騎士にはならない
ダグ町長が深く頭を下げてきた。僕はあわてて首を振る。
「ええ、僕なんかの力でよければ、喜んで協力させていただきます!」
つられて僕も頭を下げると、町長はさらに恐縮したように言葉を重ねた。
「かたじけない。今、サラが一番頑張っている街の復興に、どうか手を貸してやってください」
またしても頭を下げられたので、僕も下げっぱなしの頭をさらに低くしながら言葉を返す。
「はい、謹んでお引き受けいたします」
そのやり取りの一部始終を見ていたサラさんから、ころころと鈴を転がすような笑い声がこぼれた。
「ふふっ、ふたりして何度も頭を下げ合って、おかしいわ」
そっと顔を上げると、目の前には視界が眩むようなサラさんの笑顔があった。……ああ、ダメだ。またしても純情青年の毒となる、罪深い笑みを浮かべている。
(絶対、勘違いしちゃうから……!)
「そうと決まれば、サラ、ルルクさんに客間を案内してあげなさい。使っていない部屋ならいくつかあるだろう」
「わかっていますわ、お父様。エミリー、ルルクさんにお茶の用意を」
「はい、かしこまりました。サラ様」
先ほどのメイドさんが奥へと引っ込んでいく。エミリーさん、という名前らしい。
「ルルクさん、お部屋へ案内しますね。ついてきてください」
「はい、よろしくお願いします」
僕は一束に結んだ長髪を揺らしながら、サラさんの後を追った。
屋敷の中は思いのほか広く、案内がなければ迷ってしまいそうだ。広々とした廊下を歩き、とある木製のドアの前でサラさんが足を止める。
「こちらのお部屋になります」
サラさんがドアを開けると、赤と茶を基調とした、清潔で上質な室内が広がっていた。ベッドも柔らかそうで実に心地よさそうだ。僕がベッドに腰を下ろすと、サラさんはこちらを振り返る。
「すぐにお茶をお持ちしますので、どうぞごゆっくりなさってくださいね」
「あ、どうぞお構いなく……宿代が浮いただけでも、僕には十分すぎるくらいですから」
申し訳なさそうな表情を作って答えると、サラさんはまた、どこか罪作りな笑みを浮かべた。
……その顔は、純情青年の僕には効きすぎる猛毒です!
サラさんが部屋を出ていくと、代わりにエミリーさんが入ってきた。
「どうぞ、この街周辺の名物の紅茶です」
「いい香りですね。故郷を思い出します」
今頃、両親はどうしているだろう。五歳上の兄も。毎朝のように飲んでいたあの味を思い出す。
「ルルクさんはどちらのご出身ですか?リオウ国の方でしょうか。失礼ですけれど、言葉に少し不思議な響きがあって……」
エミリーさんが尋ねる。
「セリン国です。リオウの言葉は昔、学校で習いました」
エミリーさんは目を見開いた。
「セリン国といえば、優秀な騎士団が多いことで有名ですね。魔法の研究も進んでいるとか」
「よくご存じですね。ええ、魔法国家でもありますし、優秀な騎士団もたくさんあります」
エミリーさんは手を叩く。
「では、ルルクさんも騎士か魔法師のお家柄だったのですか?」
僕は目を細め、静かに答えた。
「ええ。騎士の家でした」
「まあ……」
エミリーさんは驚いて、口元を両手で覆う。
「騎士様というと……貴族の方ではありませんか、ルルクさん」
「一応、そういう部類の家でしたね。父が騎士団長でしたから」
懐かしいな。こんな話をするなんて思わなかった。
貴族の家――僕が追い出された家だ。
「では『ルルク様』とお呼びしなければならないかしら」
「いいえ。僕はただのしがない楽士ですし、今まで通り『さん』付けでお願いしますね」
「わかりました。では、ルルクさんとお呼びしますね。けれど……やはり貴族のご出身とあって、どこかお上品ですね」
「そうでしょうか。自分ではよくわかりませんが」
「それならサラ様と……、いえ、失礼いたしました。こちらの話です」
エミリーさんが言い淀んだ言葉が気になる。サラさんと、一体どうだというのだろう。
「では、ごゆっくりお過ごしください。夕食の準備が整いましたら、お声がけいたしますね」
「ありがとうございます」
僕は小さくお辞儀をした。
――貴族の出、か。家を追い出された僕には、もう関係のない話だ。
それに、己の道を極めるために進んで家を出たのだから、後悔なんて微塵もない。
騎士、か。それも今の僕には無縁の言葉だ。あとは出来のいい兄が、上手くやってくれるだろう。僕は落ちこぼれの次男。居ようが居まいが同じだし、むしろ消えた方が名門スチュアート家の名を汚さずに済むというものだ。
久しぶりに手にする上質なベッド。僕は荷物を降ろすと、吸い込まれるように軽い眠りについた。
「僕は騎士にならない!」
父の前……、いや、家族の全員の前で、僕ははっきりと宣言した。
その日は雨だった。中庭での剣術訓練は中止になり、屋内で単調な素振りを繰り返す。そんな最中、僕の指導にあたっている師範から告げられたのだ。二ヶ月後に、王国の騎士選考試験があると。
子供の頃から、僕には剣の才能がなかった。高名な師匠を何人もつけられたが、一向に上達しない。道場では年下の子にすらあっさりと負け、そのたびに自分の無能さを思い知らされてきた。
なのに、名門という血筋だけで、父は僕に騎士への道を押し付ける。「お前にはこのスチュアート家を背負って立つ人間になってほしい」――その呪縛のような言葉に、僕は二十年もの間、縛られ続けてきた。
そんな僕の救いになったのが、音楽だった。つらい訓練に押し潰されそうなとき、音を聴き、奏でることだけが唯一の慰めだった。
魔法や剣術、学問を広く学ぶ国立の学校でも、剣術で褒められたことなど一度もない。けれど、音楽の授業だけは違った。周囲は僕の奏でる音に耳を傾け、絶賛してくれた。
僕には剣の才能はない。でも、音楽の才能ならある。だから、もう自分を偽りたくはなかった。
「ルルク、お前は何を馬鹿なことを言っているのだ。スチュアート家は騎士の家系だ。お前も騎士になるのが定めだろう」
父の声は低く、落ち着いていたが、その奥には確実に怒りが滲んでいた。
――何も分かっていない。僕がどれだけ剣術で惨めな思いをし、どれだけ音楽に救われてきたのかを、この人はまるで知らないのだ。
「僕は騎士にはなりません!……僕に剣の才能がないことなど、父上が一番よくご存じのはずだ!」
「才能など、これからの努力でどうにでもなる。お前の兄だって最初は決して強くはなかった。だが、今は立派に騎士団の一員だ。お前も兄を見習って――」
僕は父の言葉を遮った。
「僕には無理です!父上は謙遜されるかもしれませんが、兄上は名だたる師範を負かしたこともある、正真正銘の天才です。僕がどれだけ逆立ちしたって、兄上のようにはなれない!」
「なら、騎士を辞めて何をするというのだ、ルルク!」
ついに父は怒号を隠さなくなった。激しく僕の名を呼ぶその声が、室内に重く響いた。
「僕は音楽家になりたいのです!音楽だけは、誰にも負けません!」
「ふざけるな、ルルク!歴史あるスチュアート家で、そんな戯言が通ると思うか! 音楽家などと、断じて認めん!」
「父上には何も分かっていない! 僕にとって音楽だけが、唯一自分を証明できる場所なんだ!」
父の顔は憤怒に染まり、今にも血管がはち切れんばかりに真っ赤になっていた。
「出ていけ!音楽家になりたければ勝手にするがいい!もうお前を息子とは思わん!」
「――わかりました」
僕は父や家族が座る食堂に背を向け、廊下へと出た。




