4.思わぬ出会い
翌朝、トラン男爵と不愉快な朝食を共にした後、アランと村の中へ繰り出した。
「タチアナ、長いマントでは歩き辛いだろう。ほら」
アランが前を向いたまま足も止めず、私の手を取った。
私は少し小走りになりアランと並ぶと、目深に被ったフードの端を少し持ち上げて、その横顔を目で追った。
「ん? どうした?」
視線に気づいたアランが、スッと足を止めた。
「ううん……ありがとう。アランの変装はその眼鏡だけなのに、私はこんなに大きなマントを羽織っているから」
「俺はどこにでもいる栗毛に緑の目をした、ただの若い男だ。こうして、平民の服に眼鏡をかけるくらいで十分さ。大げさな変装をする方が、人目を引くってもんだ」
(そうかしら。夜会ではいつも令嬢たちの注目を集めていると思うけれど)
私は、アランのすっと鼻筋の通った小鼻や、キュッと口角が上がった形の良い唇に目をやった。
「不満そうだな、タチアナ。お前は自覚が無さ過ぎるぞ。レディたちは嫉妬を滲ませた羨望の眼差しを向け、男たちときたら……お前の気を引こうとまるで雄の孔雀だ」
「ふふ……買いかぶり過ぎよ。それに、皆、ただ成り行きを面白がっているだけ。いつ、ボナパルト家から追い出されて、ただの子爵令嬢に戻るか……楽しみにしているのよ」
——婚約したばかりの頃は、夫ジェフリーに心を寄せていた令嬢たちから、『しがない子爵令嬢ごときが』とよく嫌がらせを受けたものだ。
(負け犬の遠吠えだと思って、相手にしなかったけれど……。それを知ったジェフリーが、令嬢たちを一蹴したのには驚いたわ)
ジェフリー・ボナパルトと言えば、社交界きっての美男子。
おまけに、熱烈な令嬢たちにも嫌な顔ひとつせず紳士的に振る舞い、穏やかな性格だと思われていたのだが——。
令嬢たちの私への嫌がらせを知ったジェフリーは、すぐさま彼女たちの家門に圧力をかけた。
その後も、私に礼を欠いた貴族たちには厳しく一線を引いた。
(あの頃は、愛のない政略結婚と割り切っていたし、家臣や妻の家門に振り回されるのを嫌ったジェフリーが、力のない家門の私を選んだのだとばかり思っていたから……)
婚約の儀で見せたジェフリーの笑顔も、心遣いも、私は『どうせ義務でしょう』と、淡々と受け流した。
でも、本当は……ジェフリーのひとつひとつの仕草に胸の奥が揺れ、どこかで愛情を期待していた。
——ふと蘇った記憶に思わず笑みがこぼれた。
(早くジェフリーに相応しい女性になりたくて、背伸びしていたのね)
「何が可笑しいんだ? まったく……タチアナは自分の魅力を分かってないな」
アランの不満そうな声で現実に引き戻された。
「え? ……んー、アランはいつも大げさなのよ」
不意に強い風が道を横切り、はだけたマントの裾を押さえようと俯いた拍子に、フードがずり落ちた。
「きゃっ……風が強いわね」
腰まである私の髪がふわりと宙を舞った。
「きれい……」
その声に振り返ると、私の淡いピンクがかったプラチナブロンドの髪を、小さな手が掴もうとしていた。
「何をする!」
アランが咄嗟にその手を軽く振り払った。
「あっ、危ない!」
私が思わず声を上げたのは、小さな男の子だったからだ。
抱き止めようとしたが、あっけなく男の子は乾いた土の道に倒れ込んだ。
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇーん」
どうみても、まだ4歳くらいだろうか。
「アラン! あら、あら、坊や、大丈夫? ひとりで立てるかしら?」
できるだけ穏やかな声であやすと、男の子の体を優しく持ち上げて立たせた。
「小さくても男だ。このくらいの力で倒れるとは……鍛え方が足りないんじゃないか」
アランはちらちらと私を気にしながら、自分は悪くないとばかりに口を尖らせている。
「アラン、あなた、騎士でしょう? まぁ、手のひらから血が出ているわ」
「そんなもんは、舐めときゃ治る」
私はアランの言葉を無視して、男の子の手にハンカチを巻いた。
見知らぬ人たちからの仕打ちに驚いた男の子は、しくしくとべそをかいたままだ。
「困ったわね。ねぇ、坊や、お家はこの近くかしら? このお兄さんがごめんなさいね。お詫びといってはなんだけど、あなたをお家まで送ってあげたいの。いいかしら?」
「タチアナ、どうして俺たちがそこまで……。やらなきゃいけないことが山ほどあるっていうのに」
「もうっ、アランったら……。それに……ゆっくり周りを見て」
私の小さな声に何かを感じたアランは、顔を動かさず目だけで素早く周囲を確認した。
道にいるのは私たち三人だけ。
粗末な平屋の家々は静まり返っていたが、カーテンの奥からこちらを窺う影が揺れていた。
「村人って、もっと団結力があるのではないの? それに、こんな幼い子が一人でいるのに」
「なるほど。これは、この子を送って行けば、何か分かるかもしれないな」




