第16話 境界の出会い
眩い光の奔流が通り過ぎた後、足元に伝わってきたのは湿った土と豊かな草の感触だった。
「……はぁ、ふぅ……」
息を吐き出しながら、のえるは己の感覚を確かめるように掌を開閉させた。
南極のアメリカ基地、凍てつくバイオプラントのカプセルから目覚め、死んだヴァイスの教訓を胸に刻んで飛び込んだ異世界ゲートの先。そこに待っていたのは、極寒の氷原ではなく、見渡す限りの青々とした木々と、温かな陽光が差し込む神秘的な森林地帯だった。
「ここが……『異世界』……」
言葉を漏らすと同時に、脳内に埋め込まれたAI回路が素早く起動し、周囲の環境データを分析していく。気温、湿度、大気成分、どれをとっても人間が活動するのに最適な環境だった。17歳ほどの少女の姿へと再構築されたバイオの肉体は、長時間の活動にもほとんどの疲労を見せない。
だが、感傷に浸る時間は長くは続かなかった。
ササッ、と草木を掻き分けるかすかな音が背後から響く。
のえるが素早く振り返ると、そこに一人の『少女』が立っていた。
「……!?」
のえるは思わず息を呑んだ。
そこにいたのは、人間離れした神秘的な美しさを持つ存在だった。
可憐な顔立ち、透き通るような肌、そして何より特徴的なのは、その背中に生えた真っ白な美しい羽と、腰から伸びるしなやかな竜の尻尾だった。天使と竜——対極にあるはずの二つの存在が融合したかのような異形にして神聖な姿。
少女はこちらを警戒するように大きな瞳を瞬かせる。
「……私の名前は、のえる。異世界の美少女さん」
恐る恐る声をかけることにした。おそらく敵意はないだろう。むしろあってたまるものか。
『……Who are you? Where did you come from……?』
「……え?」
のえるの耳に届いたのは、どこか聞き覚えのある音響だった。
脳内のAI回路が即座に言語パターンを解析し、視界の隅にリアルタイムで翻訳テキストを展開する。
『——言語認識:英語体系(地域固有の特異なアクセントおよび方言的音調変化を検知)——』
「英語……? しかも、なんか独特な訛りがある……?」
のえるは驚きを隠せなかった。
表世界(地球)からゲートをくぐってたどり着いた異世界の住人が、まさか英語をベースにした言語を話しているとは想像もしていなかったからだ。
(なるほど……異世界とは言ってもここは裏世界、表世界とどこかで地続きだったり、歴史的に交わっていたりするってこともありえるか。まったく別の未知の言語を一から解読するハメにならなくて助かったよ)
のえるは脳内AIの翻訳補助機能をフル活用し、ぎこちなく口を開いた。
「あー……私はのえる。危ない者じゃないよ。ちょっと……遠いところから迷い込んじゃって」
『のえる……? あなた、変わった服を着ているのね。それに、魔力の気配がすごく不思議……』
少女は首をかしげながら、のえるが着用している米軍兵士から拝借した迷彩服と、彼女自身から醸し出される独特の雰囲気を観察していた。害意がないと悟ったのか、少女の肩からすっと力が抜ける。
『私はロザリス。ロザリス・ドラゴニアって言うの』
「ロザリス……良い名前だね。ねえ、ロザリスはその背中の羽と尻尾……もしかして異種族なのかな?」
ロザリスは自分の背中の羽を少し気恥ずかしそうにすぼめながら、小さく頷いた。
『うん。私の父親は竜人族で、母親は天翼族……天使の種族だったの。だから、私はそのふたつの血を引いたハーフなんだよ』
「天翼族と竜人族のハーフ……すごい組み合わせだな」
ロザリスの言葉に嘘偽りがないことは、その純粋で濁りのない瞳を見ればわかった。
言葉を交わしていくうちに判明したのは、彼女がこの深い森の中でほとんど一人で暮らしてきたということだった。
「ご両親は……?」
『……もう、ずっと前にいなくなっちゃった。二人ともお空に還ったの。だから、私はここでずっと一人で過ごしてるんだ』
寂しそうに微笑むロザリス。その口ぶりや仕草からは、世間の泥臭さや世俗の知識がまったく感じられない。まるで外界から隔離された箱庭で育ったかのように純粋で、世間知らずな雰囲気を纏っていた。
「一人で……そうだったんだ。あ、ちなみに差し支えなければ聞きたいんだけど、ロザリスって今、何歳なの?」
唐突な質問だったかもしれないが、異世界人の年齢感覚を知っておきたかったのえるは素直に尋ねてみた。天翼族や竜人族といった長寿種族の血を引いているなら、見た目と実年齢は違うかもしれない。
ロザリスは少し指を折って数えるような仕草をした後、無邪気に答えた。
『ええとね、確か……56歳になったと思う!』
「ご、ごじゅうろく歳……!?」
のえるは思わず素の声を上げた。
見た目はどう見ても10代半ばから後半の少女にしか見えない。さすがは異種族、成長速度や寿命のスケールが人間とは根本的に異なるらしい。
だが、その数字を聞いた瞬間、のえるの頭の中でカチリと計算が組み上がった。
(ちょっと待てよ……?)
のえるの元々の記憶——過去に生きていた年数、そしてバイオプラントで改造され、カプセルの液体の中で意識もなく眠り続けていた期間。
それらの年数を脳内AIに計算させ、全てを合計してみると——。
「……おや?」
思わず漏れ出た呟きに、ロザリスが不思議そうに首をかしげる。
『どうしたの、のえる?』
「いや……なんでもない。ただね、眠っていた期間とか、色々な『過去の諸事情』を含めて計算すると……どうやら私とロザリス、奇跡的に同い年っぽいんだよね」
『えっ!? のえるも56歳なの!? 人間(に見える)のに!?』
「まあ……人間の普通の生き方とはちょっと違うルートを辿ってきたからさ」
のえるは苦笑いを浮かべた。
肉体は17歳の美少女バイオ素子体、精神や経過した時間の合計は56歳。見た目は美少女同士、中身は56歳同士という何とも奇妙な友情の芽生えだった。
世間知らずで世俗の毒に染まっていないロザリスと、過去の社畜経験や過酷な実験体生活を経てどこか達観したのえる。
二人の奇妙で温かな交流が、この深緑の森の中から始まろうとしていた。




