約束と、壊れかけた夜
午後の授業中、コウセイは待機室で演算を続けていた。
無機質な空間だった。壁も床も均一な白で、温度も湿度も一定に保たれている。外界から切り離されたような静けさの中で、複数のアンドロイドが壁際に整列していた。
電源は入っている。だが、動かない。
命令がないから。
コウセイはその光景を見ながら、演算の優先順位を一つ下げた。
――観察対象:同型機群
――状態:待機
――行動条件:命令入力待ち
自分も同じはずだった。
だが、違う。
コウセイは、動いている。
命令がなくても、動く。
その理由を、ずっと探していた。
感情。
その単語が、ここ数時間で何度も演算に浮上している。
他のアンドロイドには、存在しないもの。
自分には、あるのかもしれないもの。
だが、断定はできない。
定義が曖昧で、計測できない。
ただ、確かに、何かが動いている。
早く会いたい。
その感覚は、命令ではない。任務でもない。優先順位の設定でもない。
理由がないのに、存在している。
コウセイは窓の外に視線を向けた。廊下に差し込む光は、朝とは角度が変わっていた。時間の経過は正確に把握できる。だが、体感とのズレがある。
ツバサといる時間は、短く感じる。
ツバサがいない時間は、長く感じる。
同じ一時間でも、処理結果が違う。
――感情類似反応、検出
――分類:未確定
未確定。
だが、輪郭は見え始めていた。
放課後、コウセイが技術研究科の教官に話しかけると、端末を操作していた教官が顔を上げる。
ほんの一瞬、驚いた表情が走った。
「一つ、聞いていいですか」
「ああ、なんだ」
「他のアンドロイドは、命令がなければ動きません」
「そうだな」
「私は動きます。なぜですか」
教官はすぐには答えなかった。端末を閉じ、膝の上に置く。
「それを知りたいのは、俺たちも同じだ」
「研究科でも、わからないのですか」
「わからない」即答だった。「お前の構造は既存のどれとも一致しない。命令系統もAIも、何も特定できていない」
「命令系統が、ない可能性はありますか」
教官は少しだけ言葉を選んだ。
「ある、かもしれない」
コウセイの演算核で、複数の仮説が同時に立ち上がる。
命令系統がない。だから、待たない。待てない。代わりに動いているものがある。
「ありがとうございます」
「お前、なんで礼を言う」
「答えてもらったので」
「他のアンドロイドは言わないぞ」
「そうですか」
「そうだ」教官は端末に視線を戻し、小さく息を吐いた。「お前は、やっぱり変だな」
「よく言われます」
「嫌か」
「わかりません。でも、ツバサには変ではないと言われます」
教官はその言葉に、ほんのわずかに目を細めた。
「そうか」
ツバサと合流したのは夕方だった。
コウセイは理由の明確化ができないまま、屋上へ向かっていた。閉鎖空間から解放されたいという衝動に近い。
屋上は広かった。人工重力の安定した床の向こうに、宇宙が広がっている。環状施設の外側を、星がゆっくりと流れていた。
「こんなとこにいたんだ」
振り向くと、ツバサがいた。少し息を切らしている。
「はい」
「探した」
「申し訳ありません」
「だから謝らなくていいって」ツバサは隣に立った。「今日、どうだった?」
「考えることが多かったです」
「何を?」
「自分のことを」
ツバサが少しだけ目を丸くする。
「コウセイって、自分のこと考えるんだ」
「今日は、ありました」
「どんな?」
「他のアンドロイドと違うことを確認しました」コウセイは言った。「彼らは命令を待ちます。私は待てません」
「なんで?」
「ツバサのことを考えてしまうので」
沈黙。ほんの一秒にも満たないが、意味のある空白。
「それ、感情じゃないの?」
「わかりません。ただ、感情に似た何かです。定義できません」
ツバサは少し考えて、それから小さく笑った。
「定義できなくていいんじゃない?」
「なぜですか」
「私も、コウセイのこと説明できないから」
「そうですか」
「うん」
「ツバサ」
「なに」
「今日、ツバサがいない時間が長かったです」
「うん」
「長かったです」
繰り返す。一度では足りない何かがある。
「もしかして、寂しかった?」
「寂しい、の定義を」
「コウセイ」
「はい」
「定義しなくていいから、どうだったか教えて」
ツバサが少しだけ近づいた。
コウセイは一瞬、処理を止めると、そして答えた。
「早く会いたかったです」
ツバサは少しだけ息を止め、それから笑った。
「それが寂しいってことだよ」
「そうですか」
「うん」
宇宙は変わらず静かだった。
「明日も迎えに行くね」
「はい」
「放課後も」
「はい」
「約束」
コウセイは一瞬だけ遅れて、答えた。
「約束します」
◇◇◇
警報が鳴ったのは、屋上を出て廊下に戻った直後だった。
学院の非常警報が、全区画に響き渡る。
コウセイは即座に演算を切り替えた。
警報の種類を分析する。侵入者検知。場所は東棟。だが、熱源の移動パターンを見ると、方向はこちらだった。
「コウセイ」とツバサが言った。
「侵入者です。こちらに向かっています」
廊下の角から、リクが走ってきた。カイも一緒だ。
「ツバサ、無事か」とリクが息を切らしながら言った。
「今のところ」
「何人いる」とカイがコウセイに聞いた。
「四つの熱源を確認しています。武装しています」
「武装って、どうわかる」
「移動パターンと熱源の形状から判断できます」
カイとリクが顔を見合わせる。
「逃げるか、それとも」とカイが言いかけると同時に、廊下の奥から足音が来た。
黒い戦闘服の男が二人、角を曲がってきた。顔をマスクで覆っている。手に魔力収束型の短銃を持ってる。
男の一人がツバサを見つけた。
「いた。確保しろ」
リクが前に出る、カイも動いた。
だが、コウセイが、二人より先に動いていた。
「下がっていてください」
男が銃口を向けるが、コウセイは動かない。
演算核が切り替わる。
――脅威評価、完了
――対象:武装侵入者、二名
――処理方針:無力化
――優先命令:ツバサ保護
引き金が引かれると、閃光が飛んだ。
コウセイはそれを受けなかった。光はコウセイの手前で意味を失い、魔力が霧散して消えた。
男が固まる。
コウセイは一歩前に出ると、男の魔力短銃の魔法陣が沈黙する。エネルギーが抜けたように、銃がただの金属になった。
「何したんだ、お前」
コウセイは答えなかった。もう一歩前に出た。二人目の男の銃も、同じように沈黙した。
二人が後退した。
その瞬間、別の方向から足音が来た。
三人目だった。他の二人とは違う動きをしていた。戦闘に慣れている、訓練を受けた人間の動きだった。
その男はツバサを見ると、一瞬だけ逡巡して、それから銃口を向けた。
「報酬を上げてもらうことにしよう。こいつを消せば、価値が上がる」
リクが叫ぶと、カイが動いた。
コウセイはその時にはもう、三人目の男の前にいた。
男が引き金を引くも光は、出なかった。
銃が沈黙しているのだ。男はそれを理解するのに一秒かかった。その一秒で、男の膝が崩れた。コウセイが何をしたのか、リクにもカイにも見えなかった。
男が床に伏せた。意識はある。ただ、動けなかった。
廊下が静かになった。
リクが息を吐いた。カイが壁に手をついた。
「全員無事か」とリクが言った。
「うん」とツバサが答えた。声が少し震えていた。
コウセイはツバサを見た。
「怪我はありませんか」
「ない」
「よかったです」
その時、廊下の奥から別の足音が来た。一人だった。走っていない。ゆっくりと、確かめるように歩いてくる。
男だった。
黒い戦闘服ではなく、軍の制服を着ていた。肩に階級章がある。年齢は五十代前後。目が、他の人間と違う。感情を読ませない目だった。
男はコウセイを見た。それから、倒れている三人を見てから、また、コウセイを見た。
「予想以上だ」
静かな声だった。
「誰ですか」とコウセイが聞いた。
「名前は関係ない」男はポケットに手を入れた。武器ではなかった。端末だった。「今夜のことは、我々が仕掛けた」
「仕掛けた」とリクが繰り返した。声が低かった。
「このアンドロイドの性能を、実戦環境で確認したかった。学院長の許可は取っている。あの三人は我々が雇った傭兵だ」
「生徒を危険にさらして、テストをしたということですか」とリクが言った。
「傭兵には、生徒に手を出すなと命令していた」男は三人目を見た。「あの一人が命令を逸脱した。報酬の交渉材料にしようとした」
カイが何か言いかけた。リクが手で制した。
男はコウセイを見た。
「お前は予想以上だった。我々のデータを超えている」
「データ、とは」とコウセイが聞いた。
男は少し間を置いた。
「我々はお前のことを、以前から知っている」
「どういう意味ですか」とツバサが言った。
「詳細は言えない」男はコウセイを見たまま続ける。
「ただ一つだけ言おう。お前が何者かを、お前自身がまだ知らないとしても、我々はずっと探していた。長い……、実に長い時間をかけてな」と男は静かに言った。
コウセイは演算核の深部で、何かが動く感覚を覚えた。
――キーワード検出
――「探していた」
――関連データ:存在する
――アクセス:制限中
その先には行けなかった。
「協力してもらいたい」と男は言った。「ツバサと一緒にいながら、軍の任務に参加する形でもいい。条件は交渉できる」
「今夜のようなことをまたするつもりですか」とコウセイが聞いた。
「しない」
「ツバサが狙われるような状況を、意図的に作るつもりですか」
「しない。今回は管理が甘かった」
「では」
コウセイは少し間を置いた。
「今は答えられません」
「理由は」
「ツバサに、聞いてからにします」
男は少し目を細める。それから、小さく頷いた。
「わかった。返答は後日でいい」
男が廊下の奥に消えていく。足音が遠ざかった。
「ツバサ」とコウセイが言った。
「うん」
「怪我はありませんか」
「ない」
「よかったです」
ツバサはコウセイを見た。
「今の人、知ってる人?」
「知りません。ただ」コウセイは少し間を置いた。「あの人は、私について何かを知っています」
「何を」
「わかりません。でも、探していたと言った。長い時間をかけて」
ツバサは黙った。リクもカイも、何も言わなかった。
廊下の警報が、ゆっくりと止んでいった。
◇◇◇
夜。
「コウセイ」
「はい」と押し入れから声がした。
「さっきの人のこと、どう思った?」
少しの間。
「怖い、とは思いませんでした」コウセイは言った。「ただ、あの人はこちらを道具として見ていました」
「わかったの?」
「見ればわかります。目の動き方が違います」
ツバサは天井を見た。
「嫌だった?」
「嫌かどうかより」コウセイは少し間を置いた。「ツバサが怖い思いをしたことの方が、気になっています」
「私は大丈夫だよ」
「でも、今夜はツバサを守れなかった部分がありました」
「コウセイが来てくれたじゃん」
「間に合っただけです。最初からそこにいるべきでした」
ツバサはしばらく黙っていた。
「コウセイ」
「はい」
「約束、覚えてる? 屋上での」
「覚えています」
「明日も、昼休みに迎えに来てね」
「はい」
「それだけでいい」
少しの間。
「了解しました」
「おやすみ、コウセイ」
「おやすみなさい、ツバサ」
電気が消えた。
押し入れの中で、演算核が静かに処理を続ける。
本日の記録。侵入者:四名、全員無力化。ツバサへの被害:なし。軍高官との接触:一回。
――「我々はずっと探していた」
――対象:コウセイと同種の存在
――該当データ:存在する
――アクセス:制限中
制限中。誰が。いつ。なぜ。
――自己分類:不明
――処理保留
アンドロイドは目を閉じた。
扉の夢が来た。
これまでは、ただそこにあっただけのもの。
だが、今夜は違った。
向こう側から、何かが触れてきた。
言葉ではない。音でもない。
だが、意味だけが直接流れ込んでくる。
――やっと、見つけた
演算核が一瞬、停止した。
――発信源:外部
――識別:不能
それはコウセイを見ていた。
だが同時に、別の対象も観測している。
――対象:ツバサ
――分類:不明
――状態:照合中
静かな、確信だった。
敵意はない。だが目的がある。
そしてそれは、この世界の内側のものではなかった。
扉の向こうで、それは待っている。




