第五話 決めるのは、僕
昼休みの後から、霧島さんは明らかに元気がなかった。掃除中の今も、箒が止まったままだ。
「霧島さん、どうしたんだろう……僕何かしたかな」
ちりとりにゴミを集めながら、ぽつりと呟く。
「はぁ?何かしたのは、あいつの方だろ?」
颯はまだ、お札を投げつけられたことを怒っていた。
「知らなかったんだから、仕方ないよ」
斎賀先生の言う“祓い師の一族”なら、警戒したのも無理はない。
「掃除終わりー!もう帰って良いぞー!」
担任の声かけを合図に、みんながバタバタと片付けを始める。
「霧島さん、掃除終わりだって。化学準備室、一緒に行こう」
「……はい。白瀬くん」
僕たちも掃除道具を片付けて、帰りの支度をした。
とぼとぼと歩きながら、化学準備室まで向かう。
「あの……」
沈黙を破ったのは、霧島さんだった。
「白瀬くん。さっきは……すみません」
「え」
僕は目を丸くした。
霧島さん、そのことを気にしていたのか。
「だいじょ――」
“大丈夫だよ”と言い終える前に、颯が割り込んできた。
「おうおう。ほんとにな!気ぃつけろ!」
「……はぁ。颯、少し黙って」
「あーん?危なかったのは事実だろうがよ」
僕がギロリと睨むと、颯は舌打ちして黙り込んだ。
「霊と対峙したら冷静に……それが、家の教えなのに、私、全然できなくて……本当にごめんなさい!」
霧島さんが勢いよく頭を下げた。
「ちょ、顔上げて!霧島さんは、僕のこと守ろうとしてくれてたんだよね?その気持ちは、嬉しいし……ありがとう」
霧島さんがゆっくりと顔を上げる。不安に満ちた表情で、僕たちの方を見ていた。
「許してくれますか……?」
「……二度としねぇなら許す」
そう言って颯は、ぷいっと顔を背けた。
「……はい。二度と、しません」
真面目すぎるくらいだ。
彼女の真っ直ぐな返事を聞いて、僕はふっと口元を緩めた。
「あの、白瀬くん。よければ下の名前で呼んでも良いですか?私のことも、奏でかまいません」
「もちろん!奏さん。これからよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。柊くん、颯くん」
「……おうよ」
颯が短く返事をした。もう、きっと怒ってない。
胸の奥が、少しだけ暖かくなった。
――化学準備室に着くと、既に斎賀先生が僕たちを待っていた。しかし、他には誰も見当たらない。
「よく来ましたね。あと二人呼んでるんですが……来ない前提で始めましょう」
「んだそれ。適当だな〜」
颯が眉を顰める。
「掴めない子なんですよ……はぁ……」
斎賀先生の深いため息に、日頃の苦労が伺えた。
かなりの変わり者って聞いたけど、どんな人達なんだろう……。
「まあ、とりあえず座って下さい」
出されたパイプ椅子に、僕と奏さんが腰を下ろす。颯はいつも通り、空中で胡座をかいた。
「じゃあ、まずは基礎から。
霊は、未練や強い想いでこの世に留まった、霊力の塊です。だから、霊力を通してしか触れません」
「霊力が強ければ、触れられる、ってことですか?」
僕は首を傾げた。
「でも、先生。颯くんには触れません」
そう言って、奏さんが颯を指さす。
「颯くんにはね」
一拍置いて、斎賀先生は言い切った。
「“霊力が一切ない”んです」
「はぁ?」
「おそらく、颯くん自身の霊力は全部、病院の身体の方にあるのでしょう。だから今の颯くんは――半霊なんです」
「……半霊」
しばらく、誰も言葉を発せなかった。
「でもよ、俺、この姿になってから霊が見えるぞ。霊力ゼロでも見えるんか?」
「そこがまた謎でしてねぇ……。ですが、一つだけ確信があります」
先生は顎に手を当てて続けた。
「君たちの間には、すでに契約が成立しているということです」
「契約ぅ?俺らそんな話してねぇぞ?」
斎賀先生が、まっすぐに僕らの方を見た。
「――君たち、昨日、共霊しましたよね?」
「え?」
「はぁ?」
僕と颯の声がぴたりと重なる。
昨日と言えば……
――あれだ。
「は!?先生、見てたのかよ!!」
どうやら颯も気づいたらしい。
奏さんは、険しい表情になっていた。
「あれはねぇ、契約が結ばれていないと、できないことなんです」
「……だから、その契約って何なんだよ?」
颯が腕を組み、眉を寄せる。
「霊は、人間と契約し――“守護霊”になります。本来は双方の同意のもとで結ばれるものですが……」
斎賀先生は、咳払いを一つして、続ける。
「例外もあります。――人間側の霊力が、圧倒的に上回っていた場合、契約を強制することができるんです」
「……強制?」
嫌な予感がする。
喉の奥が、ぎゅっと締まった。
先生がゆっくりとメガネを持ち上げる。
「これはあくまで僕の仮説ですが――交通事故で颯くんは、生と死の縁に立たされた。肉体と魂が乖離したその瞬間。柊くんの“願い”が契約となり、颯くんをこの世に留めた」
「願い……」
「柊くん。あの時、何を思ったか……覚えていますか?」
「……僕、僕は……」
一体、何を?
「“いなくならないで”
――そう願ったのでは?」
その言葉が、僕の心臓を撃ち抜いた。
僕がそう願った。だから、颯はここにいる。
「……つまり、颯は僕のために……?」
「あくまで、“仮説”です」
颯がまた、眉間の皺を深くした。
「じゃあよ、その契約っつーの破棄しちまえば、元に戻れるんじゃねぇの?」
「その可能性はあります。
ただし――」
先生の表情が曇る。
「元の肉体に颯くんの魂が戻る保証はありません。最悪、そのまま魂が消え、肉体は死に至る可能性も」
「……ッ!」
一瞬、息が止まった。
颯が……消える?
「んだそれ、ふざけんなよ」
颯が低い声で呟く。
しばらくの沈黙。
そして、斎賀先生がゆっくりと口を開いた。
「……契約は、人間である柊くんの意思で破棄することができます」
静かながら、圧を感じる声だった。
「――決めるのは君です、柊くん」
投げかけられた問い。
僕の答えは決まっている。
「颯が消える可能性が1%でもあるなら、僕は……契約を破棄しません」
――僕はまた、“いなくならないで"って願ってしまう。
「柊……」
らしくない目をして、颯が僕を見ていた。
斎賀先生は、安心したかのように息を吐く。
「それが最善だと思います。では――今後どうするか」
そう言って、先生は目を細めた。
「君たちに一体何が起こったのか、真実を探るべきかと思います。そのために、霊の世界を理解することから始めましょう」
確かに。僕たちは知らないことだらけだ。
――ピンポンパンポーン。
『斎賀先生。至急、職員室までお戻り下さい』
校内放送が斎賀先生の名前を呼んだ。
「おっと、呼ばれてしまいましたね……」
斎賀先生は、申し訳なさそうに肩をすくめる。
そして、
「今日はここまで。また明日、続きを話しましょう。あとの二人も、明日こそ連れてきます」
僕たちに向けて、柔らかく微笑んだ。
「奏さん。下校しながらで構いませんので、霊害についてだけ彼らに説明してあげてください。次、いつ遭遇するか分かりませんからね」
「承知しました。柊くん、颯くん。帰りましょうか」
奏さんの声は、落ち着いていた。
だけど、しっかりした声だった。
――その“次”は、思ったより早いのかもしれない。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:1月8日7時
第六話 守りたい人が、増えた【前編】




