18.運命なら
(明日、私とトラン男爵が舟遊びに興じている間に、アランが戻ってくるはず……)
同じ頃、男爵夫人が男爵と庭園で対峙していたとも知らず、私は気づけば護衛の騎士を森の入り口に残し、ひとりで奥へと進んでいた。
今朝、男爵夫人という味方を得て、胸の奥に押し込めていた『ジェフリーに会いたい』という思いが、どうしようもなく膨らんだせいかもしれない。
(いいえ、それだけじゃないわ。男爵夫人が警告した人物——“ソフィア”さんのことが頭から離れないの。今、ジェフリーと会ったって何もできないのに……)
明日には、アランが『指紋の写し』を持ってゾラ村に戻ってくる。
そして、アランにはもう一つ、重要な使命を託していた。
——『ダイヤモンド鉱山発見の報告を、皇帝陛下にしていなかった』という罪状を記した書状を携え、皇帝陛下に謁見し、その代わりに『当主がトラン男爵を罰することを許可する』旨の書状を持ち帰ること。
アランは、陛下がトラン男爵ではなくボナパルト家の責任を追及し、侯爵家を没落させようとするのではないかと反対した。
でも、そんなことは起こらないと私はアランに強く命じた。
(陛下への書状に、ダイヤモンド鉱山の利益の七割を献上すると記したわ。陛下は合理的な方だから、欲をかいて面倒を起こすより、人を動かして楽に利益を得ることを選ぶはずよ)
「さぁ、優秀な補佐官を信じるとして……私は、私のやるべきことをしなきゃね」
そう言葉にしたものの、胸の奥のざわめきは増すばかり。
風が吹くたび、森の木々がざーっという音を立てて揺れている。
まるで私を怯えさせようとしているかのように、枝葉が空を覆っていた。
(怖くなんてないんだから……。んんっ……舟を浮かべるのは、森の小川だと言っていたわね。一応、その辺りを下調べしておこうかしら。舟遊びに誘ったのは、私に動き回られてダイヤモンド鉱山を見つけられたくないのね)
きっと、アランは護衛騎士を置いて、一人で森に入ったと知れば怒るだろう。
でも、護衛騎士たちはジェフリーの顔を知っている。
(騎士たちが気づいてしまったら、ジェフリーの身に危険が及ぶかもしれないわ。それに……私にはマレがいるもの)
男爵から教えられた小川は、どうやらミロたちの小屋とは反対側に位置しているらしい。
地図を片手に耳を澄ませば小鳥たちのさえずりが聞こえ、時折、小枝を踏んだ足元からパキッ、パキッと音がした。
(どこかで……水の流れる音がするわ)
きょろきょろと周囲を見渡してみたが、何も見当たらない。
「えっ? うそっ、だめ——きゃっ!」
——ザザーッ、ザッ。
不用意に踏み出した足が滑り、私は歩いていた小径から一気に下へ転げ落ちた。
「いたたた……。もうっ、足を捻ってしまったわ……」
落ちた所を見上げた私の顔に、冷たい水しぶきが絶え間なくかかる。
どうやら、小川へ続く滝の真下、滝つぼ近くに落ちてしまったらしい。
蔦や木の幹を掴んでなんとか立ち上がろうとするが、足の痛みですぐに尻もちをついてしまう。
「仕方ないわ。伝令笛で護衛騎士たちに知らせるしか——」
胸元のペンダント式の伝令笛を手繰り寄せ、口元へ運ぼうとした、その瞬間。
「おーい、君、大丈夫かい?」
(顔を向けることができない……。だって、この声は……)
私の思いとは関係なく、ジェフリーは軽々と斜面を滑り下りてきた。
「ああ……なんというか……ひどい……姿だね。どこか痛むかい?」
土まみれでうずくまったままの私を心配して、ジェフリーはゆっくりと近づいてきた。
ガサッ、ガサッとジェフリーが草を踏む音がするたび、私の胸はドクン、ドクンと音を立てている。
そして、ジェフリーの温かい手が優しく私の方へ伸び——思わずぎゅっと目を閉じた。
ファサッ——。
「震えているね。見たところ、上から足を滑らせたようだが……驚いただろう? もう、大丈夫だ」
私の肩を何かが覆っている。
まだジェフリーの温もりと懐かしい香りが残る、質素な薄い上衣が私を包んでいた。
思わず顔を上げると、ジェフリーが少し屈んで私を見つめている。
「君はあの時の——ミロを送ってくれた女性だね」
「あ……」
他人行儀なジェフリーの態度が、私の喉の奥を締め付けて言葉が上手く発せられない。
「驚いたな。こんなところまで、君一人で来たのかい? 自然は思っている以上に危険だぞ」
「ありがとうございます……あの……私は大丈夫ですから。うっ」
私は立ち上がろうとしたが、先ほどより足首は腫れあがり、とても歩けるような状態ではなかった。
「そんなに強がらなくても……。君は貴族のようだから、僕の手伝いを拒むのもわかるが、あまり無理はしない方がいい」
「拒んでなんか! うっ……もう、私のことは放っておいてください。護衛騎士を呼ぶので」
「はぁ……。でも、どうやって——」
ピィーッ!
私はジェフリーの言葉は無視して、伝令笛を思いっきり吹いた。
すると、大空から力強い翼の羽ばたく音がしたかと思えば、ジェフリーめがけて大きな物体が急降下してきた。
「わっ! この鳥はなんなんだ!」
大きな物体は大鷲で、ジェフリーを攻撃しているというよりは、再会を喜んでいるように見える。
「だめよ、マレ! こっちよ!」
騎士を呼ぶつもりが、緊急だと判断したマレが飛んできてしまったのだ。
ボナパルト家の伝令鳥であり、ジェフリーの愛鳥——マレを必死でジェフリーから引き離した。
「まったく……人助けして鳥に襲われるとは……。君の鳥かい? ずいぶん甘やかして育てたようだね」
(ええ……ジェフリー。あなたがね)
マレは、愛しい主があまりにも素っ気ない態度なのが気に食わないのか、ぷいと横を向いている。
「この子はマレ。私にとっては家族同然の子なの」
「そうなのか……」
ジェフリーは私の顔とマレを交互に見つめて、いぶかしげに首を傾げた。
「もしかして……その……先日会ったのが初めての気がしなくて……僕たち以前から知り合いだったかな?」
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