#7 だいなまいと☆ないと
風呂上りの湯気を纏った女が閉め切られた薄暗い室内にのそっと現れる。
髪も乾かさずタオルを頭に巻き、冷えたビール片手に、タンクトップにショートパンツというラフな姿だ。
ガラス製のノートパソコンの前にあぐらをかくと、ぷしゅっとプルタブを開いてモニターを見つめている。
「……高位種怨霊思念体。かさダンには出るようなもんじゃない……けど」
画面には、ほるすの後ろに一瞬だけ現れた骸の山が映っている。
ぐいっと缶をあおり、するめを咥えながら腕を組む。
念のため、注意を促す意図でDMを送ったものの、彼女たちを怖がらせてしまっただけかもしれないと、自分らしからぬ行動に悩んでいた。
けれど、用心に越したことはない。
仮に問題が起きた際、解決の種になればとの思いだった。
あれは本来、ダンジョン内で命を落とした無数の冒険者たちの無念が寄り集まって生まれるものだ。
環境マナが極度に濃い、深い階層でしか発生しないはずの存在が、なぜ観光地化された1Fの安全エリアに湧きかけたのか。
ダンジョンの生態系のバグか、それとも――
実体はないように見えたので危害はなさそうだと判断するが、女はとりあえずスクショを取り、ほるちゃんフォルダに格納した。
「ほるすちゃん……」
女は画面をじっと見つめたまま動かない。しばらくして画面をタッチして次の画像へ。次に映ったのは水たまりではしゃぐつむり、彩華、ほるすたちだった。女のするめを噛む速度が上がる。
水しぶきで笑顔が弾けるつむり。ジャンプして水たまりに入るときの彩華の動きを行ったり来たりさせ、胸の揺れを確認しては「ううん」と悶えている。
保存。とりあえず、保存だ。女の基本行動はとりあえず保存である。
そしてすかさずビール2本目に突入する。
困惑しながらも控えめな笑顔を送るほるすや、大荷物で着衣が乱れたしい。それぞれのフォルダの仕分けが忙しい。ぐびぐびとビールが喉を通る音が止まらない。
「んはああああ! どうして水たまりでばしゃばしゃしてるだけなのに、尊いのおおおお!」
女はついに我慢できずに後ろに倒れ込んで悶絶した。
「……問題ない……と思うけど、もしあれが動くなら、見に行かなきゃか」
目元が一瞬だけ険しくなる。ことを終えた女は不意に真顔になり、そう呟いた。
ほんの僅かなざわめき。
彼女はいつもこの感覚を大事にしていた。
ダンジョンの最奥に眠る『核』を保護・管理しようとする行政側の人間――いわゆるダンジョンに敗北した平和主義者が、一般人を巻き込むようなありえない行動に出るはずなんてないと思う。
「どちらにせよ、監視は必要ね」
はあ、とため息を吐く視線のその先、壁に立てかけられている得物を見る。
彼女の背丈くらいはあろう、両端に剣のような刃がついた両刃剣が佇んでいた。
――その一方、つむりの部屋では。
晩ご飯を食べ終えたつむりとほるすは、それぞれお風呂に入って、きれいさっぱり汗を流してきた。
つむりとほるすは小学生からの付き合いで、つむりはほるすの両親とも仲が良い。
ほるすの両親も寛容な人たちで、つむりと一緒だと分かると、晩ご飯もお泊まりも許してくれる。
つむりの祖母も、ほるすをもう一人の孫のように可愛がってくれ、店の前にあるガチャガチャだってなくなるまでやらせてくれるくらい甘やかす。
タンスや押し入れには、ほるす専用の下着やら寝間着、私服も何着もある。ほるすのもう一つの家といってもいいだろう。
「まずわたしがやるから見ててよー、本登録はしちゃだめなんだって!」
「……うん」
ベッドの上、寝間着姿で二人で寝転びながら、ほるすはつむりのスマホに映る冒険者登録画面を真剣に見つめている。
つむりにはおばあちゃん譲りの青のラインがあり、ほるすの銀色の髪には、隠れるように赤のラインが何本もある。対照的な髪色を持つ二人は、つむりとほるすの体格差もあってか、本当の姉妹に見える。
よく間違えられたりもするが、二人は同い年だ。
「榎本つむり、16歳、女、身長は153センチ、体重……って、えええ、こんなのまで入れるの! ええと、もにょもにょと。スリーサイズまで!?」
「……ほるす、わかんないよ……」
「うーん、おばあちゃんから後で測るやつ借りてくるよ! とりあえず、90・54・88と」
「……だいなまいと」
「へへ! いいんだよっ、どうせわかんないもん! あとは~、うっ、まだこんなにある……!」
スクロールしてもスクロールしても、入力項目が続く。
簡単な質問に溶け込むように、しれっと『ダンジョン内での身体的欠損が生じた場合の免責事項への同意』など、恐ろしい文言が並んでいるが、画面の端では可愛いマスコットキャラクターが笑顔で案内しているため、不思議と恐怖感は薄れていた。
「ほる、もう一緒にやってこっか、これ眠くなるやつだ!」
「うん……わかった……」
ほるすもスマホを取り出し、並べながら一つずつ一緒に入力していく。
「えへへ」
「……?」
急に砕けたように笑うつむりにほるすは首を傾げた。
「楽しいね!」
「……うん」
その会話だけで二人の間に、笑みが生まれ、親密な空気が流れる。
「明日、どんなスキル手に入るかな! わたし、魔法使い系がいいんだよね!」
「ほるすは……二刀流……。しゅばば」
「なにそれかっこよ! 遠距離と近距離で相性ばっちりじゃん!」
そんな話を続けながら入力を進め、本登録前までで下書き保存まで完了した。疲れたーと二人は両手両足を伸ばす。続けさまにしいからチャットが飛ぶ。
長々と明日の注意事項やら持ち物のリストやらがしいから送られてきた。あまりにも長すぎたので2人とも返事しないでいると、「既読は確認済とみなすからな!」とチャットが続いた。
二人は顔を見合わせると「あはは」と笑い合う。
「さて! わたしはDMとか返信とか返していくね! 今日もたくさんコメントとか感想とか来たんだ! ええと、ほる推し一年生さんに、聞き専マンさんに、ごめん王さんに……、さえこさん。あと、風切りのジンさん!」
「つむは、まじめ……」
「ふっふーん。お話するのも楽しいし、もっと仲良くなればもっともっと配信見てくれるかもでしょ? 一人でも多くの人がしゅわらじ見て、楽しんでくれたらこんなに嬉しいことはないよっ」
「見てていい……?」
ほるすはぎゅっと隣に寄り添うように、うつ伏せになっているつむりに並ぶ。どうやら構って欲しいようだ。
「えーDMの内容っ? うー、ちょっと恥ずかしいけど……いいよ! でも笑わないでよ?」
「うん」
(甘えてくるほるす、かわいいなあ。ほんと妹みたい。って言ったら、怒られちゃうかもだけどね!)
つむりは内心でこっそり微笑みながら画面を見せたが、ほるすはしばらく眺めているうちに、ころんと枕に顔を埋め、そのまま静かな寝息を立てて眠りについてしまった。
「……おやすみ、ほる」
つむりは薄手のシーツを肩まで掛けてやり、自分も一緒にその中に入る。
「ほんとは、ダンジョン配信はしたくなかったんだけど」
つむりの心情は複雑であった。
部屋の照明を少し落とし、再びスマホの画面に向き合う。
暗い部屋の中で、液晶の青白い光だけがつむりの顔を照らしていた。
『通知:新着のコメントが届きました』
そのポップアップが出るたびに、胸の奥がきゅっと満たされるような感覚がある。自分たちの行動が誰かに見られ、認められ、数字となって積み上がっていくのは、つむりにとって一種の快感をもたらしている。
ダンジョン配信をしたくないという気持ちと、したことによる宣伝効果の大きさをどうしても比べてしまう。
今日の反応を見るに、やはりつむりにとっては、しゅわらじの知名度を上げることが目的でもあり、大丈夫と勝手に納得する自分の感覚に身を委ねるしかなかった。
こうやって配信外でも積極的に視聴者と触れ合い、新しい出会いや反応を求めてネットの海を漂うのは、つむりにとって欠かせない日課だ。
それはもう、いつまでも止められないある種の中毒――依存症とも呼ばれるものであった。
隣から聞こえるほるすの穏やかな寝息を聞きながら、つむりのスマホのライトは夜が更けても暗くなることはなかった。




