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8.疑惑

 トラン男爵の屋敷へと戻る馬車の中。


 ——私とアランは、ただ黙って馬車の揺れに身を任せていた。


 すっかり夕闇が辺りを包み、遠ざかる森は大きな黒い塊となって、私を拒んでいるように見える。


 (あれは確かにジェフリーだったわ。やっと、会えたのに……私のことが分からないみたいだった。それにあの女性は……誰?)


 頭の中で答えのない問いを繰り返すたび、私の心は散り散りに乱れた。

 


 気持ちの整理もつかないまま屋敷に到着すると、トラン男爵が私を待ち構えていた。


 けれど、私は疲労を理由に晩餐の誘いを辞し、そのまま部屋に閉じ籠ってしまった。

 


 トントン――。


 

 バルコニーの窓から小さなノックが聞こえ、気怠さの残る体を起こし目を遣ると、人影が映っている。


 (アランだわ)


 「()()()、部屋の扉はあちらよ」


 「俺が未亡人の部屋をこんな遅い時間に訪ねたら、あらぬ噂を立てられるだけだろ」


 「それはそうだけれど……。それに、私は未亡人ではないわ」


 「……もし、昼間の男のことを言っているなら、他人の空似だ。あの濁流に飲まれて生きている方が不思議だ。タチアナは見ていないから――」


 「やめて! 空似ですって? アラン、あなた、本気で言っているの? 幼馴染の顔も忘れただなんて、ずいぶん薄情な方ですこと」


 アランは大きく息を吸い、すべてを吐き出すように深いため息をついた。


 「わかったよ、タチアナ。そんなに興奮するな。食事もしないで……また倒れてしまうぞ。森の男のことは俺が調べるから、とにかく何か口にしてくれ」


 私を押し退けるように部屋に入ると、アランは手に持った包みをテーブルに広げ、果物や飲み物の瓶を並べた。


 手際よくリンゴの皮を剥き、お皿にのせてフォークを私に手渡す。


 シャクッ――。


 みずみずしい果汁が乾いた喉を潤していく。


 「美味しいわ……」


 「そうか、良かったよ」


 私は、バルコニーの手摺に、音もなく一羽の鳥が降り立ったのを目の端で追った。


 バルコニーを背にしているアランは気づくはずもない。


 (マレ……。あなたの助けがいるわ)


 シャクシャクと咀嚼する音だけが響く部屋で、私たちは次の言葉を見つけられずにいた。


 ◇


 翌日、アランは再びあの森へと出掛けて行った。


 私もついて行くと食い下がったが、アランは最後まで首を縦に振らなかった。


 それで仕方なく、ボナパルト家から伴ってきた騎士から腕の立つ者を二人選び、別の場所を調べることにした。


 私は馬車で村を走り抜け、村はずれの集落を目指した。


 (トラン男爵に渡された地図にはなかった集落よ。男爵家の使用人に金貨を握らせて描かせた地図が、やっと役に立ったわね)


 男爵の人柄を考えると、反発心を抱いている使用人を探すのは容易いことだった。


 「タチアナ様、あの木造の囲いの中が地図の集落のようです」


 騎士の指差す方向を見つめると、確かに道の先に2メートルほどの木の板の連なった囲いが見える。


 村の中心から馬車で30分ほど走らせた場所で、周りは平原が続いている。


 ゾラ村を挟んで北側にこの集落が、南側にミロの住む森が位置し、この集落の裏手には岩肌を剥き出しにした山がそびえていた。


 「タチアナ様、本当にここで馬車を止めて宜しいのですか? こんな場所を歩かれたとアラン様がお知りになったら……」


 馬車の外から、騎士が不安そうな表情で尋ねてきた。


 「大丈夫よ。当主代理としての仕事を全うするだけだから。それに、あなた達がついているじゃない。まさか、そのボナパルト騎士団の徽章(きしょう)や剣は飾りではないでしょう?」


 村人を怖がらせないためにマントを纏っているので、騎士の徽章や剣が見えないが、私はボナパルト家の騎士たちを信頼していた。


 集落に足を踏み入れると商店や独立した家はなく、十数の連なった住まいの棟がいくつも並んでいた。


 「ゾラ村ほどではないけれど、思ったより大きな集落なのね」


 「そうですね。しかし、ゾラに比べると……ケホッ、えらく衛生管理が悪いように感じます。ケホッ」


 騎士は話すたびに悪臭が鼻をつくのか、軽く咳き込んでいる。

 

 「使用人の地図では、あの山を囲うようにこういう集落がいくつかあるようだったけれど、他も同じ様子なのかしら?」


 「恐らく、そうでしょう。若い頃、私も各地を巡りましたが、その……一部の貴族のせいで、貧しい者たちが虐げられながら生きるのは当たり前でした」


 「そう……。ここにいる人たちへは支援物資は届いていないようね」

 

 家々の外で煮炊きをしている女性たちの鍋には、どれも水と僅かな食材しか入っていない。


 どの女性と子どもも痩せ細り、怯えた瞳で私たちを窺っている。


 ゾラ村の人々、ミロや亜麻色の髪の女性……そしてジェフリーの健康的な様子を思い出し、私は違和感を覚えた。


 「タチアナ様、ここには高齢の者と女性、幼い子どもしかおりませんね。働き盛りの男たちの姿が見えません」


 「本当だわ。男性たちはどこへ行っているのかしら?」


 しばらく、騎士は注意深く観察していたが、何かに気づいたようだった。


 「タチアナ様、岩山のあの部分をご覧ください」


 周りに悟られないように、騎士は視線だけで私に場所を示した。


 目を凝らすと、山肌の穴を出入りする人影がいくつも見える。


 「詳しく調べる必要がありそうだけれど……そろそろここを離れたほうが良さそうね」


 岩山の人影が、集落へ向かってぞろぞろと下り始めていた。


 遠目でも、人影の重い足取りが感じられる。


(身体の芯まで疲れ切っているようね。農作業でないなら……トラン男爵は何をさせているの?)

感想やリアクションをいただけましたら、とても励みになります。

感想へのお返事は控えさせて頂きますが、大切に読ませていただきます。

よろしくお願いします。

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