お嬢様をよろしく頼みます
「お、お嬢様……」
「イ、イアン!?」
僕たちの前に立っていたのは、紋章入りのサーコートを着た老執事だった。イアンと呼ばれた彼に見つめられ、サラさんはまるで現場を見られてはいけないところを見られたかのように、慌てて僕の手を振り払った。
「ルルク様のお部屋へ防具をお持ちいたしましたのだが……」
「ご、ごめんなさい!ちょうどイアンにお願いしようと話していたところでっ……!」
必死に言い訳をするサラさんの顔は、ゆでダコみたいに真っ赤だ。
(えっ、なにこれ。サラさんめちゃくちゃ照れてない……?)
突然の乱入者とサラさんの慌てぶりに追いつけず、僕はただ呆然とポカン顔を晒すばかりだった。
「ルルク様」
老執事のイアンさんがすっと近づいてきて、僕に深く頭を下げた。
「どうか、お嬢様をよろしく頼みます」
「は、はい!?」
後ろではサラさんが「ちょっと、イアン!?」と言いたげに顔を真っ赤にさせている。
事情が飲み込めず、僕はまたしてもポカーンと口を開けて固まってしまった。
「――それと、こちらが旦那様の注文されていた防具でございます」
「あ、ありがとうございます……」
イアンさんから恭しく手渡されたそれを受け取り、僕は思わず目を丸くした。
ギャンベゾンだ。僕の故郷である『騎士の国』セリンでもよく見かけた防具の一つである。
何重もの厚い布を縫い合わせて作られたギャンベゾンは、頑丈な反面、ずっしりと重くてゴワゴワしている。普段使っている革鎧に比べればはるかに防御力は高いのだろうけれど……これ、着たら肩や腕が固定されてリュートが弾けなくなるんじゃないだろうか。
(……リュートが弾けなかったら、僕ただの一般人になっちゃうんだけど……!)
僕はギャンベゾンを手に持ったまま、うーんと頭をひねった。どうやったらこれを受け入れたうえで戦えるのだろう。だが、どう考えてもまともにリュートが弾けそうにない。
「ルルク様、ご無理なさる必要はございませんよ。ルルク様はリュートで戦われるお方なのですから」
「え……ですが、それでは申し訳ないです……」
自分の希望で用意してもらった防具なのだ。着ていかないのは失礼にあたるのではないか、と躊躇してしまう。
「旦那様には、私からうまく取り繕っておきます。あなた様のリュートは奇跡を起こすリュート……どうかご自身が最も力を発揮できる装いで、戦場へ向かわれてください。お嬢様も、きっとそれを望んでおられます」
僕は思わずサラさんの方を見た。サラさんはまだ顔を真っ赤にしたまま、恥ずかしそうにコクリと頷いて僕を見つめていた。
「……ありがとうございます。僕のわがままを聞いていただいて……」
「いえいえ」
イアンさんは満足そうに静かに首を横に振った。
「どうか奇跡を起こしてくださいませ、ルルク様」
「はい!」
僕は力強く答えた。
部屋に戻った僕は、貰ったギャンベゾンを椅子に腰掛けさせ、リュートの弦を弾く。呼び出されたのは、今日戦ったケルベロスのうちの一匹、全身が真っ黒な「クロ」だ。
クロは現れるなり、当然のように撫でてほしそうに頭を寄せてくる。どれほど恐ろしい魔物だろうと、僕の前ではただの甘えん坊な犬だった。三つの頭を順番に撫でてやると、クロはご機嫌な表情で身体をすり寄せてきた。
「明日も頼むよ、クロ。君たちが居てくれれば鬼に金棒だ」
「ワン!ワン!ワォーン!」
クロの力強い鳴き声が部屋に響く。僕はその黒い背中を優しく撫でながら、明日の完全勝利を心の中で誓った。
「ルルクさん、おはようございま——きゃあああっ!?」
女性の甲高い悲鳴で、僕は跳ね起きるように目を覚ました。
「ル、ルルクさんっ!こ、この恐ろしい魔物は……!?」
「ああ、すみません!僕の召喚獣のケルベロスです。害はないので安心してください」
当のクロはといえば、三つの頭を寄せ合って幸せそうに寝息を立てている。だが、魔物の脅威に晒されているこの街の人々からすれば、心臓に悪い光景に違いない。
僕は慌ててリュートを取り出し、送還の旋律を奏でる。ぐっすり眠ったままのクロは、そのまま光となって魔界へと送り返された。
「驚かせて本当にすみません。一番付き合いの長い相棒なもので、つい……」
「いえ、私の方こそ……急に押し掛けた上、悲鳴まで上げてしまって申し訳ありませんでした」
まだ少し膝を揺らしながらも、エミリーさんは苦笑いを浮かべて頭を下げた。
僕も申し訳ないと頭を下げる。
「ルルクさん、顔を上げてください。私はメアリーさんに頼まれて、お洗濯物を取りに来ただけですから」
「あ、そうでした……すみません、洗っていただけるんでしたね」
僕はベッドから体を起こすと、昨日まで着ていた服をまとめてエミリーさんに手渡した。彼女はそれを受け取ると、
「こちらこそ、朝から騒がしくしてしまって申し訳ありませんでした」
と、恐縮したように改めてぺこりと頭を下げ、部屋を辞していった。
ひとり残された僕は、カバンから替えの服を取り出し、窓を大きく開け放つ。差し込んできた眩しい朝の光を全身に浴びた。どうやら今日もおだやかな快晴のようだ。
典雅な朝の空気のなか、エミリーさんが服の回収だけに訪れたことを思い返す。……ということは、朝食の準備ができるまでにはまだ少し時間がありそうだ。
僕は手早く着替えを済ませると、気晴らしに部屋を出ることにした。
廊下を歩いていると、サラさんと出くわした。
「おはようございます、サラさん」
軽く挨拶すると、サラさんもにこやかな笑顔で返してくれる。
「おはようございます、ルルクさん」
(相変わらず、朝から犯罪級の笑顔だな……)
思わずそんなことを考えてしまう。
「これからお出かけですの?」
サラさんが僕の背中に目を向ける。背負ったリュートを見て、そう尋ねたのだろう。
「ええ。ちょっと街を散策してこようかと」
笑って答えると、サラさんもまた微笑んだ。
その笑顔を見た瞬間、またしても僕の心臓が跳ねる。
「朝のお食事ができましたら、お声掛けできるように、帰ってきてくださいね」
「は、はい!」
慌てて返事をする。
「あら」
サラさんが窓を見つめる。
「どうしたんですか、サラさん」
「誰かの視線を感じましたの…気のせいかしら」
僕も窓を見る。僕は何も感じなかった。
「何もないですけど…」
サラさんは、
「すみません、きっと気のせいですね」
と笑った。
またその反則な笑顔!僕は思わず顔を赤らめ、頭をかいた。
「ごめんなさい。引き留めちゃいましたね」
「いえいえ。気になる事があったら僕で良ければ言ってください!」
サラさんは、笑顔を崩さずに、
「ルルクさん、頼もしいですわ。ありがとうございます」
僕の心臓跳ねっぱなしなんですけど!サラさん!
こうして僕は、サラさんの笑顔に見送られながら、街へと出掛けることになった。
――その背中を、どこかから見つめる視線には気づかないまま。
僕はリュートを背負い直し、朝の街へと歩き出した。
今日もきっと、いつもと変わらない一日になる。
そう思っていた。
このときの僕はまだ知らなかった。
明日のオーク退治が、単なる魔物退治では終わらないことを――。




