三度目の契約 ―魔狼フェンリルと誓いの絆―
朝食までの時間、僕はリュートを片手に魔法書と向き合っていた。昨日行うはずだった、未契約の幻獣との契約を進めるためだ。今、僕が一番契約を結びたいのは「フェンリル」だった。
フェンリルはケルベロスのように口から炎を吐くだけでなく、光と闇の両属性魔法を使いこなす。僕の契約幻獣の中には闇魔法を使える者が少ないため、彼が加われば圧倒的な戦力増強になるはずだ。
巨大な狼の姿をしたその体躯は機敏で、戦闘能力も格段に高い。また知性も高く人間の言葉を理解し、言葉こそ喋らないものの契約者とは心で意思疎通ができるという。難点といえば、オーディンと相性が悪いため同時に召喚できないことくらいか。
気位の高さゆえに過去二回ほど契約に失敗しているが、フェンリルを従えることができれば、僕の戦力は桁違いに跳ね上がる。
呼び出すこと自体は難しくない。勝負はその後の契約交渉だ。
(今度こそ絶対に成功させて、サラさんの力になるんだ……!)
僕はサラさんのためにも今度こそ契約を結ぶのだと心に決め、何度も魔法書を読み返した。
フェンリルよりも気位が高い神——それこそ、彼と相性が最悪とされるオーディーンとも、僕はすでに契約を果たしている。それがネックとなって、フェンリルとの契約を阻んでいるのだろうか。
僕はさまざまな策を巡らせた。過去二回の契約失敗の理由を分析し、そこから学べるものはないかと知恵を絞る。
これまでの僕は、ただ自分のためだけに無心で戦ってきた。だが、今の僕には守るべき存在がある。その一点において、昔の僕とは違うのだ。この胸の覚悟を、自分自身の強みとして提示できないだろうか。
(今度こそ……今度こそ絶対に契約してもらうぞ、魔狼!)
僕は覚悟を決め、リュートの弦をつま弾いてフェンリルを召喚した。
部屋の大きさに合わせて小さく圧縮されているというのに、その体躯はどこまでも堂々としている。サイズを感じさせない神々しいほどの圧倒的なオーラに、思わず気圧されそうになった。
『我を呼んだのは、お前か』
脳内に、直接フェンリルの声が響き渡る。まだ契約を結んでいない状態でも、この交渉の場に限り意思の疎通が可能だった。この声を一生聴ける関係になるか、ここで途絶えるかは僕次第だ。
(はい、フェンリル様)
僕は心の中で強く念じた。
『吟遊詩人ごときが……勝手気ままな旅を生業とするような者が、我が力を望むか』
二度の失敗で、彼の気位の高さは身に染みている。思考の嘘さえ見抜く高い知性を前に、生半可な誤魔化しは通用しない。
(僕には今、守りたい大切な人がいるのです。その人を守り抜くために……どうかフェンリル様、あなたの力をお貸しください!)
『守りたい人だと?笑わせるな。そんなこと我にはどうでもよい事だ』
そうきたか…。でも嘘はつけない。僕はありのままの気持ちを伝える。
(僕にとっては自分の命と同じくらいに大切な人です。どうしてもその人を守りたい)
『命と同じくらい大切……くく、下らん。人の愛憎など気まぐれな夢に過ぎぬ。そのような弱き情を持ったものに、この我が従うとでも思うたか?』
フェンリルの眼光が鋭く光り、部屋の空気が凍りつくほどの圧迫感が僕を襲う。
だが、僕は怯まなかった。前回の失敗で学んだ。彼に必要なのは「哀願」ではなく「契約者としての価値」だ。
(気まぐれではありません!……それに、フェンリル様)
僕は、リュートをまたつま弾き、オーディーンを称える唄を歌う。この状態だと、完全にこの場に神は降臨しないが、うっすらと神の姿が見える。
『……ぬ!?お前、これは……主神オーディーン!』
フェンリルの全身の毛並みが逆立ち、激しい殺気が膨れ上がる
(はい。僕はかつて、己の戦いのために神と契約しました。ですが、今の僕は、神の力だけでは足りないほど「守りたいもの」ができたのです。最高神を従えた僕が、さらなる強さを求めてあなたを欲している……神を超える力を持つのは、あなたしかいないからだ!)
室内が静まり返る。フェンリルは黄金の瞳を細め、僕の心の奥底まで見透かそうとするように凝視してきた。
『……ほう。我をあの忌々しいオーディーンより上の存在と認めるか。そして、その力を「守るため」だけに使おうと?』
フェンリルはしばし僕を見つめた。
『……人を守るために強さを欲する、か。弱さを抱えたまま、それでも我を求めるというのだな』
黄金の瞳が鋭く光る。
『その覚悟、本物かどうか我の牙で試させてもらうぞ!』
僕の手の甲に、フェンリルを模した漆黒の紋章がじわリと浮かび上がってきた。契約が無事に完了した証だ。
「よし……っ!」
僕は小さくガッツポーズを作ると、安堵と精神的な疲労から、そのままベッドへ倒れ込んだ。
三度目の正直、だ。死力を尽くして、なんとか成功させることができた。
(この手応えなら……今まで契約に失敗していた他の幻獣とも、交わせるかもしれない)
全身を包む心地よい疲労感の中で、僕は手の甲の紋章を愛おしく見つめた。
全ては、サラさんを守るため。その思いが僕に新たな力を与えてくれたのだ。
トントン、とドアを叩く音が響く。
「おはようございます、ルルクさん。朝食の準備が整いましたよ」
エミリーさんの声だ。僕は疲れた身体にムチを打ち、ベッドから起きてドアを開けた。
「サラ様がお待ちですよ、ルルクさん」
ドアの向こうで微笑むエミリーさんの言葉に、僕は思わずドキリとする。
「な、なぜ僕がサラさんのことを……?」
「ふふ、お顔に書いてありますから」
エミリーさんは、もしかするとアンナ以上に鋭いのかもしれない。
僕は少し照れくささを感じながら、彼女と一緒に食堂へと向かって廊下を歩いた。
「あ、メアリーさんたちですね」
先の方を見ると、メアリーさんがローラとアンナを連れて食堂へと向かっているところだった。
「おはようございます、ルルクさん!」
メアリーさんに元気よく声をかけられ、僕も「おはようございます」と笑顔で挨拶を返した。
「ルルク〜、なんだか疲れてない?」
すぐさま変化に気づくアンナ。こういうところは本当に鋭い。
「ちょっと頭を使いすぎて、精神的に疲れただけだよ。朝から魔法書と向き合っていたから」
僕が答えると、横からローラが興味深そうに身を乗り出してきた。
「魔法書か。少し興味があるな」
「後で見てみる?古代セリン語で書かれているけれど」
僕がそう提案すると、ローラは途端に難しい顔になった。
「古代セリン語……流石に私でも読めないな」
「なにそれ、難しそう……」
隣で聞いていたアンナも、早々に匙を投げた。
「行きましょう、サラ様がお待ちですよ、ルルクさん」
エミリーさんが言う。その一言でアンナが目を輝かせる。ローラはいつもと変わらない顔をしている。
「はい…」
僕は素直に彼女に従った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
ルルクたちの旅を楽しんでいただけましたら、ブックマークや評価で応援していただけると嬉しいです。
これからも幻獣たちや仲間たちとの冒険をお楽しみください!




