第22話 南緯の風と偽りの羽
青い空と果てしない地平線が交わる境界を、三つの影が南へと向かって進んでいた。
かつて北極や南極といった極地に刻まれていた世界の輪郭は、この裏世界においては全く異なる相貌を見せていた。冷たく閉ざされた氷原を抜けた先に広がっていたのは、緑豊かな山脈と、どこまでも続く平原である。徒歩での長旅ではあったが、バイオ素子体として再構築されたのえるの肉体は疲労を知らず、元騎士団長として鍛え上げられたダリアも静かな足取りでついてくる。
「ねえ、のえる。あの山の向こうに大きな煙が見えるよ」
のえるの隣を歩くロザリスが、遠くの地平線を指さした。
その背中で、陽光を反射して輝いていた真っ白な翼と竜の尻尾が、ふわりと淡い光の粒となって揺らめく。
これから足を踏み入れるのは、陸続きで南アメリカ大陸へと繋がる地域に位置する、この地方最大級の交易都市だった。人間に混じって多種多様な異種族が行き交う街とはいえ、天翼族と竜人族のハーフという極めて珍しいロザリスの姿は、街中では嫌でも目立ってしまう。
「ロザリス、街に入る前に例の『術』をお願いできるかい?」
「うん、分かったよ!」
ロザリスが胸の前で小さく手を組むと、彼女の背中に生えていた美しく巨大な翼と、腰から伸びるしなやかな尾が、まるで水面に落ちた波紋のように透明になり、すうっと空気の中に溶けて消えていった。
「うーん……やっぱりこれ、ちょっと変な感じがするなぁ」
翼を消したロザリスは、自分の背中を手でさわりながら苦笑いを浮かべた。
「見た目は完全に普通の人間(少女)だけど、使い心地はどうなんだい?」
のえるが尋ねると、ロザリスは少し困ったように眉を下げた。
「うん。翼は見えなくなってるだけじゃなくて、体の中にキュッと仕舞い込んでいる状態なの。だからね……翼が魔力の循環器官になっている私にとって、これをやってる間は体内の魔力が完全に止まっちゃうんだ。つまり、魔法が一切使えなくなっちゃうの」
「なるほど……魔法の源泉を封印して姿を隠してる状態か。街の中では安全第一だけど、万が一の戦闘のときは気をつけてあげないとね」
「私に任せておくといい」
後ろから歩いてきたダリアが、腰の長弓を軽く叩いてニヤリと笑った。ダークエルフ特有のしなやかな身のこなしと、長年修羅場をくぐり抜けてきた鋭い気配。彼女は自身の騎士としての過去を捨て、ただの「死んだ冒険者」として同行してくれているのだった。
「さて、それじゃあ行こうか。憧れの『ファンタジーの街』へ!」
のえるが胸を高鳴らせながら坂道を駆け上がると、目の前に壮大な景色が飛び込んできた。
視界いっぱいに広がっていたのは、巨大な石造りの外壁に囲まれた白亜の都市だった。幾重にも重なる赤い瓦屋根、行き交う馬車、賑やかな露店の声、そして人々の活気。過去に画面の向こう側のゲームやアニメでしか見たことのなかった「ファンタジー世界の大都市」そのものの光景が、圧倒的な現実感をもってのえるの視界を打ち叩いた。
「うわぁ……本当に大きな街だね……!」
ロザリスが目を輝かせる。三人は警備の兵士が立つ開かれた大門をくぐり、街の中へと足を踏み入れた。
最初に目指したのは、街の中心部に鎮座する重厚な建造物——「冒険者ギルド」の支部と、それに併設された素材買取所だった。
「いらっしゃい。ここは冒険者ギルドの買取所だ。今日は何の持ち込みかい?」
受付の厳めしいドワーフの男が、愛想なく問いかけてくる。
のえるはニヤリと笑うと、事前にロザリスたちの協力を得て麻袋に詰め込んでおいた「素材」を、ドカンとカウンターの上に叩きつけた。
「これの買取をお願いしたいんだけど」
ドワーフは不機嫌そうに袋の紐を解き、中身を覗き込んだ。その瞬間、彼の太い眉が跳ね上がり、目が飛び出さんばかりに見開かれた。
「な……なんじゃこりゃあっ!? こ、これは……地竜の最上級の甲殻に、状態のいい角と爪じゃねえか!!」
「そうね。洞窟にいた地竜を倒して剥ぎ取ってきたものだよ」
のえるが平然と言い放つと、買取所の周りにいた他の冒険者たちが一斉にざわめき立った。地竜といえば、一小隊の騎士団すら壊滅させるほどの脅威とされる凶暴な魔物だ。それを、こんな華奢な少女たちが持ち込んできたのだから無理もない。
「おいおいマジかよ……」「あんな若い娘たちが地竜を……?」「おい、あの黒い髪の娘、ただ者じゃねえぞ……」
周囲の驚愕の視線を背に受けながら、のえるは提示された莫大な額の金貨を受け取った。一瞬にして、しばらくの生活には困らないほどの路金が手に入ったのだった。
「よし、お金も入ったことだし、まずは装備の整え直しだね!」
三人は買取所を後にし、街の武具店や衣料品店が立ち並ぶ大通りへと向かった。
まず取りかかったのは、のえるの服装の刷新だった。これまでは米軍基地から拝借した迷彩服を着ていたが、この世界ではあまりにも異質すぎて目立ってしまう。
「のえる、この服なんてどうかな? すごく似合いそう!」
ロザリスが選んでくれたのは、頑丈な革のチェストプロテクターに、動きやすい濃紺のファブリックを合わせた、いかにも「駆け出しの冒険者」らしいスタイリッシュな衣装だった。17歳相当の美少女であるのえるの小柄で引き締まった体躯にぴったりとフィットし、機能性と可愛らしさが両立している。
「うん、すごく動きやすいや。ありがとうロザリス!」
続いて行われたのは、戦闘スタイルの模索だった。
以前、ダリアから長剣を借りて使ってみたことがあったのだが、どうにもしっくりこなかったのだ。剣のリーチ感や、刃で斬りつける独特の感触が、過去のサバゲーや近代火器の扱いに慣れたのえるの身体感覚と噛み合わなかったのである。
「剣はどうも性に合わないみたいなんだよね。間合いが近すぎるというか、振りの軌道がイメージしにくくて」
「なるほどな。剣は間合いの詰め方と刃筋の通し方が命だからな。……ならば、槍はどうだ?」
ダリアの提案を受け、武具店で一本の槍を手に取ってみた。
「槍……か。突く動作は直感的だし、間合いも保てる。……よし、これを『改造』してみよう」
のえるは店で購入した長槍を手に取ると、裏路地へ入り、自身の得意とする『錬金術』と『魔力付与』を発動させた。過去のDIY知識と脳内AIの構造計算を組み合わせ、槍の柄の内部に精密なスライド・ロック機構を組み込んでいく。
カチッ、カチッ。
「できた……! 『折り畳み式の長槍』だ!」
普段は短く縮めて背中に固定でき、戦闘時にはワンタッチで柄が伸長して間合いを確保できる特注品。さらに、至近距離に潜り込まれた際の緊急回避用として、切れ味の鋭い小ぶりのダガー(短剣)も購入し、腰のベルトに装着した。
こうして、のえるの装備は「折り畳み式ボウガン(遠距離)」「折り畳み式長槍(中距離)」「ダガー(近距離)」という、スキのない三段構えの近・中・遠対応スタイルとして完成したのだった。
「ふふっ、バッチリ決まったね。……それじゃあ、いよいよ本番だ!」
装いも新たに、のえるたちはついに冒険者ギルドの正門をくぐり、冒険者としての正式登録を行うべく、熱気あふれるギルドホールへと進み出た。




