おませな少女
これで僕の仕事は、リュートの演奏から魔物退治へと変わった。
魔物退治なら、旅の途中でギルドの依頼を受けて何度か経験している。きっと大丈夫だ。それに、いずれ本格的な冒険者が派遣されてくる。それまでの間、僕が踏ん張ればいい。
僕は勇者になりたいわけじゃない。
目指しているのは、あくまで音楽家だ。
その目標だけは、絶対に忘れない。
だけど、この街に立ち寄った以上、サラさんの悲しむ顔は見たくなかった。
世界を救いたいなんて、大層な話じゃない。
ただ、目の前にいる彼女の笑顔が見たい。
サラさんには、いつだって笑っていてほしい。
あの反則的な笑顔で、僕に笑いかけてほしい。
――たったそれだけの想いを胸に、僕は明日から魔物退治へ出かけることにした。
「どうか、無理だけはしないでくださいね」
サラさんが、気遣うように優しく声をかけてくれる。
「大丈夫ですよ。任せてください」
僕は心配させないよう、努めてにこやかに答えた。
「ルルクさん、街の鍛冶屋には声をかけておきますよ。もしものとき、良い剣が必要になるかもしれませんから」
ダグ町長が親切に申し出てくれたが、僕は首を振った。
「それなら、防具をお願いできますか? この格好のままじゃ、さすがに心許ないので」
どれほど名のある剣があっても、使い手が僕では宝の持ち腐れだ。それなら、少しでも生存率を上げる防具のほうがいい。
「なるほど、わかりました。防具屋に声をかけておきましょう」
「助かります。ありがとうございます」
僕は新たな決意を胸に、食堂を後にした。
明日から忙しくなる。
自室へ戻ると、僕は真っ先に相棒のリュートを取り出した。
旅を始めた頃から、剣の扱いはさっぱりだった。
けれど、召喚魔術の触媒として使うこのリュートは、僕の手によく馴染む。
街では演奏で人々を魅了し、戦いでは音色とともに魔法を繰り出す。
今や僕にとって、一番頼れる武器だ。
それだけに、手入れには一切の妥協が許されない。
前の街で買っておいた新しい弦を取り出し、一本ずつ丁寧に張り替えていく。
糸巻きに潤滑剤を塗り、仕上げに柔らかな布でボディを乾拭きする。
「……よし」
リュートは、明日からの戦いに備えるように静かな光沢を放っていた。
これで準備は整った。
僕はベッドへと身を投げ出す。
かつての家も、騎士になるという道も、もう過去のことだ。
今の僕は貴族でも騎士候補でもない。
楽器を手に戦う、一人の吟遊詩人だ。
そして――
全てはサラさんのために。
格好をつけるわけじゃないけれど、結局のところ、それが僕の一番の原動力だった。
もちろん、この街も救いたい。
でも、困っている彼女を放っておくことなんてできない。
――それに、美人に泣かれるのはどうにも性に合わないから。
「おはようございます、ルルクさん」
声にまどろみを破られて目を開けると、すでにエミリーさんが枕元に立っていた。
「朝ご飯、できていますよ」
「えっ……あ、もうそんな時間ですか?」
「ええ。相当お疲れだったんですね。もう八時ですよ」
「は、八時っ!?」
僕は跳ね起きるように布団を跳ね返した。
寝過ごしたわけじゃない。
けれど、今日から魔物退治が始まるというのに、こんな時間まで寝ている場合じゃない!
「ゆっくりで大丈夫ですよ。今日からルルクさんには、たっぷり働いてもらわないといけませんからね」
クスクスと笑うエミリーさんを見て、僕は頭をかきながら苦笑するしかなかった。
初日からやってしまった……。
僕は慌てて身支度を整え、エミリーさんの後をついて食堂へ向かった。
食堂に着くと、そこにサラさんたちの姿はなかった。
尋ねてみると、ダグ町長はすでに仕事へ向かい、サラさんも教会へお祈りに出かけたという。
どうやら、僕だけが呑気に朝寝坊していたらしい。
「あちゃー……」
顔を手で覆う僕を見て、エミリーさんはまたクスクスと笑った。
「ルルクさん、どうぞお召し上がりくださいね」
「ありがとうございます」
テーブルにつき、焼きたてのパンを口に運ぶ。
外側は香ばしく、中には濃厚なチーズがたっぷり詰まっている。隣には玉ねぎとブロッコリーの入ったクリームスープ。そして中央の皿には、綺麗な黄金色のスクランブルエッグ。
温かな朝食を口にするうちに、ぼんやりしていた頭もすっかり目を覚ましていった。
「ええと……僕は今日、まず何をすればいいですかね?」
「サラ様から伝言をお預かりしていますよ。『ルルクさんは中央広場でリュートを演奏してください』とのことです」
「まずは音色で街を活気づける、ってわけですね! 了解です!」
張り切る僕を見て、エミリーさんは嬉しそうに目を細めた。
「それから先はサラ様にお尋ねください。ルルクさんが演奏している間に、魔物の出現場所の目星をつけておくとおっしゃっていましたので」
「えっ!? もう出現場所の目星がついているんですか!?」
「ええ。お祈りだけでなく、情報収集も兼ねて教会へ向かわれたのだと思います。あそこには朝から大勢の人が祈りに来ますから」
――そういうことか。
情報収集の定番といえば酒場やギルドだが、朝一番なら人の集まる教会というわけだ。
そういえば、この街にはギルドもないんだったな。
エミリーさんとの会話を楽しみながら、僕は朝食を完食した。
「よし、じゃあ中央広場に向かえばいいんですね!」
「ええ。案内のココが外で待っていますから、あとはあの子に任せてくださいね」
……ココちゃんかあ。
あの無駄に鋭い少女の顔が思い浮かぶ。
お願いだから、朝から余計な突っ込みだけはしないでくれよ?
祈るような気持ちで玄関のドアを開けた。
「おはよう、お兄ちゃん」
昨日と同じく、大きな赤いリボンをつけたココちゃんが立っていた。
「おはよう、ココちゃん。今日はよろしくね」
無難に爽やかな笑顔で挨拶を返した――はずだった。
「で、サラ様とは仲良くなれたの?」
容赦のない一撃。
やっぱり朝からそれか!
僕は引きつりそうになる口元を必死に抑え、あからさまな作り笑いでスルーを決め込んだ。
「ねえ、お兄ちゃんってば。本当はどうなの?」
ココちゃんはまったく諦める様子もなく、下から僕の顔をじっと見上げてくる。
「それよりココちゃん、中央広場へ案内してくれないかな……」
「じゃあ、お兄ちゃんがココの質問に答えてくれたら教えてあげる!」
まさかの人質――いや、情報を取られてしまった。
僕は苦笑いを浮かべたまま、その場に固まる。
「ねえ、サラ様とは仲良くなれたの?」
「まだ会ったばかりだから、そんな段階じゃ……」
「ふーん……お兄ちゃん、サラ様のこと好きでしょー?」
直球すぎる。
天使のような無邪気な笑顔で、容赦なく核心を突いてくるのだから恐ろしい。
僕は反論もできず、必死に愛想笑いを浮かべて耐え凌いだ。
「なんだぁ、まだカタオモイなんだね!」
ココちゃんは楽しそうに笑う。
「よーし、サラ様と仲良くなれるように、ココが協力してあげる!」
……どうか、その協力だけは遠慮させてほしい。
僕は心の中で、切に願った。




