第二百九十五話 Episode:狛【鈴の音】
紫苑は口が悪いだけじゃなくて、
言葉足らずなところもあった。
俺が杉浦のミルクティーを被った後から、
杉浦たちは何もしてこなくなった。
あんなに目の敵にされていたのに。
言わないけれど、
紫苑が何かしたんだと思った。
——紫苑はそういうやつだ。
俺の知らないところで、
勝手に決めて勝手に動く。
紫苑には、“相談する”という発想がそもそもない。
誰にも頼れず、生きてきたからなのかもしれない。
*
「訓練場、使う?」
ある日の早朝。
紫苑がまだ眠りについている頃。
俺が久世家の前で走り込みをしていると、蒼嶺様に声をかけられた。
「いいんですか?」
「うん。君は東雲家の人間だろ?」
蒼嶺様が笑う。
「毎朝毎朝、家の前でやられても迷惑だし」
「……すみません」
ずっと気づかれていたのか。
それにしても、早起きな人だ。
まだ六時前だと言うのに。
「いや?何でそんなに頑張ってるの?」
「俺はまだまだ弱いので」
——強くなりたい。
紫苑と同じくらい。
そうすればいつか、
頼ってくれるかもしれない。
「俺らを守るため?」
「……」
蒼嶺様の問いに、
即答できなかった。
「……そうです」
間違ってない。
紫苑も久世家の人間だ。
だから、たぶん。
「それは嬉しいなぁ」
蒼嶺様は紫苑と仲が悪い。
理由は詳しく知らないけれど、
おそらく後継者絡みだろう。
それでも、
俺は蒼嶺様が好きだった。
「どうせなら一緒に特訓しない?
俺も最近、共霊できるようになってさ」
あの頃の蒼嶺様は、
いつも明るくて真っ直ぐだったから。
「強くなりたいんだよね」
迷いのない声だった。
こうして、
蒼嶺様と一緒に早朝特訓するという日課ができた。
五月も半ばを過ぎた、ある日。
「侍従が夜襲をかけたんですか?」
「そう」
俺は蒼嶺様から紫苑の幼少期の話を聞いた。
「紫苑はまだ八歳だったよ」
「……そんな……」
侍従が裏切り、紫苑の命を狙った。
紫苑は金槌で殴られて怪我をした。
……あり得ないだろ。
たった八歳の子ども相手に。
「……酷い話だよね」
蒼嶺様はどこか遠いところを見ながら話した。
「お婆様も諦めたらいいのに」
蒼嶺様も、紫苑も。
本人たちが争いを望んでるわけじゃない。
ここは、
大人の都合が過ぎる家だ。
同じ家に暮らしているのに、
家族で笑って食卓を囲む姿なんて想像できなかった。
「久世家が、まとまるといいですね」
「うん。俺もそう思う」
特訓の合間、蒼嶺様とそんな話をした。
ちょうどその頃から、紫苑の様子がおかしくなった。
その理由は今でもわからない。
紫苑は言わないから。
いや、
言えないから。
だから、
言葉がなくても伝わるように、
紫苑の助けが聞こえるように、
あの日、俺は紫苑にお守りを渡した。
そして、あの山で。
シャラン……。
鈴の音が、
川に沈む紫苑のところへ、俺を導いてくれた。
それなのに——
俺は紫苑を守れなかった。
俺を助けたせいで、
紫苑は禁式を使い、久世家を破門された。
俺が、紫苑の将来も、
帰る場所も奪ったんだと思った。
「友達なんだろ?」
それでも、
紫苑は笑ってくれた。
——最初から、わかっていた。
久世紫苑は強い。
とても強くて、とても優しい。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:9月1日21時
第二百九十六話 Episode:狛【次】




