な断裁音が響いた。
巨大魔獣の鎌のような巨大な腕が、死角から目にも留まらぬ速度で振り下ろされたのだ。
「……え?」
のえるの視界が、まるでスローモーションのように引き引き延ばされた。
アルトの胸から上が、一瞬にして斜めにズレた。
噴き出す鮮血。驚愕に目を見開いたままのアルトの顔。
ドサリ。
直前まで未来への希望に満ち溢れ、楽しそうに笑っていた少年剣士の身体が、二つに分かれて冷たい土の上に転がり落ちた。
「……あ……あぁ……」
少女魔導士ミナの、狂気じみた悲鳴が森にこだました。
「アルトぉぉぉぉぉぉっ!!」
のえるの思考が、真っ白にフリーズした。
(嘘……だろ……?)
目の前で散った血飛沫。転がる肉片。
その光景が、かつて表世界のプラントで、自分の目の前で命を落としたヴァイスの残骸の記憶と強くオーバーラップした。
『自分の油断だ』
『自分の軽率なミスが、他人を巻き込んで死へ追いやった』
圧倒的な罪悪感と、胸を押し潰すような激痛がのえるの心を支配する。
「また……守れなかった……!」
「のえる! 持ちこたえろ! まだ戦闘中だ!!」
ダリアの鋭い叫び声がのえるの意識を強引に現実へと引き戻した。ダリアはすでに長弓を構え、魔導の矢を討伐対象の目に撃ち込んで距離を取らせている。
「のえる! 気をしっかり持って!」
ロザリスも翼を隠した無力な状態でありながら、命がけでミナとルークを庇うように立ちふさがっていた。
のえるの瞳に、激しい怒りと深い絶望が混ざり合った青い火花が宿った。
(私に……何の罪もない若者を、目の前で殺させたのか……!? このふざけた世界が……!!)
「許さない……絶対に……許さない!!」
のえるは背中から長槍を引き抜き、最大まで伸長させた。
体内の魔術回路がオーバーヒート寸前まで励起され、全身から激しい青紫色の魔力が吹き出す。
(——【魔力付与】! 貫通力限界突破!)
(——【念動力】! 身体加速、慣性無視!)
のえるの身体が、疾風となって地を蹴った。
ギャアァァァオオン!!
返り血を浴びて咆哮する巨大魔獣に向かって、のえるは直線的に突進。魔獣が振り下ろした第二の鎌を、念動力による空中跳躍でギリギリの紙一重でかわす。
「死ねぇぇぇぇっ!!」
頭上から振り下ろされたのえるの長槍が、魔獣の頭部に突き刺さった。
ドカァァァァン!!
魔力爆発が内部で弾け、巨大魔獣の頭部が内側から吹き飛ぶ。巨体は激しく痙攣した後、ドスンと大音響を立てて沈黙した。
静寂が、再び森を支配する。
血と硝煙の匂いの中、のえるは力なく槍を収めた。
足元には、二度と動かない少年アルトの遺体と、その傍らで泣き叫び続ける二人の仲間たち。
今回、のえるには何の落ち度もなかった。
突発的に遭遇した異常個体。パニックになった初心者の不意打ちによる死。のえるたちがどれほど最善を尽くしても、防ぐことのできない不可抗力の惨劇だった。
だが——。
「……っ……う……」
のえるはその場に膝をつき、激しい吐き気に襲われた。
自分は悪くない。誰も自分を責めはしない。
それでも、目と鼻の先で、ついさっきまで笑顔で会話していた若者の命が呆気なく潰される瞬間を見せつけられた後味の悪さは、のえるの胸を重く苛んだ。
画面の向こう側のゲームなら、やり直し(コンティニュー)がきく。
だが、ここは現実だ。一度失われた命は、二度と戻らない。
「のえる……」
ロザリスが静かに駆け寄り、膝をつくのえるの肩を優しく抱きしめた。言葉にならない温もりが、冷え切ったのえるの心をかすかに温める。
「辛かったな、のえる。……だが、君がトドメを刺さなければ、残る二人も確実に死んでいた。君は二人を救ったのだ」
ダリアが静かな声で言った。
のえる達はアルトの遺体を静かに回収し、絶望に暮れる二人を支えながら、街へと戻った。
冒険者ギルドに到着し、事の顛末と討伐した巨大魔獣の部位を報告すると、ギルド内は騒然となった。
「な……『グラン・シザー』だと!? あれは最近、隣の領域から流れてきて、近郊の冒険者に被害を出していた危険な異常個体だぞ……! まさか、新人の君たちがそれを倒したというのか!?」
ギルドマスターをはじめとする職員たちは、被害を食い止めたのえるたちに深く感謝し、破格の懸賞金と討伐報酬を提示してきた。周囲の冒険者たちからも、称賛と驚愕の視線が向けられる。
「すごいぞ新人!」「街の英雄だな!」
だが、その称賛の嵐も、のえるの耳には遠くの雑音のようにしか聞こえなかった。
受け取った重たい金貨の袋。
感謝の言葉を述べながらも、仲間を失った絶望に目を虚ろにさせて去っていく二人の生存者の背中。
「……街を救ったってのに、ちっとも嬉しくないな」
ギルドを出た後、街の夕暮れの空を見上げながら、のえるはぽつりと呟いた。
「のえる……」
ロザリスが心配そうにのえるの手を握りしめる。
「いいんだ、ロザリス。これが……この世界の現実なんだね。理不尽で、残酷で……でも、だからこそ」
のえるは握りしめられたロザリスの手を強く握り返し、そして隣に立つダリアの顔を見つめた。
「だからこそ……私は、私たちが生き残るために、そして大事な仲間を守るために、もっと強くならなきゃいけないんだ」
かつてヴァイスを失い、そして今日、目の前で若者の死を見届けた。
その消えない傷痕と重い後味を胸に刻み込みながらも、のえるの瞳には途絶えることのない決意の光が宿っていた。
陽が落ち、街に明かりが灯り始める。
美しくも残酷な異世界で、三人の少女たちが踏み出した冒険の旅は、まだ始まったばかりだった——。
(第2話・完)




