5.愛しい人
男の子を抱きかかえたアランと私は、男の子の指差す方向を頼りに歩き始めた。
先ほどまで歩いていた通りは舗装もされていなかったが、村の目抜き通りだったらしく、通りを離れるにつれてだんだんと家がまばらになってきた。
かわりに、収穫された後の小麦畑や小さな果樹園、遠くにいくつかの作業小屋が見える風景へと変わっていた。
「おい、坊主。本当にこの森の中にお前の家があるのか?」
アランのぶっきらぼうな質問に、男の子はこくりと頷いた。
目の前には鬱蒼とした木々が生い茂り、森へ続く道は雑草で覆われている。
村の中心地から森まで1キロメートルほどだろうか。
幼い子どもでも歩けない距離ではなかったが……。
(こんな道をひとりで? きっと、親御さんは心配しているわ。怒られでもして、ひとりで村へ向かったのかしら?)
「坊や、ずいぶん冒険したのね。きっとお父様とお母様は心配しているわ」
私は笑みを浮かべながら、男の子の涙の乾いた頬を軽くつついた。
すると頬を膨らませ、小さな声でごにょごにょと何かを言っている。
「……おとうさんなんかいないもん。ほんとうのおとうさんなら、あんなにおこるはずないもん」
アランと私は顔を見合わせた。
「ははん、坊主。さては、いたずらでもして親父に叱られたか。アハハハッ」
「ぼくはぼうずじゃない……ミロだもん」
「素敵な名前ね。ねぇ、ミロ、お父様のことが大好きだから、そんなに怒っているのでしょう? きちんとお父様にごめんなさいしないとね」
私がしゅんとしたミロの頭を優しく撫でて言い聞かせていると、アランはわざと茶化すように声を掛けた。
「ミロ、いったい何をしでかしたんだ? まぁ、なんだ、一人で家を飛び出すとは、なかなか骨があるな」
(ぷっ、アランったら、それで元気づけているつもりなの? 不器用なんだから)
「ぼくわるくないよ。このきれいなリボンをちかくでみたかっただけなのに……」
ミロの小さな手がポケットに伸び、丸められたリボンを取り出した。
少しくたびれてはいるが、大切にしていたことが分かる――私はリボンを見た途端、ドクンと胸が大きく鳴った。
「このリボンは……」
間違いない――淡いローズピンク色のリボン。
私が二ヶ月前、ジェフリーに贈ったリボンだ。
「どうして……ミロのお父様が持っていらしたの? ねぇ、ミロ!」
「お、おねえちゃん、いたいよぉ」
「タチアナ!」
アランはとっさに私の手首を掴んだが、その瞳にも明らかに動揺の色が見て取れた。
ミロも急に取り乱した私に怯えている。
「ああ、ごめんなさい。あなたを怖がらせるつもりはなかったの。そのリボンが……あまりにも私の大切なリボンと似ていたものだから……」
「おねえちゃんのたいせつなりぼん?」
小首を傾げ、小さな頭を少し悩ませた後、ミロは小さな手でリボンをそっと私に差し出した。
「これ、おねえちゃんのなの? うーん、じゃあ、かえしてあげるよ」
私は震える指先でリボンを掴むと、ミロの手からするりと解けた。
指先に触れている刺繍を急いで確かめる。
――私とジェフリーのイニシャルがはっきりと刺繍されている。
「間違いないわ……私が施した刺繍よ」
「ちょっとまってくれ、タチアナ。一体どうして、ミロの父親がこれを持っているんだ? い、遺体から盗んだのか……」
「アラン! 不用意な発言はしないで。とにかく、ミロのお父様と会う必要があるわ」
私たちはミロの案内で、森の中を進んだ。
アランはミロを抱きかかえたまま、もう片方の手で私の手をしっかりと繋ぎ、口をきゅっと堅く結んでいた。
私は足がもつれるたび、ふらりと眩暈を覚えた。
アランに手を引かれるがまま、どのくらい歩いたかも分からない。
少し開けた所に出ると、せせらぎの向こうに煙突から煙をくゆらせている粗末な小屋が現れた。
小屋の前に、大きく斧を振りかぶって薪を割る男性の姿と、それを優しい眼差しで見守る女性の姿が見える。
男性は背がすらりと高く、均整の取れた背中の筋肉、引き締まった太腿――そして、陽の光さえも飲み込んでしまいそうな美しい金色の髪。
「ジェフリー……ああ、神様……ありがとうございます。やっと会えました……」
たとえ後ろ姿だとしても、見間違えるはずがない。
私が声を出すよりも先に、柔らかな亜麻色の髪をした女性が、ミロに気づきぱっと表情を明るくした。
「ミロ! やっと帰ってきたわね」
「おかあさん!」
ミロは身をよじってアランの腕を解くと、迷いなくせせらぎの中をじゃぶじゃぶと走り抜け、その女性の胸へ飛び込んだ。
「ハハッ、お腹が空いて帰って来たのか? もう、怒っていないからリボンを返してくれ。ちゃんと言ってくれたら、見せてあげるから」
ジェフリーは、優しく微笑みながらミロを抱き上げた。
「りぼんはもうかえしたよ。あの、おねえちゃんに――」
「えっ?」
ゆっくりとジェフリーが振り向き、私の姿を捉えた。
目と目が合った瞬間――ジェフリーは、私を赤の他人を見るような警戒を含んだ目でまじまじと見つめた後、軽く会釈をした。
(どうして……。私のことが……分からないの? ジェフリー……私よ……あなたの妻、タチアナよ……)
声にならない声が、私の喉の奥を締め付ける。
頭が混乱して立ち尽くしている私の肩を、アランは強く引き寄せた。
その時、ジェフリーの表情がわずかにこわばり、視線がアランの手に注がれたような気がしたが、逃げるようにミロを抱いたまま小屋の中へと姿を消した。
その後を亜麻色の髪の女性も追いかけたが、小屋に入る前、振り返り私たちにぺこりと頭を下げた。
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