ep.5 修羅場
「ひっ……!?」
深夜の静寂を切り裂いて鳴り響いた、恋羽からの着信。
よりによって、露出度の高すぎるくノ一姿の紗雪が、ベッドの上で「さあ、こちらへいらしてくださいませ……」と、熱を帯びた瞳で布団をめくって誘い込んできた、まさにその瞬間だった。
もし電話越しに、この部屋の衣擦れの音や紗雪の甘い息遣いが一ミリでも伝わったら、俺の人生はジジイに潰される前に、恋羽の嫉妬の炎で灰になる、
「おう、恋羽! こんな夜中にどうしたんだ?」
俺は世界一位のポーカーフェイス(声バージョン)を総動員し、喉の震えを必死に抑えて通話ボタンを押した。
『あ、響? ごめんね、こんな時間に電話しちゃって…………あのね、布団に入っちゃったんだけど、どうしてもさっきのお爺さんの言葉がやっぱり気になっちゃって、眠れなくなっちゃったの』
電話の向こうから聞こえる、少し細くて愛らしい恋羽の声。
俺を本気で心配してくれている彼女の健気さに胸が痛む――が、それどころではなかった。
「ふふ、響様。お電話中ですか? 私が今ここにいることがばれたら大変ですわね」
「――!」
なんと紗雪が、ベッドの上から音もなく這い寄ってきて、俺の背中にその豊満な胸をぴったりと押し付けてきたのだ。
ちょ、お前、電話中! 電話中だって言ってるだろ隠密特化ァアアア!!!
耳元で囁かれる吐息と、背中に伝わる凶悪な柔らかさ。
脳内の煩脳が「ベッドイン確定演出!!」と大狂乱で祭り囃子を踊り始める。
だが、ここで取り乱したら負けだ。
俺はパソコン特化の超高速脳内処理をフル回転させ、完全に「自然なトーン」を装って、息一つ乱さずに言葉を紡ぎ出した。
「ああ、そうだな。俺もジジイの言葉の真意を考えていたところだ。それでもやっぱり世界一位の俺を実家のビジネスの広告塔にしたい、ってことしか思いつかない」
よし、完璧だ。
声のトーン、喋るスピード、どれをとっても完全に「部屋で一人真面目に考えていた男」の自然な演技。
背中で紗雪が「すりすり」とわざとらしく衣擦れの音を立てているが、俺はフィジカル特化の彼女の肉体を必死に片手で押し戻しながら、完全にバレないように隠し通した。
勝った。世界一位のポーカーフェイス(声)を舐めるなよ。
――だが。
『……響。今、部屋に「女の子」いるでしょ』
「え、」
一瞬で、心臓が凍りついた。
声は乱していない。
衣擦れの音もマイクには拾わせていない。
紗雪の吐息だって完璧に手で遮断した。
システム的には百パーセントバレていないはずなのに。
「何言い出すんだ恋羽。幽霊がいるみたいで、こ、怖いだろ……」
『ううん、幽霊なんかじゃないよ……恋羽の「勘」がね、今もの凄いスピードで警報を鳴らしているの。……そこ、おっぱい押し付けられてるでしょ』
ピキィン、と。
スマホの向こうの恋羽の声から、一瞬にして全ての感情が消え失せた。
完璧なロジックを全て飛び越えて、俺の浮気(俺はしてないよ)を寸分違わず言い当ててみせた、恐るべき正妻(仮)の第六感。
絶対零度のヤンデレガチ恋オーラが、電話を通じて俺の部屋の空気を凍りつかせる。
『今から、響のお家に行くね。……三分で着くから』
「え、速、ちょ、恋羽。これには海よりも深い実感の隠密特化事情が――」
ツーツーツー……。
無駄にイケメンな声で呼び止めようとしたが、無残にも切れる通話。
「ふふ、皇さん。なかなかの曲者ですわね。ですが響様、これで邪魔者は来ませんわ。さあ、夜はこれから――」
「これからじゃねえよ! 三分だぞ!? あいつ今から三分でここに突撃してくるんだぞ! お前隠密特化だろ! 早くどこかに隠れろォォォオオ!」
時計の針は深夜二時。
ベッドの上でお色気全開で微笑むくノ一の許嫁と、今からものすごいスピード(徒歩三分)でこちらへ向かって来るガチギレ状態の正妻(仮)。
世界一位の【phantom】様は、この最悪の夜を乗り切るため、ある作戦を企てた。
◇ ◇ ◇
ドンドンドンドンドンドンドン!!!
「響! 開けて! 恋羽だよ! 三分ピッタリで来たよ!」
通話が切れてから、本当に正確無比な三分後。
我が家の玄関ドアが、まるで世紀末の棒とに襲撃されたかのような凄まじい勢いで叩かれ始めた。
深夜二時だぞ!? 近所迷惑っていう概念がガチギレ状態の恋羽にはないのか!?
「お、お前隠密特化だろ! 早くどっかに隠れろオォォオオ!」
俺がパニックになりながらベッドの上の紗雪に叫ぶと、彼女は不敵にフッと微笑んだ。
「お安い御用ですわ、響様。忍びの技術、特等席でご覧あそばせ」
――スッ。
本当に、ただの残像だった。
紗雪がベッドから跳ね上がったと思った瞬間、彼女の身体は音もなくリビングの天井の点検口へと吸い込まれ、一瞬にしてその気配を完全に消し去った。
す、げえ……! さすが隠密特化、チート染みた隠れ身の術だ。
俺は冷や汗を拭い、ポーカーフェイスを無理やり顔面に貼り付けて玄関の鍵を開けた。
「よっ、恋羽、こんな夜中にどうし――」
「女の子はどこ?」
ドアが開いた瞬間、そこに立っていたのは、目に大粒の涙を溜め、背後にどす黒いオーラをメラメラと揺らした、完全なヤンデレモードの恋羽だった。
恋羽は俺の挨拶を無言でスルーすると、ぬるりと俺の脇をすり抜けて部屋の中にズカズカと入った。
「いや、だから誰もいないよ。そうだ、お茶でもだそうか?」
「嘘。恋羽のレーダーが、この部屋のどこかに『巨乳』の気配をハッキリと感知してるもん」
巨乳レーダーなんていう人類未到達のシステムを勝手に起動するな!
恋羽はクンクンと鼻を鳴らしながら、まるで警察権のような鋭さでクローゼットやベッドの下をガサ入れし始める。
だがそこは隠密特化の紗雪だ。
どれだけ恋羽が探そうが、物理的な形跡は一切見つからない。
よし! なんとか誤魔化しきれる。
俺のポーカーフェイスが完全に勝利を確信した――まさにその時だった。
――ポトリ。
天井の隙間から、ひらひらと何かが落ちてくるんが、俺の超動体視界に映った。
それは、神崎家の家紋が入った黒いレースのブラジャー。
天井裏の紗雪がどうせ「ふふ、がんばってくださいまし♪」と落としてきたのだろう。
バカお前それ落ちたら一瞬で即死――!
恋羽が振り返るよりも早く、俺の右手が閃いた。
最高秒速500打鍵が叩き出す、世界一位の指先。
その神速の指先が、空中で黒いレースの布地を残像と共に完璧に掴み取っていた。
恋羽には、ほぼ何も見えなかったはずだ。
俺は掴んだ下着をそのままポケットへ押し込むと、天井の隙間に向かって、世界一位の【phantom】としての冷徹な覇気を込めて、低く、最高にキザな声を響かせた。
「――神崎家の隠密特化が、その程度の悪戯で僕の防壁を破れると思わないことだ。日が登る前までにとっとと自分のネグラへ帰れ」
その言葉と同時に、天井裏から「……っ!?」という、紗雪の余裕を完全に奪われた小さな可愛い吐息が聞こえた。
いつも上から目線で俺を誘惑してくる許嫁のプライドを、完膚なきまでに叩き折ってやったのだ。
天井の奥から、衣服が擦れる音がかすかに響き、そのまま紗雪の気配が本当に遠ざかっていく。
よし、これでアイツは逃がした。あとは――。
「……響? 今、誰に向かってそんな格好付けたセリフ言ってたの……?」
ゆっくりと、本当にゆっくりとした動作で、恋羽が不気味なほどの笑顔で俺を振り返る。
あ、アカン、紗雪を逃がすことに神経を使い過ぎて、目の前の正妻(仮)への言い訳を完全に忘れてた……!!!
「あ、いや……これは、対神崎家用のセリフを考えていたというか……」
「響。夜中に一人、部屋でそんなキリッとした顔でそんなセリフ言っちゃうの……? 恋羽、響の厨二病がちょっと悪化してて、心配、かも……」
「そっちの誤解の方が男としての尊厳が死ぬからヤメテェェェエエエ!!!」
深夜二時八分。
世界一位の【phantom】様は、社旗敵視の一歩手前で、絶望的な叫びを夜の街に響かせるのだった。




