第二百八十六話 Episode:紫苑【紫苑】
七月二十日。
紫陽花は枯れ、梅雨は明けた。
雲ひとつない青空。
ゆきむすめが迎えられなかった季節だ。
「紫苑」
僕はばあちゃんの部屋にいた。
「何⭐︎?」
昨日退院して、荷物をまとめるため本家に一晩だけ戻った。
これから、東雲家が僕を迎えにくる。
「使い時を間違えるなと言うたはずじゃ」
「できちゃったのすごくない⭐︎?さすが僕⭐︎」
ばあちゃんは眉間の皺を深くした。
「何じゃその話し方は!?その髪も!!」
「これ⭐︎?似合うでしょ⭐︎?」
昨日、退院してすぐ美容院に行って、
クソ真っ直ぐな髪にパーマをかけてやった。
毛先があちこちに跳ね、長めの前髪も柔らかな曲線を描いている。
「紺士の真似事のつもりか」
「別に⭐︎?僕、叔父さんとは違うし⭐︎」
僕は笑顔を見せた。
「ばあちゃんもそう言ってたじゃん⭐︎」
「だから期待しておるのじゃ」
……過去形じゃないんだ。
「お主はわしのものじゃ。必ず久世に連れ戻す」
「……でもさ⭐︎僕、思ったんだよね⭐︎」
「何じゃ」
「僕、この家嫌い⭐︎古臭いし⭐︎」
「は?」
ばあちゃんが目を見開く。
「田舎だし⭐︎遊ぶものもないし⭐︎
歳とった人しかいないし⭐︎従兄妹には嫌われてるし⭐︎」
順番に指を折る。
「みんな同じダサい髪型だし⭐︎」
ばあちゃんの拳が震えていた。
「あっ⭐︎!そうだ僕スマホ欲しいんだけど〜⭐︎
今時みんな本じゃなくてネットで調べ物してるよ⭐︎」
「紫苑……!」
「あはははははは!!」
背後から、叔父の笑い声が響いた。
「紫苑ちゃん」
振り返ると、叔父は襖の脇の柱に肩を預け、片足を軽く曲げて煙草を吸っていた。
「東雲家、迎えに来てっぞ」
吐き出した煙が、柱沿いにゆっくり昇っていく。
「じゃーね⭐︎ばあちゃん⭐︎」
僕は腰を上げた。
「紺士……!」
ばあちゃんが叔父に向かって何か言っていたけれど、
僕は聞こえないふりをして玄関へ向かった。
玄関で靴に足を入れていると、
「——紫苑」
聞き慣れない声に呼ばれた。
上がり框に腰を下ろしたまま振り返る。
——じいちゃんだった。
「餞別だ」
じいちゃんが差し出したのは、細長い黒い箱だった。
「は⭐︎?」
「あの日、先に祓った方に褒美をやると言った」
……さすがに爆弾とかじゃないよね?
箱を開ける。
「……」
中に入っていたのは、黒っぽい金属の塊だった。
柄らしきものと、いくつかの関節。
折り畳まれているらしい。
「何これ⭐︎」
「振ってみろ」
言われた通り、柄を握る。
そのまま、軽く振った。
ガシャン!!
「……っ」
金属が連なり、
一瞬で大きな鉄槌へ姿を変えた。
——鉄槌。
一瞬、爺やの顔が浮かぶ。
「……趣味悪⭐︎」
「お前には似合う」
「それ、褒めてる⭐︎?」
「好きに受け取れ」
鉄槌を片手で持ち上げる。
見た目ほど重くない。
というより、ほとんど重さを感じなかった。
なるほど。
これ自体で殴るんじゃなくて、
霊力を乗せて使う武器か。
じいちゃんが僕を見下ろした。
「二度と、ここへ戻ってくるな」
「……」
全然、傷つかないや。
「戻るわけない⭐︎」
じいちゃんに笑顔を見せる。
やっぱ僕、
この家嫌い⭐︎
玄関を抜ける。
もう侍従は誰もついてこない。
僕は一人で、この家を出る。
でも、
悪くない。
門先にシルバーの車が見えた。
その手前に、大きな人影。
「紫苑様」
東雲狛。
「その髪……」
「ああ」
僕は毛先を指で摘んだ。
「お前は真っ直ぐが好きって言ってたっけ⭐︎?」
「いえ。似合うと思っていました」
狛の口元が緩む。
あ。
これ、何回目だっけ?
……もう気にする必要ないか。
「紫苑様は、お顔立ちが綺麗ですから」
「……何それ」
夏の日差しが降り注ぐ。
身体が溶けそうに暑い。
「女顔なのに⭐︎?」
「羨ましいです。俺は目つきが悪いので」
「……ふはっ」
思わず吹き出した。
「確かに⭐︎?」
「……行きましょう」
*
その夜、狛の家の食卓で、
大皿に乗った唐揚げみたいなものが出た。
「うちの子たちの大好物なの〜」
“手羽唐”って言うらしい。
「……しょっぱ⭐︎」
思わず顔をしかめた。
「手も汚れるし⭐︎
食べ物として効率悪くない⭐︎?」
「……紫苑様?」
「何⭐︎?」
「いえ……。無理はなさらず」
右隣の狛が、僕に水を差し出す。
「もう一個食べていい⭐︎?」
「……食べるんだ……」
左隣では、狛そっくりの弟が、
ほとんど同じ高さから僕を見ていた。
僕の前方で、狛の両親が笑った。
「たくさん食べてね!!」
あの日、
山で見た光景と重なった。
「紫苑様、明日は登校できそうですか?」
「行くつもり⭐︎」
別に破門されたからって、
僕が中学生であることに変わりはないし。
僕はまだ子どもなんだから。
「てか“様”いらなくない⭐︎?
僕、もう破門されてるんだけど⭐︎」
「でも……」
「友達なんだろ?」
手羽唐をもうひとつ手に取る。
「“紫苑”でいいよ」
僕は笑顔を見せた。
やっぱり、
東雲家の手羽唐は味が濃すぎる。
だけど、
案外悪くない。
「紫苑」
うん。
悪くない⭐︎
***
「紫苑!!」
狛の叫び声が聞こえた。
「やめろ!!」
僕は一瞬だけ、庭を見下ろした。
——『“仏の顔も三度まで”、な』
きっと、火傷だけじゃ済まないだろう。
それが何?
僕の名前は、久世紫苑。
神童でも、後継者でも、
天才でもない。
笑える場所がある。
そこにいてくれるやつがいる。
それで十分。
楽しんでやろうじゃん。
凡才の世界⭐︎
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:8月24日21時
第二百八十七話




