20.ジェフリーの賭け
ソフィアは、ピエールと令嬢が一緒にいる姿を見たとき、心の奥底から嫉妬と、言いようのない憎しみが湧き上がった。
小屋に戻ってからも、ピエールは少し風に当たりたいとソフィアとミロを避けるように、再び外へ出てしまった。
不安に駆られたソフィアは、苛立ったようにカリカリと親指の爪を噛み、どうやってあの令嬢をピエールの心の中から消し去ろうかと考えていた。
「あのお嬢様を消すには……迷っていたけど、もう手段を選んでいられないわ。でも、その前に……ピエールと本当の夫婦にならないと」
ミロを寝かしつけたソフィアは、足音を立てないようにそっと部屋を抜け出した。
ジェフリーは扉の外を歩く足音で目覚め、寝返りを打った。
窓の外に見える月は、一番高い位置からすでに傾きかけている。
(こんな夜遅くに、ミロを置いて外出するつもりか? また、他の男の所へでも行くつもりなんだろう。……ミロが不憫だ)
時折、ソフィアから香る同じ煙草の匂いや、首元の隠しきれない愛撫の跡に気づいても、怒りすら感じない。
むしろ、興味すらないといったほうが正確だった。
そして、決まってミロの行く末を案じずにはいられなかった。
(妻の浮気を許す夫だと? そんな男がいるはずないだろう。なのに、それよりも僕は……)
今日、あの足を痛めていた令嬢にソフィアを妻と勘違いされたことの方が耐え難かった。
(本当の夫ならば……薄情だと後ろ指を指されるだろうな。ははっ、でも……どうしても、あの令嬢には勘違いされたくなかったんだ)
——実はジェフリーは、薄々、ソフィアが妻でもミロが息子でもないと気づいていた。
親子に助けられた直後は、混乱と動揺のせいでソフィアの言葉を受け入れられない自分に、軽い罪悪感すら感じていた。
しかし、幸か不幸か——記憶を失う前のジェフリーは、他人から狙われやすい立場にあったらしい。
警戒心から、咄嗟にソフィア親子の前で左利きであることを隠し、右利きを装った。
しばらくして、傷も癒え冷静さを取り戻すと、ジェフリーはソフィアの言葉や行動、暮らしのそこかしこに違和感を覚えるようになった。
(本当に僕が彼女の夫なのだろうか? それなら、この居心地の悪さはなんだろう?)
ある時、ジェフリーは気づいた。
ソフィアが準備する食卓は、夫を右利きだと思い込んでいることに。
左利きのジェフリーが右利きを装うのは少し不便だが、幸いソフィアたちは怪我の影響で上手く右手を使えていないと思っているようだった。
(文字さえ書かなければ、僕が左利きとは気づかないだろう。平民は文字を書けないはずだが、僕は書ける。どういうことだ……役人だったとか? あるいは貴族……)
ある日、ジェフリーは思いきってソフィアを試す行動に出た。
「ミロ、見ていろよ。おっと!」
食事の時、ぐずるミロの前で、ふざけたように左手でフォークを持ち、グリーンピースを口に運ぶ。
上手く運べず、皿の上に豆が転がった。
硬いジャガイモも、細い人参も口から逃げていく……。
「きゃはははっ」
ミロは、道化師のように左手でフォークを不器用に操るジェフリーの姿に喜び、機嫌を直した。
「ピエールったら、食べ物で遊ばないで。そんな不器用な手で……ちゃんと、右手に持って食べてちょうだい」
「君も左手で食べてみろよ……案外、いけるかもしれないぞ」
いつになくピエールの本当の家族のような振る舞いに、ソフィアは素直に左手にフォークを持ち替えた。
ソフィアも硬いジャガイモをフォークで割ろうとして、つるりと皿から飛び出した。
三人は声を上げて笑った。
「やだ! やっぱりだめね。左利きの人を尊敬するわ。私も、ピエールも右利きだから……」
その言葉を聞いて、笑うジェフリーの瞳の奥に冷たさが宿った。
(やはり……君たちは僕の家族じゃなかったんだね。……僕は左利きなんだよ、ソフィア)
その日を境に、ジェフリーはソフィアを疑い、嘘の理由を探ろうと考えた。
(記憶が戻るかは分からないが……偽物の妻から、記憶を失った原因を突き止められるかもしれない)
ジェフリーはしばらくここに滞在し、探ることを決めた——もっとも、この村を出たところで行き先も定まらないのだが。
それに、自分が去った後の幼いミロのことも気がかりだった。
——廊下を歩くソフィアの足音が、ジェフリーの部屋の前でピタリと止まった。
ジェフリーは素早く身を起こし、警戒の眼差しを扉の方へ向けた。
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