歌っていたら朝食に連行されました
朝のシュナイゼルの街は、まだ静けさに包まれていた。聞こえてくるのはどこかの家で朝食を仕度する音くらいで、通りを行き交う人もまばらだ。昨日サムさんに連れて来てもらった酒場も固く扉を閉ざしており、夕べのにぎわいが嘘のように感じられる。
「……ん?」
ふと、誰かに見られているような気がして、僕は足を止めて背後を振り返った。
けれど、そこにいたのは、朝の街を行き交う人々だけだった。
(……サラさんが感じていた視線も、これだったのかな?)
そう思って周囲を見回してみるが、やはり怪しいものは何も見当たらない。
街中では、さすがにケルベロスを呼び出すわけにもいかない。あの子たちがいてくれれば、こういう些細な異変にもすぐ気づいてくれるのだけれど。
「まあ、何もないし……気のせいかな」
僕はそう呟くと、再び歩き始めた。
このときの僕は、その視線の意味をまだ知る由もなかった。
中央広場まで歩き、僕は静けさに溶かし込むようにリュートの弦を爪弾いた。
やさしい音が広場に響くと、犬を連れて散歩していた老人がふと足を止める。二人は音色に導かれるように、僕の方へとゆっくり歩いてきた。
「朝からいい気分になるのう」
そう言って目を細めた老人は、幸せそうな表情のまま、寄り添う犬と一緒に僕の前にちょこんと座り込んだ。
「何か聴きたい曲のリクエストはありますか?」
語りかけるように尋ねると、老人はしわの刻まれた目をいとおしそうに細めた。
「そうさな……昔聴いたような、懐かしい童謡が聴きたいのう」
「リオウの童謡でしょうか?」
「どこの国の歌でも構わんよ。ただ、言葉の意味がちゃんと伝わるように歌ってもらえると嬉しいねぇ」
「お任せください」
僕は小さく頷くと、ポロンとひとつ、リュートの弦を弾いた。
朝の柔らかな光の中、言葉のひとつひとつを確かめるように、やさしい声音で歌を紡ぎ始める。
「きんのひかりが まどのそと
そーっとおへやに はいってきたよ
ねむいめをこする ぼくのほっぺに
あたたかい おひさまの て
「だいじょうぶだよ」って なでるように
やさしいりょうてで 包んでくれる
あかるい あさのまちに
きょうも元気に 歩きだそう」
歌い終え、最後の音色が朝の空気に溶けていくと、目の前の老人が惜しみない拍手をくれた。
それに応えるように、周囲からも温かな拍手の音が重なっていく。ふと見渡せば、音色に惹き寄せられた街の人々が、いつの間にか僕を取り囲むように足を止めていた。
「いい声だのう。朝から実にいい気分じゃ」
傍らの犬を撫でながら、老人は心底満足そうに僕へと称賛の言葉をかけてくれた。
「では、もう一曲だけ——」
僕が再びリュートを構えた瞬間、「ルルクさーん!」と遠くから叫び声が響いた。
息を切らして走ってきたのは、エプロン姿のメアリーさんだ。
「まったく、探しましたよ!こんなところで油を売っていないで、早く食堂に来てください!もう朝食の用意はできていますっ!」
「うっ……す、すみません。楽しすぎてつい時間を忘れていて……」
バツの悪そうな顔をする僕に、メアリーさんは「ほら、行きますよ!」と服の袖をがっしり掴んで引き立てていく。
「ま、また後で続きを弾きますね~っ!」
ズルズルと連行されていく僕の情けない姿に、周囲の街の人々からはいっそう大きな笑い声と拍手が湧き上がったのだった。
「もう、ルルクさんったらすぐに演奏に夢中になっちゃうんですから!」
「す、すみません……」
僕はメアリーさんにズルズルと引きずられながら、何度も頭を下げる。
「私に謝られても困りますっ!旦那様もサラ様も、ずっと食堂でお待ちなんですよ!?」
「ええっ!?そ、それは本当に申し訳ないことを……!」
ダグ町長やサラさんまで僕を待たせてしまっているなんて。僕は青ざめながら、ひたすらメアリーさんに謝り続けた。
「ルルクさん、連行完了しましたー!」
メアリーさんにズルズルと引きずられて食堂へ連れ戻されると、ダグ町長とサラさんが穏やかな笑顔で迎えてくれた。……くっ、その温かい眼差しが逆に胸に刺さる。
「まったく、中央広場で呑気に歌っていたんですよ!」
余計な追及までセットで報告するメアリーさん。僕は冷や汗を流しながら、お二人に向かってひたすら頭を下げ続けた。
「ふふっ、歌うのがルルクさんのお仕事ですものね。きっと職業病のようなものですよ」
サラさんはお咎めなしとばかりに優しく微笑む。朝日を背に受けて佇む姿は後光が差しているようでもあり、まさに聖女そのものだ。その眩しすぎる笑顔は、もはや罪ですよサラさん……!
「まあまあ、無事に戻られたことですし、冷めないうちに朝食にしましょうか」
ダグ町長までどこまでも優しい。厳格すぎて隙のない僕の父親に、この大らかな爪の垢を煎じて飲ませてやりたいと心から思うのだった。
席に着き、食卓に小さく感謝の祈りを捧げてから朝食へと手を伸ばす。
今日の献立は、温かいスープに素朴な黒パン、色鮮やかな野菜サラダだ。いかにも健康に良さそうなラインナップに自然に頬がゆるむ。あちこちを旅していると、まともな朝食を食べられる日など実に稀だ。街に辿り着き、ギルドで仕事をこなせば温かい飯にありつけるものの、道中では一日一食、味のない非常食で腹を満たすことも珍しくない。僕はここでの破格の待遇に深く感謝しつつ、食事を堪能した。
「ルルクさん、今日も魔物退治でしょう。上質なギャンベゾンを用意しておきましたから、存分に腕を振るってくださいね!」
ダグ町長の意気揚々とした声に、僕は思わず笑みを引きつらせる。ふと町長の後ろに控える執事のイアンさんと目が合うと、彼は「黙って頷いておきなさい」と目配せしながら静かに首を振ってみせた。僕はその暗黙の指示に従い、無難に頷いておく。それを見たサラさんも安心したように微笑んでいた。
(ダグ町長、僕が頼んだのに本当にごめんなさい……!重いギャンベゾンを着たらリュートが弾けなくなってただの一般人に戻ってしまので、今日もいつもの軽い革鎧で出陣します……!)
「待ち合わせの場所や時間は大丈夫ですか? 今から向かって間に合いそうでしょうか」
「ええ、昨日酒場で情報をくれた方と、午後に中央広場で落ち合う約束ですから問題ありませんよ」
答える僕を、サラさんはどこか不安げな眼差しで見つめている。
「……くれぐれも、無理だけはなさらないでくださいね」
ぽつりと絞り出すような彼女の言葉に、僕は彼女を安心させるよう、意識してハッキリとした声で頷いた。
「はい。絶対に無理はしませんから」
部屋を出る間際、僕は手首に巻かれたミサンガをサラさんに向けて掲げ、力強くガッツポーズを作ってみせた。彼女が心を込めて編んでくれた大切な宝物だ。それを見たサラさんは、どこか愛おしそうに目を細めて微笑んでくれた。
——くっ、いつまでもその神々しくも色っぽい笑顔を僕に見せてください、サラさん!
その尊すぎる微笑みを守るためなら、僕はどこまでも強くなってみせます……!




