29.アランの独白——敗北
ジェフリーの努力の甲斐もあり、ようやくモンレーヴ子爵はタチアナとの婚姻を許した。
そして、ジェフリーの有能さが発揮され、タチアナがデビュタントをした一年後にはボナパルト侯爵夫人となっていた。
「アラン、妻のタチアナだ。彼女がこの屋敷で困っていたら、同じように助けてやってくれ。頼んだぞ」
「結婚式ではご挨拶もままならなくて、大変失礼いたしました。タチアナ・ボナパルトですわ。どうぞよろしくお願いします」
(タチアナ……夫人か)
結婚式でもそれは美しいと感じたが、ジェフリーの隣に立つタチアナは以前にもまして輝きを放っていた。
(いや、いや、主君の奥方だ。俺だって、社交界ではジェフリーに負けないほどの人気だぞ。すぐに、もっと素敵な令嬢と結婚してやるからな! ジェフリー……本当におめでとう)
背の高いジェフリーの表情にタチアナは気づいていなかったが、見たこともないほどジェフリーの顔は蕩けていた。
アランは声に出さず、“表情を管理しろ”とジェフリーに合図を送ると、慌てて真顔に戻した。
タチアナがジェフリーを見上げた時には、もういつもの澄ました表情に戻っている。それを知らない彼女は、少し寂しそうな目をした。
しかし、アランは新婚夫婦にそれぐらいの仕返しをしなければ、どうにも気が収まらなかった。
◇
(俺は、自分の恋心を甘くみていたな……)
アランやジェフリーのように——地位、名誉、容姿……初めからすべてを手にしたような男たちは、一目惚れという経験とは無縁だったのかもしれない。
だからこそ、この強烈な感情は消えることのない火種のように、いつまでも燻り続けるのだろうか。
アランにとって——それほど、タチアナは魅力的な女性だった。
デビュタントでは容姿や佇まいに心惹かれていたが、目の前で生き生きと動き出し、自分の世界に入り込んだタチアナをもはや拒むことなどできなくなっていた。
アランは秘めた思いを胸に、ジェフリーを一生支えるつもりでいた——あの日、橋が崩れる去るまでは……。
掴んだ手を離した時の、絶望に満ちたジェフリーの叫びを忘れたことはない。
雨の日は特にアランを苦しめ、やっと眠りについても悪夢にうなされた。
タチアナも同じように悪夢にうなされていると知った時には、絶望の淵へ突き落とされたような気がした。
それでも浮かんでは消える、タチアナの心が自分に向けられれば——という淡い期待。
(本当に愚かだった。早く忘れさせようと葬儀を急ぐ家臣たちに協力までしたが……タチアナの心から、ジェフリーがいなくなることはなかった)
◇
そして、今——。
アランは、罰を受ける時がきた。
(ああ……俺はこんな時まで自分勝手なのだな。神やジェフリーから裁かれることより……タチアナ、お前に俺の罪を知られることの方が恐ろしいとは……)
タチアナとジェフリーが再会を喜び、離れていた時間を埋めるように固く抱き合う姿は、どんな罰よりもアランを痛めつけた。
ただ、心のどこかでは安堵が広がっていた。
(これ以上、俺が堕ちずに罪を償える——)
◇
ジェフリーとタチアナが屋敷に戻って数週間、幸せな光景がボナパルト家に戻ってきた。
今日もタチアナは侍女のメラニーを伴って、庭園を散策している。
立ち止まっては花の香りを嗅ぎ、その花びらを愛おしそうに触れ、部屋に飾る花を選んでいく。
そのたびに日傘から覗くタチアナの表情は、この二ヶ月もの間、決して見せることのなかった満ち足りた笑顔を浮かべていた。
アランは屋敷の廊下の窓から、複雑な思いでタチアナの姿を見つめていた。
「アラン……」
自分の名を呼ぶ声に、アランは躊躇いながら振り返った。
そこには、真っすぐにアランを見据えるジェフリーの姿があった。
アランは、自然とジェフリーの前に跪いた。
「頼む……ジェフリー、俺を罰してくれ。流刑でも、拷問でも……処刑でも甘んじて受ける。もう、すべて思い出したのだろう?」
ジェフリーは何も答えず、廊下の窓から見えるボナパルト家の広大な庭園を見つめた。
楽しそうにメラニーと散策しているタチアナの声が聞こえる。
「僕がいない間、タチアナを支え守っていたのは……紛れもなく、アラン、君だ」
「それは、俺がタチアナを——」
「僕は君を罰するつもりもないし、優秀な家臣を手放すつもりもない。ただ……君が僕にしたことは、墓場まで持って行け。そして——君にトラン男爵の封土の管理を命じる。優秀な管理者が必要な地だからね」
「それでは、俺の罪はどう償えば……」
「僕に罪悪感を抱くなら、このボナパルト家のために、その命が尽きるまで忠誠を誓え。アラン、君が自分を許せる日が来たら——ここへ戻ってこい」
ジェフリーの澄んだブルーの瞳から、強い意志と覚悟が感じられた。
この瞳に捕らえられたら、抗えない——。
(これが当主の威厳か……)
「俺はどこまで行っても、ジェフリー、お前には敵わないな。お前はどうして俺を許せるんだ?」
「タチアナを……もう傷つけたくない。これ以上……考えるな、アラン。あれは手が滑ってしまった……不幸な事故だろう? それに、お前のその貧弱な腕じゃ、僕を引き上げることなんてできなかったさ」
アランは、後悔の念とジェフリーの大きな器を前に、敗北とも言える涙を流した。
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