ep.4 陰謀
恋羽から容赦のないお説教を食らい、彼女を家に送り届け、五体満足で帰宅した深夜。
俺は暗い部屋の中で、二度と起動しない相棒の冷たくなったキーボードを見つめながら、昼間にジジイが言い放った言葉の真意を考えていた。
「世界一位の指先を持つ我が孫を、直接迎えに上がったぞ、か……」
神崎家の現当主である豪蔵が、わざわざ三日の猶予を破り、学校をジャックしてまで俺に執着する理由。
ただ実家に杖戻すだけなら、兄さんを差し向ければいいはずだ。
なぜジジイ本人があんなに焦って直々に動いたのか。
――。
音すらなかった。
本当に、完全な無音だった。
ふと視線を感じて振り返ると、ベランダの窓のカギが内側からカチャリと開けられた。
おいおい嘘だろ、ここマンションの五階だぞ!
不審者にしては命がけすぎる、まさか、ジジイの手先か――!
俺が身構えた瞬間、カーテンをすり抜けて、一人の影が部屋の中に音もなく滑り込んできた。
「……お待たせいたしました、響様」
「いや、待ってねえよ」
月光に照らされてそこに立っていたのは、黒を基調としたぴっちりとした『くノ一姿』の紗雪だった。
布地が薄く、彼女の豊満で引き締まったスタイルがこれでもかと強調されている。
胸元のV字のカッティングからは、暴力的なまでの白肌が覗いていた。
「紗雪ぃ、お前、何でそんな恰好で……」
「神崎家の血筋として、響様が『パソコン特化』の天才ならば、私は『忍び特化』の天才ですわ。この程度の潜入、神崎家の忍びとして朝飯前ですわ」
お前、隠密特化のくノ一のくせに、露出度高めの衣装で潜入してくんじゃねえよ! 色気が限界突破しすぎて俺の理性が秒速500打鍵で崩壊しそうなんだけど!
紗雪はソファの端にちょこんと腰を下ろすと、少し寂しげな、昔本家で一緒に遊んだあの頃の友達としての瞳で俺を見つめた。
「響様、お義祖父様があれほど焦ってあなたを連れ戻そうとしている本当の理由をお教えしますわ。ジジイには、世界的な目的と、個人的な目的の二つがあります」
「二つの目的……?」
おい、なんか、今スムーズにお義祖父様って言ったよな。まだ結婚してねえぞ。
「ええ。まず世界的な目的。神崎家直属のエージェント軍団が現在開発中の次世代VRMMO『Dystopia Log 2』――あれは単なるゲームではなく、世界中の国家メインサーバーや暗号通信を裏から支配するための、世界規模の『超巨大ハッキングシステム』なのですわ」
「……は!? ハッキングシステム!?」
「ええ。ですが、その核となるサーバーに、バグで誰も突破できない最強の防壁が誕生してしまいましたの。それを物理的なタイピング速度だけで内側からブチ破り、世界を支配するシステムを完成させられる人類は、神崎家が誇る世界最高峰のプレイヤ― ――響様、あなたしかいないのです」
国家や世界を裏から牛耳るためのハッキングシステム。
ジジイの目的が想像以上にデカすぎて、俺の背中にドッと冷や汗が流れる。
だが、紗雪はそこでフッと顔を赤らめ、ぴっちりとした黒い衣装の胸元を少し手で持ち上げるようにして、俺を上目遣いで見つめてきた。
「そしてもう一つの個人的な目的……それは、『パソコン特化の響と、隠密特化の紗雪が結婚すれば、知力も身体能力も最高峰の遺伝子が生まれるに違いない!』という、神崎家の最高傑作の血筋作りですわ。狂ったように私との子作り……コホン、婚約を急かしていますの」
「あのクソジジイ、世界征服のついでに孫に盛大なセクハラ結婚強要してんじゃねえよ!!!」
俺のツッコミが室内に虚しく響く。
世界規模の陰謀と、ジジイの個人的な結婚の強要。
だが、恋羽の家が人質に取られ、俺の最友が殺されたという最悪の現実は変わらない。
「お義祖父様の命令は絶対です。ですが、私は家の道具としてではなく、昔のように本当に響様の特別な存在になりたくて、ここへ忍び込んできましたの」
「ぐっ……! 俺は恋羽一筋、恋羽一筋、恋羽一筋……。その兄さんの部屋に誘うのヤメロォ! そこ、胸を持ち上げない!!」
紗雪が潤んだ瞳で俺を見つめ、腕を引っ張る。
フフフ、喧嘩で三十対一で勝利したこの俺だぞ、いくらなんでも……って、力強っ!?
三十人相手に無双した俺が、抵抗もできずにベッドへ拉致られる。
戸惑う俺をよそに、紗雪はベッドの上でトントン、と自分の隣のスペースを叩く。
パソコン特化の俺でも、この至近距離でもお色気の波状攻撃は防壁が突破されそうだ。
脳内の煩悩が「ベッドイン! 今すぐベッドイン!!」と大暴れして俺の理性を焼き殺そうとした――まさにその時。
プルルルルルッ!!!
激しく鳴り響いたのは、俺のスマートフォン。
画面に表示された名前は――【恋羽】。
「ひっ……!?」
この深夜のタイミングでの、正妻(仮)からの着信。
もし電話越しに、この部屋にいるくノ一姿の紗雪の衣擦れの音や、吐息が少しでも伝わったら、明日の朝には俺の人生が社会的ではなく物理的に破滅する。
世界一位の【phantom】様は、ジジイの世界規模の陰謀以上の絶望的な冷や汗を流しながら、震える指で通話ボタンを押すのだった。




