第一話 おっさん、神隠しにあう②
――スパーーーン!
清らかな空間に響き渡るのは、乾いた音。どこからか取り出してきたハリセンで、デミウル様がサイプルの頭部を思い切り叩いたようだ。レトロなコメディ番組のような親近感ある光景のおかげで、俺の脳は再稼働していく。
「痛いぞ! 父上!」
コイツ、俺には敬語のくせに、神様にはタメ口かよ!? いくら親子でも、それは失礼だろ!?
内心焦りながらデミウル様を盗み見る。皺が深く刻まれた老人の顔には厳しさはあったけど、気分を害したような不快さは見受けられなかった。どうやら神であろうと親子は親子のようで、サイプルの言葉遣いはデミウル様にとって許容範囲のようだ。俺はホッと胸を撫でおろす。
「サイプルよ……何故、この者を選んだ?」
デミウル様からの重々しい問いかけに、サイプルの背筋がピンッと伸びた。真っすぐに向けられた息子の深紅の瞳を、父親は緋色の瞳で真正面からしっかりと受け止める。
しばらく見つめ合う、偉大なる親子。二人の表情は真剣そのものだ。
緊迫した静寂を割ったのは、若くて力強い声だった。
「師匠の……彼の優しさには、損得勘定がないからだ」
「ほぉ……というと?」
「自分が生き倒れていた時、彼は駆け寄るだけでなく、食事まで無償で与えてくれた。面識がない自分を彼は迷いなく助けた……そんな彼の優しさに自分は感動したんだ」
放たれた言葉はサイプルの瞳のように濁りがなく、嘘偽りが一欠片だってない。人として当たり前のことをしただけなのに、そんなに好感を持たれるとは思いもしなかった。正直、ちょっと……いや、大分気恥ずかしい。
「倒れている者がいれば、誰にでも迷いなく手を伸ばす……そんな彼を、自分は敬慕すべき人と思い“師匠”と呼ぶことを決めた。そして、勇者探しの旅の同行者に相応しいと思ったんだ」
それでコイツ、俺のことを師匠って呼んでいたのか。というか、子供とはいえサイプルは本当に神様と同等の立場のようだ。そんな偉大な存在から師匠と敬われるほど、俺は立派な人間ではない。さて、どうしたもんか……
止めさせるべきか、放っておくべきか……腕を組みながら考える。ふと、ここでデミウル様の緋色の瞳が何かを見定めるように細められているのに気が付いた。
「……本当にそれだけか?」
「それだけ、とは?」
「からあげ弁当、なるもののためではあるまいな?」
ビクンッ! とサイプルの肩が跳ねた。深紅の瞳は右往左往し、額からは汗がダラダラと流れている。どうやら嘘はつけない性格のようだ。
「どうなのだ?」
「………………それも、少しだけ、あ、る」
いや、あるのかよ。たっぷりの間の後、歯切れ悪く尻すぼみに肯定するサイプルに心の中でツッコむ。というか、さすがは父親。息子さんの思考をよく理解してらっしゃる。
デミウル様は、はぁぁ……と盛大なため息を吐き切ると、目じりを吊り上げた。
「己が欲を満たすために、異界の者を神隠し強引に神域に招くとは……この者の世界の神にどう説明するつもりだ?」
デミウル様の静かなる怒りと同調するように、神域の空気が変化していく。漂う刺々しい冷気が、俺の肌をブルリッと震わせる。
「ぅ、嘘は言っていない! 勇者探しに同行するなら自分は師匠がいい! この言葉は本心だ!」
「そういう問題ではない、愚か者」
――スパーーーン!
再度響き渡るハリセンの音。最初の一発目より衝撃が強いのか、サイプルの体が少しふら付いた。
「神である我らが、守るべき者たちの意思を無視した行動をとった……そのこと自体が大問題なのだ」
「はい……申し訳ありません」
「己の気持ちに素直なところはお主の美点である。だが、もう少し視野を広げ、後先のことを考えて行動せよ」
「はい……」
眉尻を下げ、分かりやすいくらいに反省を態度で示すサイプルに、デミウル様は一つ息を吐くと怒りを鎮めた。神域の空気はもとに戻るが、デミウル様の瞳は未だに息子を咎めている。
あからさまに落ち込んでいる少年。せっかくの綺麗な顔を俯かせ身を縮こませている姿は、まるで小さな子供のようだ。そんな姿を目の前にしてしまうと、俺の損な性分がむくむくと頭をもたげてくる。
面倒事に巻き込まれるべきではない、自分はそんな重要な任務を果たせるほどの人間じゃない、おっさんにそんな体力ない、などなど……騒ぎ立てる“世話焼き”を、必死に宥める。その説得のおかげか、ざわついていた胸の中が少しずつだが落ち着きを取り戻していく。
凪いでいく胸の内。安堵の息を吐いた俺は油断してしまったのだ。
チラリ、となんとなく動かした視線が、深紅の瞳と交わってしまった。
しまった! と思ったが、時すでに遅し……
こんなおっさんを師匠と慕う年若い子が、捨てられた子犬のような目で俺を見ている……そう心が認識した瞬間、抑え込んでいたものが大爆発してしまった。
「はぁ……しゃーねーな」
俺は自身の性分に白旗を上げ、腹を括った。
「あー……デミウル、様……でしたっけ? 俺、別に異世界に行ってもいいですよ」
俺が発した言葉に、二つの赤の双眸が一斉にこちらを向く。緋色は驚きに見開かれ、深紅は歓喜に輝いている。
「本当ですか!? 師匠!」
先ほどまでのしおらしい態度はどこへやら……サイプルは俺の手を再び力強く握りしめると、爛々と瞳を輝かせる。相変わらず近い距離感に、半歩後ろに下がりながらも俺は首を縦に振った。
「あ、あぁ」
「ッ……! ありがとうございます、師匠!!」
「だぁー! 止めろ! 気色悪い!!」
抱きついてこようとするサイプルを、無理やり押し返す。
これが女性なら、アイドル級イケメンからの抱擁に赤面していただろう。もしかしたら、恋が始まっていたのかもしれない。だが、俺はおっさんだ。アラフォー……にはまだなっていないはずの、成人男性。残念ながら、トキメキも恋の芽生えもない。だが、人情ならある。
綺麗な顔が歪んでしまうくらいに強く顔面を押されても、サイプルから文句は飛び出さない。それどころか、ニコニコと嬉しそうだ。喜びが全身から溢れ出ている少年を見て、自分の選択は間違えていないと、俺は確信した。
「異界の者よ。本当にいいのか……? 一度転移すると、元の世界には帰れないのだぞ」
やっぱり、今を逃すともう俺は元の世界に帰れないのか……デミウル様の言葉の端々から、なんとなく予想はしていた。それでも、俺の意思は変わらない。
「いいですよ。恋人も家族もいないし、仕事も俺がいなくても大丈夫になったんで……ただ、一つだけお願いしてもいいですか?」
「かまわん。申してみよ」
デミウル様の寛大さに甘え、俺はおずおずと願望を口にする。
「華を……相棒である移動販売車を異世界に連れて行くことはできますか?」
もう元の世界に帰れないと確信した時、真っ先に俺の脳裏に浮かんだのは、毎日メンテナンスを欠かさず愛情をたっぷり注いだ白い車体。長年連れ添ってきた大切な相棒……華を置いていくことだけが、俺にとっての心残りだ。
異端中の異端である華を連れて行くのは難しいかもしれない。でも、俺は僅かな望みにかけてみる。
「移動販売車とは……あの白色の乗り物のことか? かまわんぞ」
「え!? いいんですか?」
「あぁ……この際だ。アルテルの地でも変わらず活動ができるようにしておこう」
「! 是非、お願いします!」
あっさりと許可を出すだけでなく、そんなことまでしてくれるとは……! 神様からの神対応に俺は感動した。
「ありがとうございます! デミウル様!」
「礼を言うのは、我の方だ。そなたの器の大きさに感謝する」
デミウル様はフッと口元を緩めると、軽く頭を下げてくる。
神という偉大な存在でありながら、礼儀がきちんとしているデミウル様。立派すぎるご老人に戸惑っていると、いつの間にか神域の空気が柔らかくなっていたことに気が付いた。俺は緊張を解くと、ニヤッと悪戯めいた笑みを向ける。
「勇者を見つけた後の加護とスキル付きスローライフ……忘れないで下さいね」
「あぁ、そうだったな」
抜け目ない俺に、デミウル様は喉奥で笑ってくれた。
寺日陽太、三十六歳。未来のスローライフを求めて、相棒と共に異世界転移デビューします!
「師匠! これから、宜しくお願いします!」
「はいはい」
まさかの弟子付きで……
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