第二百九十話 それぞれの理由
***
Side:柊
数分前。
母屋の屋根には、影が四つ並んでいた。
紫苑さんと狛さん。
それから久世蒼嶺。
もう一人、いる。
遠くてよく見えない。
ただ、気配だけは久世家のものだ。
ここにいるだけで、足がすくむ。
「……お父様」
葵さんが小さく呟いた。
「え?」
お父さん?
——葵さんの?
ということは。
「久世紺士」
口を開いたのは深雪さんだった。
篝くんを支える深雪さんの手に力が入った。
「久世家の当主よ」
——あの人が?
もう一度、屋根を見上げる。
半分結ばれた青い髪が風に揺れていた。
表情はよくわからない。
だけど、
笑っている気がした。
葵さんが肩をすくめる。
「全く。何しに来たんだか」
全員が屋根を見上げる中、
葵さんだけが視線を篝くんに落とした。
「さて。この男、どうしましょう」
ピキ……。
葵さんの掌に氷が現れる。
咄嗟に葵さんの前に出た。
「こんな状態の篝くんに何をする気!?」
「私の気が晴れないんですよ」
葵さんが僕を睨みつけた。
氷色の右目が冷たく光る。
「あの日、蒼嶺お兄様も紫苑お兄様もいなかったことをいいことに、この男は私を侮辱した」
『何の話だよ』
僕の内側から颯が呟いた。
葵さんがいつの話をしているのか、
僕にもわからない。
わからないけど。
「篝くんはそんなこと——」
「葵ちゃん」
僕の言葉を深雪さんの声が遮った。
「あの日、確かに御影家のやり方は乱暴だったわ。
それは謝る。ごめんなさい」
「……」
葵さんが深雪さんを一瞥する。
「だけど、かがちゃんは貴女を侮辱したわけじゃないの」
「……あの日、御影狭霧は“牽制”だと言っていましたよ」
葵さんが篝くんへ向かって手を伸ばした。
「ダメだ!」
葵さんの前で僕は両手を広げた。
僕の背後に宵くんと灯さんが降り立つ。
「何故、その男を庇うんですか?
あなたは御影の人間でもないのに」
「僕は……」
僕だって、御影の側にいる。
でも、それ以前に。
「篝くんの友達だから」
「ハッ」
葵さんが嘲笑う。
「じゃあ、その男はあなたを守ってくれるんですか?」
「いつも守ってくれてる……!」
「さっき全部焼き尽くそうとしてましたよね?」
「………っ!」
——『……やっぱり御影家には、君が相応しいよ』
あの焔の中で、僕の声は届かなかった。
篝くんは、
僕も、颯も、狭霧さんも、
宵くんも灯さんも見えていなかった。
「あれが本性なんですよ」
——違う。
「どれだけ猫を被ったって、本当は利己的で暴力的」
ドクン!
——『凶暴で、支配的⭐︎力でねじ伏せ自分の思い通りにする⭐︎』
——『力を持つと、みんなそうなる⭐︎』
「そんなことない……」
篝くんは違う。
「お父様と一緒。だから嫌いなんです」
「篝くんは……」
——『だから僕も君を守るよ』
「守るって言ってくれた……!」
だから。
あの焔だって、
きっと何かわけがあるはずだ。
「じゃあ見境なく殺しても問題ないと?」
——『結局さ⭐︎守る奴が一番暴力的なんだよ⭐︎』
「……あ」
守るって、
何?
右手の痛みが急に強くなった。
まだ、紫苑さんの血がついている。
「……僕は……」
力があるなら、
その力を使って誰かを守りたい。
だけど同時に、
その力は誰かを深く傷つけるのかもしれない。
「——葵」
男の声に、
葵さんが振り返った。
「蒼嶺お兄様」
久世蒼嶺だった。
「御影は降参した。もう篝に手を出す必要はないよ」
「降参……!?」
深雪さんの顔が青ざめる。
蒼嶺が深雪さんを見下ろした。
「ええ。御影家当主本人の口から聞きました」
『マジかよ……』
……そんな。
結局、御影家を守れなかった。
あんなに紫苑さんを傷つけたのに。
僕は、
何がしたかったんだ。
ドォンッ!!
頭上で轟音が弾けた。
「……っ!」
瓦の破片が降ってくる。
見上げると、
屋根の上で紫苑さんと久世紺士がぶつかっていた。
『何であいつら戦ってんだよ!?』
「遊んでるだけだよ」
答えたのは蒼嶺だった。
『は!?遊び!?』
「俺は知らないよ。
戦う理由なんて人それぞれだろう?」
「……っ」
——戦う理由。
『今遊んでる場合じゃねぇだろ!?』
「今しかないんだよ」
蒼嶺の口元が緩む。
「禁式が解けたら、紫苑は終わりだ」
喜びにも、悲しみにも、
どちらにも見える表情だった。
ジャバッ!
水飛沫を上げて、
上空から黒い影が落ちてきた。
「……っ!狛さん!!」
「無事か!?」
「僕たちは無事です!でも、篝くんが……」
「……気を失ってるわ」
深雪さんが篝くんの額に手を当てる。
「狛くん。紺士先生が来てるわね。
一体何が起こってるの?」
——紺士“先生”?
いや、
今はそんなことどうでもいい。
「焔を沈めたのは紫苑です。
禁式で、狭霧様の守護霊を奪ったんです」
……やっぱり。
「今、紫苑は共霊状態です」
「禁式なんて使って、紫苑さんは大丈夫なんですか!?」
さっき見た、顔の火傷。
無事だとは到底思えない。
「……わからない」
狛さんが屋根を見上げる。
つられて僕も視線を上げた。
屋根の上で、
二つの霊力がぶつかり合い、夜を照らしている。
「だけど、紫苑が禁式を使わなかったら——
篝もお前たちも危なかっただろう」
「……あ……」
焔をかき消した、あの水流。
僕たちを呑み込もうとしていた焔を、
紫苑さんが止めた。
「俺は、紫苑を信じてる」
その時。
ガギィィン!!
紫苑さんの拳と、久世紺士の武器が激しくぶつかった。
あの武器は——薙刀!?
「……チッ」
深雪さんの舌打ちが聞こえた。
バキン!!
紺士の薙刀が折れる。
距離を取る紺士を紫苑さんが追った。
「紫苑さんが押してる……!」
だが、次の瞬間——
バチィンッ!!
紫苑さんの身体が屋根の上を滑った。
砕けた瓦の破片が舞う。
「紫苑!!」
狛さんが叫んだ。
紫苑さんが立ち上がった、と思った。
もうそこに姿はない。
「速すぎる……!」
パシャァッ!!
水音。
そのすぐ直後。
ドォンッ!!
紺士の身体が吹き飛んだ。
「……っ!」
バシャァンッ!!
僕たちのすぐ近くに、紺士が落ちてきた。
水と瓦の破片が跳ね上がる。
「……痛ってぇ〜」
水の中で、紺士がゆっくり身体を起こした。
——久世紺士……!
「あのガキ、本気でやりやがったな〜」
紺士の片眉が上がった。
「……お?」
口元が楽しそうに歪む。
「詠慈じゃん」
青い瞳に、僕の姿が映っていた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:8月29日12時
第二百九十一話 一人のために




