第19話 血煙の訪れと暗黒の騎士
のえるとロザリスが森の拠点として整えた小高い丘の広場には、今日も穏やかな風が吹き抜けていた。
鳥たちのさえずり、川のせせらぎ、そして時折弾ける焚き火の音。
錬金術の試作で出来上がった鋼鉄の小さな部品を並べ、脳内AIの計算結果を検証していたのえるは、ふと作業の手を止めて空を見上げた。17歳ほどの少女として再構築されたバイオ素子体の肉体は、過酷なサバイバル生活を経てもなお、みずみずしいしなやかさと驚異的なスタミナを保っている。
「のえる、お魚の塩焼き、とっても上手に焼けたよ!」
ロザリスが真っ白な羽を嬉しそうにパタパタさせながら、木の串に刺さった魚を掲げてみせる。天翼族と竜人族のハーフという神秘的な生い立ちを持ちながら、その無邪気で無防備な笑顔はどこまでも可憐だった。56歳という実年齢を互いに知ってからは、変な気負いもなくなり、二人の間には心地よい信頼関係が築かれていた。
「ありがとう、ロザリス。本当に料理の腕が上がったね」
のえるが微笑みながら焼き魚を受け取ろうとした、その瞬間だった。
——ザザッ!
遠くの藪が激しく薙ぎ払われる音が響いた。
小鳥たちが一斉に飛び立ち、森の静寂が引きちぎられる。
「……ッ! ロザリス、下がって!」
のえるは瞬時に警戒姿勢をとった。脳内AIが即座に感覚を研ぎ澄まし、周囲の音響データと風下の匂いを解析する。
焦げ付いた鉄の匂い、そして濃密な生血の匂い。
引き裂かれた草むらから転がり出してきたのは、一人の人物だった。
「ハッ……ガハッ……! ぐっ……!」
重厚な黒銀の鎧を纏ったその身体は、ズタズタに引き裂かれていた。甲殻のような鋭利な爪で引き裂かれた痕跡からは鮮血が滴り落ち、胸当ては半分押し潰されている。
のえるとロザリスの足元へ倒れ込んだのは、褐色の肌と洗練された長い耳を持つ美しい女性——ダークエルフだった。
「ダークエルフ……!? 」
(やっぱりここはファンタジー世界だな。ダークエルフくらいはいるよな)
「騎士の鎧を着てる……?」
「のえる、大変! すごい怪我だよ……! 心臓の音が小さくなってる!」
ロザリスが顔を蒼白にして駆け寄る。
倒れたダークエルフの女性は、虚ろな瞳で二人を見上げ、血の混じった唾を吐き出しながら途切れ途切れに声を絞り出した。
「に、逃げ……ろ……。あいつは……化け物だ……。我が騎士団は……全滅……した……。私……だけが……」
「騎士団が全滅……!?」
ダリアと名乗るその女性の言葉を最後に、彼女の意識はぷつりと途切れた。
「ダメ、このままだと死んじゃう! のえる、身体を押さえてて!」
ロザリスは迷わず両手を広げた。背中の白い翼がまばゆいばかりの聖なる光を放ち、周囲の空気に圧倒的な魔力が満ちていく。
『——光よ、万物を育む癒やしの威光よ。傷つきし命に、再生の祝福を! 【セイント・リジェネレーション】!』
ロザリスの手のひらから溢れ出た温かな光の濁流が、ダリアの全身を包み込んだ。
ザクザクと音を立てて、引き裂かれた漆黒の皮膚が繋がり、潰れた肋骨が内部から修復されていく。天翼族の光の力と竜族の圧倒的な生命力を併せ持つロザリスの回復魔法は、まさに神業の域だった。
数分後、光が収まると、ダリアの荒かった呼吸は静かな寝息へと変わっていた。
「ふぅ……よかった。命に別条はないよ」
額の汗を拭うロザリス。のえるは安堵の息をつきつつも、ダリアの鎧に刻まれた凄惨な爪痕と、そこに付着していた紫色の体液を見つめていた。
「……単なる野良の野獣の仕業じゃないな。鉄の鎧を豆腐みたいに引き裂く爪、それに重厚な圧殺痕……」
それから数時間後。夕闇が森を包み込む頃、ダリアはゆっくりと目を覚ました。
「ん……くっ……ここは……? 私は……死んだのでは……」
「気がついた? 良かった、ロザリスの回復魔法が間に合ったんだよ」
のえるが差し出した水筒を、ダリアは困惑しながら受け取り、喉を鳴らして飲み干した。
正気を取り戻した彼女は、自らの身体に傷一つ残っていないことに目を見開き、そして目の前にいる天使の羽を持つ少女と、迷彩服を着た妙な雰囲気の美少女を交互に見つめた。
「私の名はダリア……近隣の領地に仕える騎士団長だ。助けてくれたのは……君たちか。心から感謝する。だが……なぜ私を助けた? ダークエルフの私を……」
ダリアの言葉には、どこか自虐的な響きが含まれていた。
のえるは過去の知識やこれまでの探索で知っていた。この世界ではエルフ族とダークエルフ族の間に深い溝があり、ダークエルフは不当な迫害を受け、多くが日陰の道を歩まされていることを。ダリアは周囲の反対を押し切って冒険者となり、その卓越した剣の腕で騎士団長にまで上り詰めた苦労人だったのだ。
「種族なんて関係ないよ。倒れてる人がいたら助ける、それだけさ」
のえるが軽やかに言うと、ダリアは数秒間呆然とした後、目元を緩めて小さく笑った。
「……フッ、変わったお嬢さんだな。……いや、今はそんなことを言っている場合ではない。二人とも、今すぐこの森を離れろ。近隣の山脈の洞窟に潜んでいた『魔物』の討伐に向かったのだが……我が部隊は全滅した。私が唯一の生き残りだ」
「どんな魔物だったの……?」
ロザリスの問いに、ダリアは苦々しい顔で拳を握りしめた。
「『地竜』だ。翼を持たぬが故に空は飛ばん。だが、その巨躯と岩石をも凌ぐ漆黒の甲殻、そして全てを噛み砕く顎は悪夢そのものだ。剣も槍も弾かれ、魔法も満足に通用しなかった……。洞窟の奥には、今も我が部下たちの遺体が転がっている……!」
ダリアの瞳から悔し涙がこぼれ落ちる。
仲間を失った絶望と、何も出来ずに逃げ延びてしまった自分への苛立ち。
のえるは静かにダリアの肩に手を置いた。そして、ロザリスと視線を交わす。
「地竜、か……。放置しておけば、いずれこの森にも下りてくるかもしれないね」
「うん……それに、ダリアさんの仲間たちのこともそのままにはしておけないよ」
のえるは腰のホルスターと、背中に背負ったアサルトライフルの感触を確かめた。
脳内AIが即座に戦闘シミュレーションを開始し、錬成した5.56mm弾薬の残弾数を表示する。
「ダリアさん。立ち上がれるかい?」
「え……? ああ、傷は完全に癒えているが……何をするつもりだ?」
のえるは不敵な笑みを浮かべて言った。
「どうせだしさ——その地竜、討伐に行こうか」
「なにを言ってるんだ?」
のえるはここぞとばかりに、あのセリフを言った
「Let's go Hunting!」




