28.アランの独白——小さな棘
夜会から戻ったアランは、すぐにタチアナのことを詳しく調べるように、デセル家の執事に命じた。
ほどなくして、執事より報告書が届いた。
モンレーヴ子爵家令嬢タチアナ様——モンレーヴ家の長女で現在18才。下に3つ離れた弟が一人いる。
家門は、帝都から少し離れた小さな町の封土をサレット公爵家から任されている。主な特産品は織物。家門の財政状況はこれといった不安材料は見当たらないが、特筆すべき資産もない。
子爵家は封土から出ることも少なく、慎ましい生活を送っていると思われる。しかし、ご令嬢が美しく成長されたことをデビュタントで知られると、ご令嬢の周辺が騒がしくなった。子爵様が娘の結婚は急がないと公言しているにもかかわらず、縁談の申し込みが殺到している。
(なるほど……子爵殿は娘を大事にしているようだな。急いては事を仕損じるか……。しかし、うるさい小蝿どもが飛び回り始めている……。父上は、結婚相手は伯爵家以上の令嬢を望まれているが、早く身を固めると言えば納得されるだろう)
あながちアランの読みは間違っていなかった。
子爵が封土から出なかったのは、娘が人目を引く美しさだと分かっていたからで、なるべく貴族たちの目に触れないように気を使ってきたのだった。
しかし、いくら子爵が男たちの欲望や政略結婚から娘を守ろうとしても、爵位がすべての貴族社会だ。
(デビュタントで子爵の努力も水の泡だな。高位貴族が婚姻を強く迫れば、娘を差し出すしかなくなるだろう。どのみち、貴族に恋愛結婚は望めないからな)
アランは厳格な父の説得に少し時間がかかったが、やっとモンレーヴ家への求婚状を送る許可が下りた日、ジェフリーから執務室へ呼ばれた。
「ジェフリー、……ヴィクトールの奴がまた何か仕掛けてきたのか? 毒か? 刺客か?」
ヴィクトール・ボナパルト伯爵。
ジェフリーの父の弟で、叔父にあたるのだが——兄夫婦が亡くなった後、成人前に当主を継いだ甥のジェフリーを支えるふりをしつつ、当主の座を狙っていた。
ジェフリーは叔父を初めから警戒していたが、家門の重鎮であるヴィクトールを遠ざけることはできなかった。
さらに厄介なことに、ヴィクトールは権力への渇望も甥への劣等感も巧みに隠し、甥を大切にする温厚な人物を完璧に演じていた。
「ははっ、真っ先に愚行を疑われるとは、叔父上も罪な人だ」
「お前なぁ……そんな悠長なことを言ってる場合か?」
いつもにも増して上機嫌なジェフリーに、アランは本当に毒入りの酒でも飲まされたのかと怪しんだ。
「ジェフリー、大丈夫か? どんな毒にやられたんだ?」
「……毒……そうかもしれないな。僕は、こんなにも自分が執着のある人間だとは思わなかった。でも、その人が誰かに奪われると考えただけで……体が先に動いていたんだ」
「その人?」
「ああ……タチアナ・モンレーヴ子爵令嬢だ。実はデビュタントの後、すぐにモンレーヴ子爵家へ求婚状を送ったんだ……」
アランは驚きというよりも、怒りが先に込み上げてきた。
しかし、幼馴染である前にジェフリーは主君だ。
(落ち着け……モンレーヴ子爵は頑なに娘を守っている。まだ、求婚を受け入れたかどうか分からないだろ)
「そ、そうか。噂では……子爵殿は娘をまだ手放すつもりはないそうだな」
「ああ、かなり手強い相手だったよ。侯爵の僕を前にしても、丁重に断るばかりで令嬢にも会わせてもらえなかった」
(やはり、そうか!)
「それで、どうしたんだ?」
「僕は諦めないよ、アラン」
「子爵殿がいつ許すかもしれない婚姻に執着していたら、ヴィクトールの奴に隙を与えることになるぞ!」
ヴィクトールはそういう男だ。
少しでも隙を見せると、蛇のように這いずり回り弱みを握ろうとするのだ。
「分かっているよ。叔父上は、僕の婚姻に興味があるからね。子爵殿を抱き込んで、令嬢を利用するかもしれない。でも、叔父上はまだ、僕がモンレーヴ家に求婚状を送ったことも知らないんだぞ」
「は?」
「先に、マレに求婚状を届けさせた後、密かに子爵家を訪ねた……」
「なんだって!? 鳥が求婚状を持っていくなんて、聞いたことないぞ……。子爵殿はご立腹されただろう」
ジェフリーは有能だが、早くに両親を亡くしたからか、ごく稀にお坊ちゃん育ちの世間知らずが発動する。
「ははっ……確かに、そんなことを仰っていたな。でも、こちらの政敵が多い状況も理解してくださったよ」
「どうして俺に相談してくれなかったんだ……そんなに俺が信用できないか?」
ジェフリーは顎に手をやり少し俯いて真剣に考えた後、ぱあっと明るい笑顔を見せ答えた。
「アランのことは信用しているが……自分の恋くらい、自分で蹴りをつけたいだろ?」
ああ——ジェフリーはそういう男だった。
自分を殺し飄々と社交界を生き抜いているようで、心の奥底には熱いものを持っている。
(父上の許可などと、甘いことを言っていた俺が負けたんだ……。ジェフリーは権力に頼らず、純粋に子爵殿に認められたいんだな。令嬢のためにも……)
「それで、どうするんだ?」
「どうって、僕の本気を伝え続けるつもりさ。タチアナ嬢が僕と婚約すれば、政略結婚だの、相応しくないだのと噂されるだろう。叔父上は、僕の弱みができたと喜ぶだろうね。でも、そういうすべての汚いものから、僕は必ずタチアナ嬢を守ると」
「お前、そこまで考えて……」
アランは初めて覚えた恋心を、自らの手で砕くしかなかった。
(あの時……実は俺も彼女のことが気になっていたと、ジェフリーに言えていたら、もっと心はすっきりしていたのだろうか……)
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