第14話 最後の試練と代償
ピキィィィィィン……!
のえるの脳内AI回路が、コンマ一秒の何千分の一という速度で「絶対的死の危険」を検知し、網膜に真っ赤な警告信号を叩きつけた。
——『緊急警告:背後至近距離にて、超高出力指向性熱線の励起を検知。回避不可能です』——
「……え?」
のえるの思考がフリーズする。
背後から押し寄せる、太陽の表面のような強烈な熱気。沈黙したはずのロボットの胸部の奥深く、溶け残っていた高出力ジェネレーターが、機体内の全エネルギーを限界を超えて一点に凝縮し、死に際の超高出力・指向性熱線として放出する態勢に入っていた。
振り向く時間すらない。
のえるの華奢な体が、死の光線によって蒸発させられるまで、あとコンマゼロ秒。
「——危なーいッ!!!!」
鼓膜を破るような、ダミ声の絶叫が響いた。
次の瞬間。
ガァァァンッ!!
のえるの背中に、骨が折れるほどの強烈な「衝撃」が叩きつけられた。
飛び込んできたヴァイスの、男性体としての全身全霊を込めた飛び蹴りだった。
「ひぐっ……!?」
悲鳴をあげる暇もなく、のえるの華奢な肉体は横方向へと力任せに弾き飛んだ。
浸水した水面を何度もバウンドし、壁のコンクリートへと激しく打ち付けられる。
そして、のえるが吹き飛んだ空中に、入れ替わるように滑り込んだヴァイスの姿があった。
直後。
ズガァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
視界のすべてが、純白の極光によって塗り潰された。
音が消えた。
あまりにも強烈な指向性熱線の照射は、空気を一瞬で超高熱の真空へと変え、地下通路の水数十トンを一瞬で気化させて爆発的な蒸気を生み出した。
熱線はのえるのわずか数センチ横を通過し、背後の耐圧壁を数百メートルにわたって削り取り、溶けたマグマのような灼熱の溝を作り出した。
数秒後、光と衝撃波が収まる。
立ち込める白い蒸気と、ジュウジュウと音を立てて沸騰する水の中。
壁に打ち付けられたのえるは、激痛に耐えながら必死で目を開けた。
「ハァ……ハァ……っ! くそっ……何が……ヴァイス……!?」
のえるは頭を振り、視界を確保しようとした。
そして——見てしまった。
言葉を失った。
心臓の鼓動が止まり、体中の血が冷たく凍りついた。
「……ぁ……あ……?」
そこにあったのは。
かつて自分を助け、叱りつけ、共闘してくれた男の姿ではなかった。
ヴァイスの胸から下——腹部、腰、両足のすべてが、熱線の直撃によって文字通り「蒸発」し、影も形もなく消滅していた。
焦げた背骨の断面と、超高熱で一瞬にして焼き切られた内臓の残骸が不気味な煙を上げており、残されたのは、男らしい胸板と顔を残した「上半身だけ」だった。
ポツン……
ヴァイスの上半身が、力なく、沸騰する水面へと倒れ込んだ。
遺言どころか。
感謝の言葉どころか。
死の恐怖を訴える悲鳴すらあげる隙すら与えられない、完全なる一瞬の「即死」だった。
ヴァイスの目は見開かれたまま、倒れた水面の上で、どこか遠くを見つめて光を失っていた。
「あ…………ぁぁ…………」
のえるは這い寄った。
膝が震え、上手く力が入らない。膝と手を泥水に浸しながら、なりふり構わずヴァイスの残された上半身へと駆け寄った。
「ヴァイス……? オイ……嘘だろ……? ヴァイス!!」
抱き上げた上半身は、驚くほど軽かった。
下半身が存在しないのだから当たり前だった。焦げた軍服の匂いと、焼き尽くされた肉の不快な臭気が鼻腔を突く。つい数分前まで、太い声で自分を怒鳴りつけ、背中を守ってくれていた仲間が、今や冷たい塊へと変わり果てていた。
自分の「油断」だ。
自分がボスを倒したと勝手に思い込み、「はいクリア〜!」などとふざけて気を抜いたから。
自分が背後からの死に際の罠に気づかなかったから。
その自分の軽率なミスを庇って、ヴァイスは命を落としたのだ。
自分の幼さが、自分の浮かれた態度が、他人を巻き込んで、惨たらしい死へと追いやった。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ!! なんでだよ!! 立つんだよヴァイス!! 怒れよ!! いつもみたいに怒鳴れよ!!『遊びじゃない』って叱ってくれよ!!」
のえるの叫びが、虚しく崩落した通路にこだまする。
圧倒的な罪悪感。
胸を押し潰すような激痛。
自由になった肉体への後悔。
「……うっ……おえぇぇぇっ……!!」
のえるはその場に倒れ込み、激しい吐き気に襲われて泥水を吐き出した。
身体が激しくガタガタと震え、止まらない。涙と吐瀉物と泥水で顔がぐちゃぐちゃになりながら、のえるは己の愚かさを、世界の残酷さを、骨の底まで理解した。
ここは、画面の向こう側のゲームなどではない。
ボタンを押せばコンティニューできる世界でもない。
一度失われた命は二度と戻らず、油断した者には即座に最悪の「死」が訪れる、血と死体が転がる本物の地獄なのだ。
「……言ったでしょ。ここはゲームじゃないのよ」
静かな、静かな声が降ってきた。
見上げると、サブマシンガンを構え直したヴェノムが立っていた。
彼女の瞳にも、深い悲しみと苦痛の色が浮かんでいたが、その立ち姿は冷酷なまでに現実を見据えていた。
「彼は……ヴァイスは、自分の命と引き換えにあなたを救ったの。あなたがここで絶望して壊れたら、彼の死は本当に無駄になるわ」
「ヴェノム……私……私が……っ!」
「泣いても、後悔しても、彼は戻らない」
ヴェノムはかがみ込み、のえるの肩にそっと手を置いた。
「生きなさい、のえる。彼の分まで、その重みを背負って……二度と油断せず、生き抜くこと。それが、残された者にできる唯一の贖罪よ」
のえるは震える手で、ヴァイスの残された上半身を強く、強く抱きしめた。
彼の冷たくなっていく頭部を抱き、その重みと匂いを、己の魂に永久に刻み込むように。
もう二度と、軽薄な態度は取らない。
もう二度と、自分の置かれた現実を甘く見ない。
この胸に刻まれた消えない罪悪感と傷跡こそが、これからを生きていく自分の誓いなのだと、のえるは涙を拭って立ち上がった。
ふたりは、ヴァイスの残骸を水没した通路の静かな場所へ横たえ、ゆっくりと歩みを進めた。
開ききった巨大な耐圧ゲートの先。
そこには、青白く回転し、空間そのものがぐにゃりと歪んだ巨大な光の渦——「異世界ゲート」が、不気味に、そして神秘的に揺らめいていた。




