思い出してほしい
ルクアが帰ってきた夜。
ファミリアフレンズのギルドは、五百年ぶりの大騒ぎになっていた。
「ルクアが帰ってきた!」
「五百年よ、五百年!」
「今日はお祝い!」
「……夜中だけど」
ヨルの冷静な一言も、誰も聞いていない。
普段なら静まり返っている時間だというのに、一階の食堂には全員が集まり、料理や飲み物が次々と並べられていく。
そして、その中心にいるのは――。
「ふぇ……」
籠の中で眠る、小さな赤ん坊。
五百年前。
彼女たちが失った大切な仲間。
その魂を受け継いだ、ルクアだった。
「本当に帰ってきたんだね……」
モクリンが優しく頬を撫でる。
「魂色まで同じなんだから間違いないわ」
ピカリンも静かに頷いた。
ルビーは何度も赤ん坊の顔を覗き込んでいる。
「……なんか変な感じ」
「何が?」
オウミが尋ねる。
「五百年間ずっと待ってた男が、今はこんなに小さいんだよ?」
ルビーが指先でルクアの頬をつつく。
ぷにっ。
「……」
ルクアは眠ったまま。
「昔は偉そうだったのに」
ぷにぷに。
「こんなに柔らかくなっちゃって」
ぷにぷに。
「……ルビー」
「何?」
「つつきすぎ」
「だって面白いんだもん」
そのとき。
「……ふぇ」
ルクアの顔が歪んだ。
「え?」
「まずい」
ピカリンが言った。
「泣くぞ」
「ええ!?」
次の瞬間。
「ふえぇぇぇぇん!」
「やっぱり!」
ギルド中に赤ちゃんの泣き声が響き渡った。
「ルビー、どうしたの!?」
「私!?」
「何かしたでしょう!」
「ちょっと頬を触っただけ!」
「それが原因じゃない?」
「そんなぁ!」
そこからは大混乱だった。
モクリンが抱き上げる。
「よしよし、大丈夫よ」
オウミが歌う。
「ほーら、泣かないの」
ヒナタが顔を覗き込む。
「……お腹空いた?」
ヨルは少し離れたところから見ている。
そしてレタスは――。
「ルクア。ここにいるよ」
優しく抱きしめる。
すると。
「……ふぇ」
泣き声が小さくなった。
「……」
全員がレタスを見る。
「また止まった」
「レタスには敵わないね」
ルビーが苦笑する。
レタスは嬉しそうに笑った。
「だって私は、この子のお母さんだから」
その言葉に、誰も反論できなかった。
五百年前。
ルクアは仲間だった。
家族だった。
そして今は――赤ん坊。
だからこそ、これから始まる人生を、彼女たちは大切にしようと思っていた。
――その日の夜。
「……うぅ」
レタスの寝室。
ベッドの上では、ルクアが眠っている。
その隣でレタスも眠っていた。
しばらくすると。
「……ふぇ」
ルクアが目を覚ます。
「ふぇぇ……」
小さな泣き声。
だが、レタスは起きない。
むしろ――。
「……ん」
寝返りを打ったレタスの腕が、ルクアの身体をぎゅっと抱きしめた。
「むぎゅ」
「……」
「ふぇ……」
ルクアは苦しそうに身動きする。
そして。
「ふぇぇぇぇん!」
「ん……?」
レタスが目を覚ました。
「ルクア?」
そこで異変に気づく。
「……あ」
布団の中から漂う、独特の匂い。
「…………」
レタスが固まった。
「もしかして……」
ルクアが泣いている。
「……おむつ?」
翌朝。
「レタス、買ってきたよ」
ピカリンが大量の紙おむつを抱えて帰ってきた。
「ありがとう……」
レタスは疲れ切った顔をしている。
「服も買ってきたよ~」
モクリンが袋を持ってくる。
「おもちゃと、これ」
ヒナタが小さなぬいぐるみを見せた。
「……」
ルクアはぬいぐるみを見つめる。
次の瞬間。
ぎゅっ。
「握った!」
モクリンが驚く。
「すごい力」
ルビーが指を差し出す。
「じゃあ、これは?」
ぎゅっ。
「痛っ!」
ルビーの顔が歪む。
「赤ちゃんの握力じゃないでしょ!」
「将来が楽しみね」
オウミが笑う。
そんな騒がしい朝の中。
キミコが床に手を置いた。
「じゃあ、ベッドも作る」
床から植物の蔓が伸びる。
絡み合い、形を変え――。
数秒後。
そこには、小さな赤ん坊用のベッドが完成していた。
「はい」
「ありがとう!」
レタスが嬉しそうにルクアを寝かせる。
ルクアは小さな手を動かしながら、すやすやと眠り始めた。
その姿を見つめながら――。
レタスの笑顔が、ほんの少しだけ曇った。
「……ねえ」
誰にも聞こえないほど小さな声。
「あなたは……覚えているの?」
五百年前のこと。
仲間たちとの時間。
邪神との戦い。
そして――。
自分たちとの約束。
今のルクアには、その記憶があるのだろうか。
「……」
レタスは答えを求めるように、ルクアの顔を見つめた。
その瞬間。
――空気が変わった。
「……?」
全員が顔を上げる。
ギルドの中に、突然まばゆい光が満ちた。
「この気配……」
オウミが立ち上がる。
「まさか」
光の中から、一人の存在が姿を現した。
「久しぶりだね」
穏やかな声。
だが。
「……創造神」
レタスの声には、明らかな怒気が混じっていた。
「随分な歓迎だな。五百年ぶりに会ったっていうのに、ずいぶん怖い顔をするじゃないか」
「当然でしょう」
ルビーが睨む。
「五百年も待たされたんだから」
「まあ、それはそうだね。五百年だもんな」
創造神は苦笑する。
「待たせて悪かったよ」
そしてルクアを見る。
「いやぁ……ようやく見つかったよ」
「どういうこと?」
モクリンが尋ねる。
「ルクアの魂は、五百年前に消えたわけじゃないんだ」
創造神が答える。
「僕は約束しただろ? 彼を必ず生まれ変わらせるって」
「じゃあ、なぜ五百年も?」
ピカリンが問う。
「魂だけじゃ、人は生まれ変われないんだよ」
創造神はルクアを見つめた。
「どうしても、彼の魂を受け入れられる身体が必要だったんだ」
「……身体?」
「そう、身体だよ」
創造神は少し困ったように笑う。
「これがなかなか見つからなくてね。僕も随分と探したんだよ」
長い時間をかけて、ようやく見つかった。
「この子の身体は、ルクアの妹の血を受け継ぐ一族から生まれたんだ」
「妹……」
レタスが目を見開く。
「だから魂と身体が、ようやく繋がったんだよ」
五百年。
それはルクアを忘れていた時間ではなかった。
彼を再び生まれさせるために必要だった時間。
「……じゃあ」
レタスが震える声で尋ねる。
「この子は、本当にルクアなの?」
「うん。魂は間違いなく彼だよ」
創造神は即答した。
「ただし――」
全員が息を呑む。
「前世の記憶が戻るかどうかは……こればっかりは、僕にも分からないんだ」
「……」
「魂が同じでも、記憶は肉体と一緒に失われることがあるからね」
レタスはルクアを見る。
眠っている。
何も知らない赤ん坊。
五百年前の出来事も。
仲間たちとの約束も。
邪神の存在すら知らない。
「……記憶が戻らなかったら?」
レタスの声が震える。
「その場合も、彼は彼だよ」
創造神は穏やかに笑う。
「だから、無理に過去を思い出させる必要なんてないさ」
「……」
「君たちが愛したルクアと、今ここにいるルクア。どちらも同じ魂から生まれた存在なんだからね」
レタスはしばらく黙っていた。
やがて。
「……決めた」
顔を上げる。
「私たちは、何も教えない」
「レタス……」
「この子が自分で思い出すまで、待つ」
ルビーが頷いた。
「私も、それがいいと思う」
「賛成」
モクリンも続く。
「過去を押しつけるより、今のルクアを大切にしたい」
オウミも微笑む。
「それに――」
ルクアを見る。
「この子がまた私たちを選んでくれたら、そのときが一番嬉しいでしょう?」
「……うん」
レタスは頷いた。
創造神は、少し嬉しそうに笑った。
「うん、それでいいと思うよ」
「それじゃあ――」
創造神は人差し指を立てる。
「僕からも、もう一つだけ教えておこうか」
空気が変わる。
「ルクアが帰ってきたことで、君たちの役目も、また動き始めるんだ」
「……邪神」
誰かが呟いた。
五百年前。
彼女たちは倒せなかった。
封印することしかできなかった存在。
そしてルクアは、死の間際に約束した。
――必ず戻る。
――邪神を倒す。
――みんなを自由にする。
「そう。約束は、まだ終わってないからね」
創造神は笑った。
「まあ、ここからが大変なんだけどさ」
創造神の姿が光の中へ消えていく。
残された彼女たちは、眠っているルクアを見つめた。
レタスが、その小さな手を握る。
「大丈夫」
優しく微笑む。
「思い出さなくてもいい」
「……」
「今度は私たちが、あなたと新しい思い出を作るから」
ルクアの指が、ほんの少しだけ動いた。
そして。
レタスの指を――。
小さな手で、ぎゅっと握った。
「……!」
レタスの目に涙が浮かぶ。
「ルクア……」
それが前世の記憶によるものなのか。
ただの偶然なのか。
今は誰にも分からない。
それでも。
五百年間待ち続けた彼女たちには――十分だった。
ルクアは帰ってきた。
そして今度こそ。
この家族で、新しい時間を始める。
――ただし。
世界の果てで、五百年間封じられていた邪神の封印にもまた――。
小さな亀裂が、生まれ始めていた。




