ep.2 襲来
最友を無残な粗大ゴミに変えられ、絶望のどん底で一睡もできないまま迎えた月曜日。
俺はいつもの黒縁メガネとマスクを深く装着し、完全に覇気を失ったゾンビのような足取りで教室の席に座っていた。
「おい響、お前顔死んでるぞ? デートで恋羽ちゃんに絞り尽くされたか?」
先週和解したばかりの元いじめっ子がニカッと笑って背中を叩いてくれるが、今の俺にはそれを返す気力すらない。
猶予はあと二日。PCは壊された。どうする、俺――。
「えー、急だが、本日から我がクラスに編入することになった転校生を紹介する。入りなさい」
担任の言葉に、教室の陽キャたちが「お、転校生!? 男? 女?」とざわつき出す。
ガララ、と引き戸が開いた。
その瞬間、教室内の空気がピキリと凍りついた。
入って来たのは、仕立ての良い学校の制服を完璧に着こなした、圧倒的な美少女。
艶やかな漆黒の長髪に、透き通るような白い肌。
アーモンド形の大きな瞳は、アイスブルーに輝いている。
「……は?」
俺の口から、情けない声が漏れる。
間違えるはずがない。
昨日、駅裏の高級カフェで俺を社会的抹殺リストで脅してきた、あの神崎家が指定した俺の許嫁だった。
「神崎 紗雪と申しますわ。ふふ……やっと見つけましたわ」
彼女は黒板に名前を書くと、教壇の上から、全校の男女生徒の敵に回すような極上の微笑みを、俺に真っ直ぐ向けた。
「「「はあああ!? 響”様”ァァァァァア!?」」」
教室中が爆発したような大パニックになる。
陽キャたちが「おい陰キャ! 何であの超絶美少女にお前様付けされてんだよ!」と俺の胸ぐらを掴みそうな勢いの中、俺の席の斜め前――学校一の美少女である恋羽の席から、パキ、とシャーペンの芯が折れる不穏な音が響いた。
「あら、響様の隣の席が空いていますね。先生、私あそこが良いですわ」
紗雪は優雅な足取りで俺の隣の席へ滑り込むと、机の下で、そっと俺の制服の裾を摘まんできた。
その瞬間、かつて本家に居た時に一緒に泥団子を作ったり、かくれんぼをして遊んだ、あの大人しかったあの幼馴染の女の子の面影がフラッシュバックする。
やっぱり、あの時の紗雪なのか……?
「響君?ちょっと、お話があるんだけど……いいかな?」
キーンコーンカーンコーンと放課後のチャイムが鳴った瞬間。
俺の机の前に、恋羽が立ちはだかった。
いつもなら天使のような笑顔を見せてくれる彼女の目が、今は完全に光を失っている。
いわゆるヤンデレ一歩手前のガチ恋モード。
背後にどす黒いオーラが見える。
「あ、いや、恋羽、これはその……」
「あら、あなたが『皇恋羽』さんですわね? 響様からお話はかねがね伺っておりますわ。いつも婚約者の『お遊び』に付き合って下さって、神崎家の者としてお礼申し上げます」
紗雪がすっと立ち上がり、淑女の笑みを浮かべたまま恋羽の前に立ちはだかった。
婚約者、というパワーワードに恋羽の眉間がピクリと跳ねる。
「……婚約者? 響、そんなおばさんみたいな口調の人と、そんな約束してたの? 響の『初めて』は、私なんだよ」
うん。合体技ね。それじゃ誤解されちゃうよ。
「おば……っ!? ふふ、お戯れを。響様と私は、幼少期に本家で夜通し愛を育んだ仲ですよ? ぽっと出の一般人の小娘が神崎家の正妻の座を狙おうなんて、身の程をわきまえなさい」
夜通し遊んで、”友”愛を育んだ仲ね。
「身の程……? 私、響にソファの上でもつれ合わせて、メガネ外した本気の顔、特等席で見たもん! あなたみたいな冷たい人より、絶対私の方が響は好きだもん!」
う~ん。あながち間違いではないけど、事故だよあれは。
「なっ……響様、本当ですか? ソファでもつれ合うなんて、そんな破廉恥な……っ!!」
学校一の美少女と、本家公認の大和撫子な許嫁が、俺の机を挟んでバチバチと視線で火花を散らしている。
教室中の連中が「ソファ!? 初めて!? 夜通し愛を育むって何だよあの陰キャアアア!」と血涙を流して俺を睨んでいるが、当の俺は
「どっちも顔が良すぎる……そして良い匂いが二倍する……」
二人の美少女の顔が近すぎて、脳内の煩念が限界突破して天を仰いでいた。
だが、そんなくだらないラブコメ空間は、唐突に、そして暴力的に破られた。
――ピキィンッ!
突如、学校内の全ての蛍光灯が激しく明滅し、一瞬にして消灯した。
夕闇の迫る教室内が、不気味な薄暗がりに包まれる。
「ひゃっ!?」
恋羽が悲鳴を上げて俺の腕にしがみつき、紗雪もまた、お淑やかな表情を崩して俺の背中に隠れた。
ただの停電じゃない。
この肌を刺すような、心臓を直接握り潰されるかのような圧倒的なプレッシャー。
廊下から、コツ、コツ、と杖を突く乾いた音が近づいてくる。
その音が俺のクラスの扉の前で止まり、静かにドアが開け放たれた。
そこに立っていたのは、黒を基調とする美しい光沢を纏った着物に身を包んだ、白髪の老人。
老齢でありながら、その眼光は世界をハッキングし、支配するクラッカーの王そのもの。
「――ジジイ……っ!!」
俺の喉から、掠れた声が出る。
神崎家現当主。
俺の最友を裏から物理的に焼き殺し、恋羽や友の家を人質に取った、全ての元凶。
「久しいな、響……三日待つと言ったが、気が変わってな。世界一位の指先を持つ我が孫を、直接迎えに上がったぞ」
ジジイが冷酷に目を細めて笑った瞬間、学校中の電子機器が、一斉に不気味な再起動音を鳴らし始めた。




