3.疑惑の家臣
「奥様、トラン男爵の封土ゾラ村に到着いたしました」
御者が馬車の小窓を軽く叩き、到着を告げた。
帝国では、まず、大貴族たちが皇帝から大きな領地の経営を任される。
そして、各領地を治める大貴族が、家臣の小~中貴族に封土として分割して管理を任せる方式を採っていた。
大貴族であるボナパルト家は、ゾラ村を含む封土をトラン男爵に任せている。
ゾラは封土の中でも農業が盛んな村だが、ここ数年、納税が不自然に減っている村だ。
それで、他の町や村は調査対象とせず、ゾラにだけ焦点を当てたのだった。
(いつの間にか眠ってしまったのね。あの日の夢を見るのは、もう何度目かしら)
アランが先に馬車を下り、私に手を差し伸べた。
私は素直にその手に手を重ねた。
アランはいつもの軽口を封印した代わりに、私の手をきゅっと強く握った気がした。
「心配しなくても、トラン男爵にケンカをふっかけたりしないから。今回は、あくまでもお金の流れの調査よ。当主代理としてね」
「……そうか。でも、トラン男爵はジェフリーの葬儀を強く求めた家臣の一人だ」
「あなたもその一人よ。だからといって、私があなたを蔑ろにしたかしら? 理由なく家臣を冷遇した覚えはないわ」
「ジェフリーの死を認めたくないのは分かる。だけど、タチアナのためなんだ。いつまでも、当主不在ではタチアナの立場が危うくなる。ジェフリーなら、自分を犠牲にしてでもタチアナを守ってくれと言ったはずだ」
強い口調であるのに、アランの視線はどこか空を彷徨い、微かな翳りを感じさせた。
「私を守るですって? 社交界では、私をたったひと月で夫の葬儀を執り行った『冷血女』と呼んでいるそうよ。私は諦めてなんかないわ。ジェフリーは必ず戻ってくるって……約束したんだから」
あの橋を渡ったせいか、いつもより感情的になった私の瞳にじわりと涙が浮かんだ。
——「ようこそ、侯爵夫人……いえ、タチアナ様」
ねっとりと湿った声で挨拶したのは、トラン男爵だった。
でっぷりとしたお腹を突き出し、左右に反り上がった細長い口髭をしきりに撫でつけながら、愛想笑いを浮かべている。
(いつ会っても、不快な男ね)
「トラン男爵、久しいな」
アランはさっと私の前に立ち、涙を指先で拭う姿を隠してくれた。
「ああ、これは、これはデセル伯爵様。お会いするのは、主君の葬儀以来でしたな。あれは立派な葬儀でした」
「口を慎め、男爵」
(デセル伯爵め。相変わらず生意気な若造だ)
「あら、何を今さら。トラン男爵、出迎えに感謝するわ。早速だけれど、あなたの執務室へ案内してちょうだい」
(いつも遠目でしか拝めなかったが……やはり、そそられる女だ)
私はトラン男爵の視線を感じ、思わず髪を整えるふりをして顔をそむけた。
トラン男爵はニヤリと黄色い歯を見せ、堂々とした歩みで私たちを執務室へと案内した。
それから、3時間――アランと共に、トラン男爵が出した帳簿のほか、穀物の在庫帳や村民の納税台帳、収穫帳など諸々の資料と照らし合わせたが、何も不審な点は見つからない。
むしろ、どの帳面も誰かが“都合よく整えた”かのように、ぴたりと辻褄が合った。
「アラン、やっぱり収穫量と在庫の差異もないし、不審なお金の流れも見当たらないわ。確かに、帳面上でもゾラ村は不作で間違いないわ……でも、隣のアチェ子爵の封土は豊作だったのよ。隣り合った封土でそれほどの差が出るはずはないのに」
「ああ。アチェ子爵の収めた税収に比べると、トラン男爵はあまりにも少なすぎる。しかし、それを証明しようにも、収穫した後だ。きっと、穀物倉庫を調べても空っぽの倉庫を見せられるだけだろうな」
「ふう……困ったわね。トラン男爵の要請でボナパルト家はかなりの支援物資を送らされたのよ。これでは、ただ私腹を肥やさせるだけだわ」
「そうだな。しかし、侯爵家の支援物資が、本当にすべての村民に行き渡っているかは疑問だがな」
「まさか……馬車から見えた村民たちに困窮している様子は無かったわ。さすがに、トラン男爵も支援物資までは横領はしていないんじゃない?」
「どうだか。たしか……前男爵に取り入り、婿入りを果たした抜け目のない男だ。それに、村民の姿が少なかったのも気になる」
「農作業に行っているのではなくて?」
「この村は不作なんだぞ。それに、煙の上がっている家も少なかった。以前より人影も減った感じがするし……」
「アラン……あなたが言いたいことは分かったわ。これ以上、ここを調べても何も出ないでしょうね。いいわ、明日は少し村内を見て回りましょう」
私が諦めたように手にしていた資料を棚に戻すと、アランは満足げに小さく肩をすくめた。
そこへ、トラン男爵が何食わぬ顔で執務室へ入ってきた。
「タチアナ様、その……抜き打ち検査は終わりましたでしょうか? いやはや、今日はお疲れでしょう。そろそろ晩餐でもいかがですか?」
トラン男爵は、憎らしいほどの余裕の表情で私たちを晩餐に誘った。
「そうね。抜き打ち検査に協力してくれて、ありがとう。男爵がお気を悪くしていないか心配だわ」
「まさか! これもご当主の立派な仕事ではありませんか。私のような者まで気に掛けてくださるとは……ぐふふ。美しいタチアナ様を食堂までエスコートする栄誉をいただけますかな?」
この言葉を言いたくてうずうずしていたとばかりに、トラン男爵は口の端に泡を溜めながら一気にまくし立てた。
(私は当主代理だと何度言えば分かるのかしら)
ひと月前、ジェフリーの葬儀をしたが、あくまでも当主はジェフリーだという主張を譲らなかった。
私は嫌悪感を表情に出すまいと、貼り付いた笑顔のまま黙って手を差し出した。
いつの間にか背後に立っていた男爵夫人の視線と、アランの気配が背中越しにひりりと感じる。
(望んだわけでもないのに……。男爵夫人は、こんな夫でも嫉妬するのね)
二人からの居心地の悪い圧に押されるように、私は食堂まで歩かねばならなかった。
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