#8 素直に笑えたら
「しいちゃん、今日も配信おつかれっ」
「うん、おつかれ。今日も大盛況だったね」
配信が終わり、後片付けをしているつむりとしい。
「しいちゃんの企画のお陰だよ~!」
コメントも盛り上がり、ハイテンションなつむりの笑顔は上気したように赤く、顔から熱気がむんむんと出ているようだ。
「明日からも、もっともっと頑張る! しいちゃんの力があればもっと……って、わわ」
いきなり立ち上がったせいか、バランスを崩したつむりを咄嗟に抱きとめるしい。
「あははー、ごめんねしいちゃん」
「……」
「しいちゃん?」
ふわりと香る、シャンプーと混ざったつむり特有の甘い汗の匂い。
本人は「気にしてないよ」と言いつつ、部室の陰でこっそりデオドラントスプレーを振っているのを、しいは知っている。
耳元から流れる汗の雫が光って見える。つむりと顔が近い。大きな瞳がしいをじっと見つめている。
その瞳に自然と吸い込まれていくしい。もっと顔が近づいていく。つむりは予感したのかそっと目を閉じた――
しいは目を閉じずじっと観察していた。
微かに震えるつむりの長いまつ毛。少しだけ開いた桜色の唇から、甘い吐息が漏れる。しいは思わずごくりと喉を鳴らし、自分の唇を重ねようと――した瞬間だった。
ヴヴヴヴヴヴ!!
「んわあああ!」
耳元でスマホの通知音が炸裂し、しいは飛び起きた。
そして、夢を見ていたことに気づいて全身が茹だったように熱くなった。
(あああ! なんて……夢を……)
近くにあった枕を抱きしめて顔を埋める。
(つむり、いい匂いしたな。……じゃなくて! なにやってんだあたしは!)
傍には重鳴ダンジョンのパンフレットと、「ダンジョン攻略、初心者がすべきこと!」と書かれた参考書。
横になって読んでいる途中で寝落ちしてしまったようだ。
はあ、と大きなため息をつきスマホを見る。
先ほどの通知音はきっとつむりたちか、しゅわらじへのDMか何かだろうと思ったら違った。相手の名前を見た瞬間、一気に体の熱も冷めていく。
「……ほんと嫌い。大嫌い」
既読にしてしまったせいでさらにメッセージが届いた。
また既読がついてしまうので、急いでアプリを落とす。
画面に表示されていたのは、コミュニティからのメッセージではなく、元カレからのメッセージだった。
内容は図々しくも、馴れ馴れしくもある絵文字が混ざっていて、『明日かさダン行くんだろ? 1Fとはいえ素人の女子高生だけじゃ危ないから、ベテランの俺が引率してやろうか? 頼っていいぞ(笑)』と配信を見たであろう内容だった。
別れたあとは音沙汰がなかったのだが、最近、少しレベルが上がったからとか、配信の感想とか、事あるごとにこうしてメッセージを送ってくる。
もう関係はないのに、上から目線の馴れ馴れしい文面に、しいは心底うんざりしていた。
ただ、無下にブロックすることができない絶対的な理由があり、しいは下唇をキュっと噛むしかできなかった。
――スマホの画面の最上部。
元カレの連絡先に表示されている苗字は、『榎本』だった。
スマホの画面から逃げるように部屋の隅に置かれた、今日自腹で買ってきた大量のポーションや解毒剤の入った袋を見る。
お小遣いを限界まで切り詰めて用意した、みんなを守るための命綱だ。
ダンジョン内では死んでも死なない。そんな到底信じられない現象が、ダンジョンという中では当たり前のように起きる。
かさダンの安全性はダンジョンの中でもダントツだが、それでも万が一はある。
「……」
ぎゅっと拳を握りしめる。自分がいなければ、あの危なっかしい3人はすぐにダンジョンで迷子になるかモンスターにやられてしまうだろう。
だから自分がしっかりしなければならないのだ。
それは面倒でもあったけど、なんだかんだ頼られるのは嬉しいのも、しいだった。つむりからお礼を言われると――
(って、ダメ!)
そう自分に強く言い聞かせ、深い思考に陥る寸前で歯止めをかける。
「明日の準備しなきゃ。どうせ……ピクニック気分で来るに決まってるんだから」
再び参考書を開くしいであったが、苛立ちと夢の光景を思い出してしまい、本の内容はまるで頭に入ってこなかった。
☆
彩華は、ゆったりとしたパウダールームの一角、特注のリクライニングチェアに身を預けていた。
足元には、足置きと作業台を兼ねた低めのスツールが置かれている。
メイドが膝を折り、彩華の足の爪に丁寧にペディキュアの筆を滑らせていく。
「彩華様、薬指のゴールド、もう一度重ねてよろしいでしょうか?」
「ええ……一夏の冒険がテーマだもの。強くて、ちょっと派手なくらいがいいかもね」
指先を見つめながら彩華は微笑む。
部屋には甘い柑橘系の香りが漂い、耳に引っ掛からない程度のピアノの旋律が流れ、室内はゆったりとした時間が流れている。
彩華は可愛らしいキャラクターを描くのが好きだった。最近のお気に入りは、アニメタッチのデフォルメされたキャラを描くこと。
手にしているタブレットには、しゅわらじメンバーが笑ったり泣いたりしている画面が映っている。
「ダンジョン攻略配信用で、変装させようかなあ。つむりちゃんは、戦士系で、しいちゃんは魔法使い、ほるすちゃんは弓使い。ふふ、面白そう」
タブレットの上で、それぞれの個性が形になっていく。
いつも元気なつむりちゃんは、身の丈ほどある大剣を構えた勇者風に。
しいちゃんは、知的な眼鏡を光らせて分厚い魔導書を抱えるクールな魔法使い。
ほるすちゃんは、ちょこんと座って自分より大きな弓を抱えるエルフ風の狩人に。
「あ、つむりちゃんの装備はもう少し露出少なめにしないと、ふふふ」
楽しげに鼻歌を交えながら、彩華はキャラクターの衣装を微調整していく。画面の中の彼女たちは、現実と変わらずワイワイと騒がしく、そしてとても輝いて見えた。
再び、手にしていたタブレットの上をペンが走り出す。彩華の言葉に反応はないメイドだったが、その無言の対応こそが彼女なりの返事であった。軽やかな手つきで次の指に作業が移る。
しばらくして、彩華は足を上げ、出来上がったネイルを満足そうに眺めた。
「お嬢様、明後日の橘様の立食パーティーの件ですが」
頭を伏せたまま、メイドは遠慮がちに口を開くと彩華は笑ってそれを制した。
「分かってる。自由にさせてもらってるんだから、顔くらい立てるわ。……なんだっけ、あのお坊ちゃまの名前。興味ないことはすぐ忘れちゃうから、適当に情報まとめて明後日教えてくれる?」
「かしこまりました」
彩華のふんわりとした口調はなくなっていた。どこか冷めたような目で天井を見上げる。ゆっくりと回るシーリングファンを無意味に目で追いながら気持ちを切り替えるように息を吐く。
重鳴ダンジョンが出現した土地を所有し、発生前に住民を計画避難させたことで人的被害をゼロに抑えた重鳴市の名家――国武家。
今やダンジョンを『観光地』として都市開発の核として推し進める一大プロジェクトのトップに君臨しているのが、彼女の生家だった。
もちろん、つむりたちは彩華の家のことを知っている。と言うより、国武という名前だけで、重鳴市民は表情を変えるのだ。お近づきになりたい、金を巻き上げるだけで楽でいいよな、その両極端。
明後日の立食パーティーも、ただの社交界の集まりではない。ダンジョン運営に関わる政治家や企業幹部たちが集い、観光客の誘致や、ダンジョンが餓死しないための刺激策について思惑をぶつけ合う。
要するに、ドロドロとした大人たちの腹の探り合いだ。
重鳴市は狂っている。それが彩華の揺るぎない評価であった。
「国武の娘として、常に気品を保ち、優位に立て……お父様もお祖父様も、いつもそればっかり。私が興味あるのは、ダンジョンがどうやって経済を回すかじゃなくて、つむりちゃんたちがどうやったら笑顔になるか、なのにね」
メイドが差し出した冷たいハーブティーを一口含み、ため息とともに言葉を吐き出す。
「あんな息の詰まる場所に行くくらいなら、1Fで水遊びしている方がよっぽどマシよ。それに、今のダンジョンのやり方……人を中毒にさせて誘導するような仕組みも、なんだか好きになれないし」
(元々は、あの地下に沈んだ場所にも……沢山の人の暮らしがあったのだから)とは、口には出さなかった。
本音をこぼすと、メイドは困ったように「お嬢様……」と眉を下げるだけだった。
彩華にとって、家の権力も損得勘定も関係なく、ただ純粋に笑い合い、自分のために躊躇なく水たまりへ飛び込んで泥だらけになってくれる『しゅわらじ』のメンバーとの時間は、窮屈な鳥籠から抜け出せる唯一の逃避行なのだ。
だからこそ、彼女たちの前ではただの『ちょっと天然で、マイペースな女子高生・彩華』でいられる。普通の女の子として扱ってくれる。素でいられる。
「ふふ、ごめんね。あなたの前だとつい愚痴が漏れちゃうの」
彩華がふと笑うとメイドの頬も僅かに緩む。その表情が返事であった。
「それより、私はどんな職業が似合うかな?」
「もちろん、お姫様でございます」
「あー、それ皮肉言ってるでしょう!」
彩華が笑うと、メイドも笑顔を見せる。とても柔らかで、控えめで、彩華の心情を察してくれていると分かる。
彩華にとってこの瞬間も、つむりたちと過ごすほかに大切で尊い時間であった。




