15.男爵夫人の告白
ゾラ村を訪れて、今日で三日が経った。
トラン男爵家で朝食をとるのも三度目になる。
(いい加減、朝食くらいは部屋に運んでもらおうかしら……。男爵の咀嚼音を耳にするだけで、頭痛がするわ)
「タチアナ様、デセル伯爵様は急用で朝早くに帝都へ戻られたとか……」
「ええ、そうなの。アラン卿のお祖母様が倒れられたそうなのよ。心配だわ。私も明後日の朝には帝都へ発つつもりだけれど、一刻を争うでしょう? だから、先に戻ってもらったのよ」
そう聞いたトラン男爵は、疑念の目を安堵に変えて、再び饒舌に喋り出した。
「そうでしたか。もう少し、ごゆっくりなされば宜しいのに。せっかくこのような田舎へ来られたのですから、そうですねぇ、思い出に明日は舟遊びでもいかがですか?」
「まぁ、舟遊び? 素敵ね。村の近くに池があるのかしら?」
私が無邪気に答えると、男爵はここぞとばかりに言葉を畳み掛けた。
「少しばかり離れますが……森に美しい小川がありましてね。自然豊かな森の中を川で下るのは、何とも言えない最高の気分になりますよ」
「森……きっと気持ち良いでしょうね。でも、まだやらなければいけないことがあるのに……」
「まぁ、まぁ、タチアナ様。当主代理だからと言って、そこまで肩肘張る必要はないのですよ。ここだけの話、デセル伯爵が真面目すぎて息が詰まるでしょう? 私は何も言いませんとも……時には、羽を休めるのも必要ですよ」
(アランが聞いたら、“この狸め”って、頭から湯気を出して怒るでしょうね)
「そうね……。やっぱり、乗せていただこうかしら?」
男爵夫人を除けば——傍から見れば和やかな朝食の時間が過ぎていった。
食事の後、珍しく男爵夫人が私を部屋まで送ってくれている。
部屋の前に着いても、どこか落ち着かない様子で立ち去ろうとしない男爵夫人を、私は中へ招き入れることにした。
「あまり夫人とお話しする機会がなかったでしょう? 一度ゆっくりお話ししたいと思っていたのよ。舟遊びもご一緒して下さるわね?」
男爵夫人は私ともあまり視線を合わさず、うつむき加減にティーカップばかりを見ていたが、不意に顔を上げた。
「タチアナ様、私は……ご一緒できません」
「あら、どうして? 美しい森なのでしょう?」
「美しい……ええ、そうですね。ですが、私には……」
「森に何か辛い記憶でも?」
男爵夫人は仄暗い瞳でじっと私を見つめた。
「やはり……タチアナ様はもうご存じのようですね」
「偶然だったの。ミロを家へ送ることになって……だって、あんなにもまだ幼いのよ。それで……」
男爵夫人も私が子宝に恵まれていないのを知っているのだろう。
ふっと、男爵夫人の表情がゆるんだ。
「そうでしたか。ミロはもう4才ですから、好奇心が旺盛なのでしょう。……では、あの子の母親——ソフィアにも会ったのですね」
ミロのことを話す男爵夫人の表情は和らいでいたが、ソフィアの名を口にした途端、元の虚ろな瞳に戻った。
(男爵夫人が親子をどう思おうと関係ないわ。それより、ジェフリーのことに気づいているなら、とっくにトラン男爵に伝えているかもしれない……)
私は男爵夫人がジェフリーの存在に気づいているのか、目の動き、声のトーン、仕草などを注意深く観察していた。
「タチアナ様……ご心配には及びませんわ」
「どういうこと? 何か企んでいるのなら容赦しないつもりよ」
子猫のように全身の毛を逆立て、子どもじみた虚勢を張っていると思われたのか、男爵夫人は口に手の甲を当て小さく笑った。
「な、なにがおかしいのかしら? 私は本気よ」
「ジェフリー様のことを案じておられるのなら、私は味方です。タチアナ様がジェフリー様のことを深く愛していらっしゃると分かりましたから」
男爵夫人は、真っすぐに私を見据えた。
「味方? まるで、トラン男爵が何かを企んでいるような口ぶりね」
「私の夫は……昔はああではありませんでした。婿養子なのはご存じですね。彼は、元々はわが家の護衛騎士でした。今は見る影もありませんが、昔は素敵だったのですよ」
(素敵?)
ふいに小首をかしげる私に、男爵夫人は眉を下げて笑った。
「社交界では夫が私の両親に取り入ったと噂されましたが、私の一目惚れでした。夫婦関係は初めは良好だったのですよ。ですが、私が……流産をして跡継ぎを産めない体になったことで、歯車が狂い始めたのです」
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