第四話 おっさん、相棒に感動する①
平和な草原に突如として鳴り響く、怪獣の咆哮。その凄まじい音は、ビビりな俺の肩を跳ねさせる。固唾をのみ、恐る恐る音源のほうへと視線を滑らせていくと……行き着いたのはサイプルの腹だった。
「……今のお前の腹の音か?」
「そのようです!」
サイプルはどこか他人事のように大きく頷く。轟音の正体が生理現象によるものと判明し、俺はホッと安堵の息を漏らす。ここでふと、俺はあることを思い出した。
「お前、ここに来る前に弁当食ってたよな? しかも、三つ」
「はい! とても美味しかったです!」
「……まだ腹減ってんの?」
「育ち盛りですので!」
胸を張って堂々とそう言い放つサイプル。年頃ならではの羞恥心など皆無である少年を前に、俺の中で張り詰めていた緊張の糸は、プツンと完全に切れた。
「そういえば……俺も飯、食ってないな」
華との感動的な再会を食欲旺盛な少年に水を差されたせいか、俺も自分の空腹に気が付いた。考えてみれば、今まで色々あったせいで、昼食を取っていなかったような気がする。空き容量を確認するように腹に手を当てると、胃がキューッと動き出した。食べ物を寄越せ、と訴えてくる腹に目を向けてしまった以上、無視するわけにはいかない。俺は周囲を改めて見回す。
「店……なんて無いよな……」
果てしない草原。建物はおろか、俺たち以外の人の影も形も気配すらなかった。そこら辺にいる、角の生えた兎に道を聞いたところで、状況が好転するとも思えない。第一、未知なる生物に近寄るなんて危険なことは絶対にしたくない。
さて、どうしたものか……顎に手を添え考える。すきっ腹の状態で右も左も分からない土地をむやみに動き回るのは、体力を無駄に消費するだけだ。得策とは言えないだろう。でも、このままここに留まっていてもなぁ……
お手上げ状態に頭を悩ませていると、軽快なクラクションの音が俺の鼓膜を刺激する。
「華……? どうかしたのか?」
『マスター、ここは私の出番です』
どこか得意げな華の声に、俺はハッとした。
“アルテルの地でも変わらず活動ができるようにしておこう”
思い出したのは俺が華を連れて行きたい、と願った時にデミウル様から言われた言葉。変わらず活動ができる…それはつまり、移動販売車としての機能を持ったまま、華はアルテルの世界に転移したということ。俺は固唾を飲んだ。
「華……もしかして、食べ物があるのか?」
『もちろんです。少し、お待ちください』
間髪を入れない肯定に俺は年甲斐もなくガッツポーズをした。華がいてくれて、本当によかったな。しっかり者である相棒。そのありがたみを心の中で噛み締めていると、『あ……』と華から不穏な声が落ちる。
「どうかしたのか?」
『……申し訳ありません、マスター。問題が発生しました』
「問題? ま、まさか、どっか痛いのか!?」
『そうではありません』
暗い声に焦る俺を、華はゆったりとした口調で否定した。その声に俺が安堵の息を漏らす。すると華は気まずそうに、おずおずと言葉を紡いでいく。
『その……資金がないのです』
「ん?」
『食べ物をご用意したいのですが……食べ物を買うための元手、つまりお金が無いんです』
申し訳なさそうな華に、俺は目を見開いた。
「金がいるのか?」
『移動販売車で商品を用意するということは、つまりは仕入れです。仕入れには、対価としてお金が必要なので……』
当然と言えば、当然のことだ。しかし……なんとも世知辛い世の中なんだ、とも思う。世の中、金。そんな義理も人情も感じない理が、異世界でも俺の頭を悩ませるなんて思いもしなかった。
肩に重くのしかかるものを少しでも軽くしようと、俺は深く息を吐いた。と、ここであることを思い出す。
「そういえば……ここに来る前にあった、今日の売れ残りはどうなったんだ?」
アルテルの世界に来る前、俺はいつも通り仕事をしていた。そして異世界転移のきっかけとなったサイプルに出会ったのは、本日の業務が終了した後……つまり、売れ残った商品が華の中にあるはずだ。行き倒れになっていたサイプルに渡した弁当以外にも食べ物はあったと、しっかりと記憶している。
期待に満ちた俺の問いかけに、華はどこか気まずそうな声を漏らした。
『えっと、その……ここに来る前に車内にあった在庫は全て、デミウル様によって回収されました』
「は?」
なんで?
単純な疑問が脳裏をよぎる。そんな気持ちが思い切り顔に出ていたのであろう。華が苦笑交じりの声で言葉を続けた。
『デミウル様が仰るには……“新たな地の旅で、過去のものなど不要であろう。これらは我が責任をもって処分しておく。べ、別に唐揚げ弁当が気になるわけではないぞ!” とのことです』
何、そのツンデレ。というか、あんたも唐揚げ弁当が気になっていたんかい。余計なことをしやがって……などと、不敬な思考が脳裏をよぎっていく。感謝の気持ちから一変、デミウル様に対して怒りの気持ちが沸きあがってくる。おっさんとは安全な道を望む生き物なのだ。
問題が振り出しに戻ったことに、再度頭を抱えるはめになってしまった。おのれ、デミウル様め……
「お金なら、自分が持っていますよ」
今まで黙っていたサイプルの発言に、俺は勢いよく食いついた。
「本当か!?」
「えぇ。といっても、ほんの少しだけですが……」
そう言うとサイプルは懐から、薄茶色の小さな巾着のようなものを取り出す。シュルッ……と紐を解くと、銀色のコインの姿が数枚あった。
「銀貨が十枚か……華殿、これで足りるか?」
『十分です! ありがとうございます、サイプル様』
クラクションの音に華の明るい声がのり、俺の憂いは一気に晴れた。
「それにしても、金なんてよく持っていたな……デミウル様が持たせてくれたのか?」
「いえ。これはルメース殿の手伝いをした時に、自分がもらったものです」
「ルメース殿?」
初めて聞く名前をなぞり、俺は首を傾げる。
「商業の神です」
「え!? 神ってデミウル様だけじゃないのか?」
新たな事実に驚きを隠せない俺を、サイプルは軽く笑った。
「世界は広いですからね。いくら父上でも一人ではアルテルの全てを見守ることは、難しいんです」
言われてみれば、確かにそうだ。“世界”という例えようもないほどに巨大なものを、たった一人で管理するのは神様といえど至難の業。ましてや、そこに住んでいる生物たちを見守るとなると、とんでもない負担を一人で背負うことになってしまう。
俺が元いた世界でも八百万の神々という言葉があったんだ。この異世界でも、複数の神様がアルテルの地を守っていることは何ら不思議な話ではない。
一人納得していると、サイプルはさらに言葉を続けた。
「父上は創造を司る神……いわゆる、創造神です。アルテルの神の中では、最年長だと聞いています」
「確かに、デミウル様は威厳があったよな」
特に頭頂部が……という天罰が下りそうな言葉は、喉の奥に仕舞いこんだ。
「でも、いいのか? お前が稼いだ金を使っても」
「自分も食べるので問題ありません。それに労働をしたわけではありません。ただ、写真を撮られただけです」
「写真?」
「えぇ。その写真を美の神に売るので、このお金はモデル代だと言っていました。そんなもの、売れるはずもないのに……」
変な神です、と言いながらサイプルは俺の手に銀貨の入った袋を置いた。
コイツは鏡を見たことがないのだろうか?
どうやら彼は自分の容姿が、国宝級であるという自覚がないようだ。まさかの無自覚に、おっさんはビックリだよ。
人気絶頂中のアイドルでもビジュアル対決であるならば、すぐさま逃げ出してしまいそうなほどの美少年。そんなサイプルを被写体にした写真に目をつけるとは……さすがは商業の神様である。
まだ見ぬ神様の実力をひしひしと感じつつ、俺は重みある巾着を丁重に受け取った。




