第五話 おっさん、弁当を食う①
華から弁当と飲み物を受け取り、俺の分以外は全てサイプルへと渡した。
テーブルや椅子といった人工的な物なんて、草原のど真ん中にあるはずもない。しかし、広大な天然の緑のカーペットなら目下にある。これを利用しない手はないだろう。
俺は適当な位置に腰を下ろした。気分はまさにキャンプ感覚だ。
思っていたよりも柔らかな草は、座り心地がとてもいい。あの角の生えた兎たちが寝転んでいる時、気持ちよさそうな顔をしていたのも納得できる。
「よし、食うか」
「はい!」
『冷めないうちに、どうぞ』
独り言のつもりだったが、隣に座ったサイプルが元気よく返事をし、華が優しい言葉を投げかけてくれた。一人飯に慣れてしまっていたので、ちょっとビックリしたけど……誰かと食事をするのは、やっぱり嬉しいものだ。気恥ずかしいから絶対、口には出さないけど。
むず痒くなっていく心から目をそらすように、俺は弁当に手をかけた。
蓋を開けた瞬間、ふわりと立ち昇る湯気。その蒸気が運ぶのは、香ばしくて食欲そそる唐揚げの香りだ。出来立て、ということもあってか真っ白なご飯粒もツヤツヤと輝いていて、紅一点の梅干しを引き立たせていた。
ホカホカの弁当とキンキンに冷えたお茶。相反する温度のものが隣り合うことが唯一喜ばれる状況……それが食事だ。
俺は両手を軽く合わせた。
「いただきます」
異世界に転移しようと、こういった礼儀は忘れないでおきたい。それが俺のポリシーだ。
いざ食べようと、割り箸を割ったところで、サイプルがじ……とこちらを見ていることに気が付いた。
「食わないのか?」
「師匠、今のは何ですか?」
「今の?」
「いただきます、というやつです」
「あぁ、これか? これは……俺の世界での礼儀みたいなもんだよ」
遠い昔では、他者の命を己の血肉に変えることとか、食事を作ってくれた人たちに向けてとか、そういったことへの感謝の気持ちが込められた言葉だと、どこかで聞いた記憶がある。しかし、それは俺の世界での話。アルテルではどうか分からないし、長々と説明したらせっかくの温かい弁当が冷めてしまうかもしれない。何より面倒だ。楽を好むおっさんは、とりあえず当たり障りのない理由をサイプルに伝えておくことにしたのだった。
「礼儀……」
簡易的な説明で納得したのか、サイプルは俺に向けていた視線を弁当へと戻した。
何やら真剣な表情で弁当と向き合う少年を、首を傾げながら見守る。すると、サイプルは先割れスプーンをご飯の上に置き、自由になった両手を胸の前でゆっくりと合わせた。
「いただきます……?」
サイプルが「これでいいですか?」と言わんばかりに、こちらに顔を向けてくる。ぎこちなく見様見真似で慣れない食前の挨拶をするその姿がなんだか健気で、俺の父性が激しく刺激された。
「ちゃんと出来てるぞ。すごいな」
サイプルの黄金の頭を、無造作にわしゃわしゃと撫でる。きょとんとしている彼の深紅の瞳と目が合った瞬間、俺はハッとして慌てて手を退けた。
――しまった……!!
軽率な己の行動に後悔するも、時すでに遅し。
見た目麗しい少年が、こんなくたびれた中年に頭を撫でられても嬉しいはずがない。むしろ、気持ち悪いだろう。誤魔化しようのない状況に、ダラダラと嫌な汗がこめかみを伝っていく。
このご時世。異世界だろうと、おっさんが会って間もない少年の体に許可なく触れることは、あまりよろしくないはず。セクハラだ! と罵倒をされるか、嫌悪感たっぷりの顔で突き飛ばされるか……どちらにしても、おっさんの繊細な心に傷を負うことは決定事項だろう。
俺は身を固くし、サイプルの様子を窺う。少年がぶつけてくるであろう、不快感を受け止める覚悟をしていたのだが……彼の反応は俺の予想とは大きく違った。
「へへ、師匠に褒められた」
嬉しそうだけど少し擽ったそうに、サイプルの眉尻がヘニョッと下がる。その緩んだ顔は子供みたいで、これまでに見てきた彼とのギャップがすごい。
ここに女性がいたら間違いなく、心奪われていたであろう。下手をしたら、男でもイチコロだったかもしれない。この場にいたのが俺みたいな枯れかけのおっさんで、本当に良かったと思う。
何はともあれ、先ほどの俺の軽率な言動でサイプルは気分を害していないみたいなので安心した。これで心置きなく食事を楽しむことができる。強張りが全身から取れた俺は、改めて弁当と向き合った。
俺の箸が最初につまんだのは、もちろんこの弁当の主役。見た目からして美味しさが約束された、唐揚げだ。中年は食べる順番が重要、なんて言われているが関係ない。俺は食いたいものから食う主義だ。健康志向よりも食欲に忠実なおっさんがいてもいいと思う。
――サクッ! ジュワ〜……!!
出来立てならではの衣の音と、口の中いっぱいに広がる肉汁。すかさず白米をかきこむと、口内が幸せで満たされる。副菜のスパゲッティやポテトサラダも、どこか懐かしい味がして好きなんだよなぁ。お漬物もうまい。ポリポリと小気味いい音を奏でる野菜をしっかり堪能し、よく冷えたお茶で喉を潤す。
「あ~……最高だぁ」
晴天の空の下、空っぽだった胃の中が満たされていく感覚……最高すぎるシチュエーションに、思わず声が漏れ出てしまう。すると、クスクスと小さな笑い声が頭に響いてきた。
『マスター、おじさんみたいですよ』
「みたい、じゃなくて、おっさんなんだよ俺は」
『そこは普通、否定すべきところでは?』
「背伸びして、しんどい思いするのは面倒だからな。俺は等身大の自分を受け入れることにしてるんだ」
『フフッ、マスターらしいですね』
「それって、褒めてるのか?」
『もちろんです』
笑みを交えた穏やかな会話。長年夢見た華とのコミュニケーションに、感極まりそうになる。ふと、ここでサイプルのことが心配になった。
限界突破、みたいなことになっていないだろうな……?
何を隠そう、彼は本日すでに三個の唐揚げ弁当をたいらげているのだ。いくら空腹状態な育ち盛りだとしても、胃袋というものは本人が思っているよりも早くに限界を訴えてくる。ましてや揚げ物と白米という、腹にたまりやすいコンビだ。もし自分で言ってしまった手前、満腹だと言えず無理をしているのであれば年長者として、助け舟を出してやるべきだろう。
俺は、チラッと隣へと目を向けてみる。
――え? う、嘘だろ?
俺は我が目を疑った。




