2.悲劇のはじまり
ボナパルト家の屋敷を出発してから四日目。
ゾラへ行くには大きな橋を越えなければならない。
橋を渡る馬車の車輪が橋板に打ちつけられるたび、お尻が痛くなるような揺れを感じた。
「仮設の板とはいえ、衝撃が強いな。タチアナ、このクッションでも敷くか?」
私がぼんやりと遠い川底を見つめているのを遮るように、アランがクッションを軽く投げてきた。
「何するのよ、アラン。こんなもの敷いたら、余計に揺れて酔ってしまうわ」
「乗り物に弱いのは相変わらずだな。そんなにか弱くてどうするんだ。もっとしっかり食事を摂らないと。そんなんじゃいつまでも子……す、すまない」
アランは急にバツが悪そうに黙り込んだ。
私はまたゆっくりと川底に視線を移して、乾いた声で答えた。
「べつに、痩せているから子どもができなかったわけじゃないわ。それに、ジェフリーが戻ってくれば……」
ジェフリーの名に、アランがぴくりと体をこわばらせた。
「まだ、諦めてないのか? もう葬儀を済ませて、ひと月も経つんだぞ」
弱々しく呟いたアランの姿が窓に映っている。
(気に入らないという様子ね)
眉間に深い皺を寄せ、苛立ったように片方の靴のつま先で床を弾いていた。
ガタゴトと響く車輪の音。
タンタンタンと小さく忙しないアランの靴音。
(ほんとうに耳障りだわ)
「諦める? 遺体のない葬儀をさせたのは……あなたたちじゃない!」
たった、二ヶ月前の出来事が、私からジェフリーを奪った――。
まさに今渡っている橋。
二ヶ月前……橋が崩壊した、と家臣から報せが入った。
「タチアナ、結婚記念日にすまない。戻ったら、また盛大にお祝いしよう」
ジェフリーは私を不安がらせまいと、澄んだブルーの瞳で優しく微笑んだ。
「外はひどい嵐だわ。あなたが行かなくても……」
「僕は当主だ。領地の一大事に領民を守れない当主なんて、情けないだろう? タチアナ、心配しないでくれ。ほら、雨風が強くなってきた。メラニー、タチアナを頼んだよ」
そう言うと、ジェフリーはマントのフードを目深に被り、颯爽と馬に飛び乗った。
それを合図に、愛鳥の大鷲マレがジェフリーの肩に止まった。
アランや他の騎士たちはすでに騎乗して、ジェフリーの出発を待っている。
「ジェフリー、待って! これを……」
急いで髪からほどいた淡いローズピンク色のリボンを手に、私はドレスの裾が泥水で汚れるのも構わず、ジェフリーに駆け寄った。
「レディからの贈り物は、騎士の無事を祈るお守りだ。ありがとう。タチアナ……愛してるよ」
ジェフリーはリボンを受け取ると、腕にしっかりと結び付けた。
私は顔や体を強く打つ雨粒に耐えながら、走り去るジェフリーの姿が見えなくなるまで立ち続けた。
「奥様、お体に障りますから、さぁ、中に入りましょう。旦那様は、必ず無事に戻られますよ」
「でも……メラニー、嫌な予感がするの」
その夜、私は胸騒ぎに怯え、眠れずにいた。
メラニーがずっとベッドの脇に付き添い、朝方、やっと眠りについたのだった。
ジェフリーが出発してから二日が経とうとしていた。
「ジェフリーは大丈夫かしら?」
私はメラニーと顔を合わせるたび、同じことを尋ねた。
メラニーは力強く頷いてくれたが、私の胸騒ぎは増すばかりだった。
そうして四日目の早朝、血相を変えたメラニーに揺り起こされた。
「ん……メラニー?」
「奥様、大変でございます! 今、アラン様がお戻りになって、旦那様が……」
その言葉に、私は飛び起きた。
「アランはどこ? ジェフリーがどうしたというの?」
すぐに階下の玄関ホールへ向かうと、泥だらけの騎士たちが肩を落として立ちすくんでいた。
「ジェフリー? ジェフリーはどこなの? 答えて! あなたたちの主君はどこにいるの!」
「タチアナ……すまない。騎士たちを責めないでくれ。橋の応急処置をしていた時……川に……ジェフリーが落ちて……必死で捜索したが……流れが速く……。応援を呼ぶために不眠不休で馬を飛ばしてきたんだ」
私の全身から血の気が引き、足元に力が入らない。
確かに立っているはずなのに、床がガラガラと崩れ落ち、深い奈落の底に落ちていく感覚がした。
「川に……落ちた……ですって? あなたたちは、ジェフリーを置いて戻ってきたの? どうして……どうして……そんなことができるの……」
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