第二百八十話 Episode:紫苑【お守り】
土曜日。
雨は前日から降り続いていた。
「おはよん⭐︎」
叔父が僕の部屋へ顔を出した。
「天気最悪だね⭐︎」
かと言って、今日の予定は変更されない。
これから山へ行く。
蒼嶺と一緒に。
「じいさんもばあさんも着いてくってさ〜」
叔父は相変わらずタバコを咥えていた。
「老人の参観日だな⭐︎」
「力比べが見たいってことでしょ」
「他にも何か見たいものあるんじゃね?知らんけど⭐︎」
「……叔父さんさ、僕を後継者にしたくないんだろ?」
僕はボディバッグに荷物を詰めながら話した。
「僕が蒼嶺に勝っちゃってもいいわけ?」
「ん〜?
お前が蒼ちゃん殺すっていうなら止めるけど〜」
——殺してやってもいいけどな。
まあ、後がめんどくさいからしないけど。
「そうじゃねぇなら別に?
お前を後継者にさせない方法なんていくらでもあるし」
叔父はスマホを触りながら軽く言った。
だけど、
こいつがハッタリを言うやつじゃないのはわかる。
「ばあさん嫌いなもんでごめんな⭐︎」
「……」
僕は何も答えなかった。
部屋に、時計が秒針を刻む音が流れる。
僕は鞄のチャックを締めた。
ガタン。
襖が揺れる音がした。
「何、まだいたの?」
「紫苑様」
叔父じゃない。
襖の方を振り返った。
「……何でいるの?」
狛だった。
「今日学校休みなんだけど」
「えっと……今日は東雲家も同行することになっていて……」
観客まで揃えてるわけね。
じゃあ、今日。
じいちゃんとばあちゃんは決着をつけたいわけだ。
「あっそ」
僕は立ち上がって部屋を出ようとした。
「待ってください」
狛が僕の前に立ちはだかる。
僕は狛を見上げた。
「邪魔なんだけど」
「お渡ししたいものがあって」
狛はズボンのポケットに手を入れた。
シャラン。
オルゴールみたいな音が鳴った。
狛が僕の顔の前で握り拳を開く。
「……何これ」
細い紐の先に、スリットのない金属の宝珠がついていた。
銀色に煌めくそれは、
まるで雪の玉みたいだった。
「お守りです」
「はあ?」
「今日は、特級の霊害を祓うと聞きました」
「あのさあ……」
「俺はあなたをお守りすると言いました。
ですが今日は一緒に任務をこなすことができないらしいので、これを」
「……」
こんなもの、役に立つわけないだろ。
「それと——」
狛はお守りを僕の掌に半ば強引に握らせた。
「ちょっと……!」
「お誕生日、おめでとうございます」
「……え?」
——僕の、誕生日?
「六月六日だったことを知らなくて。遅くなりました」
「……誕生日プレゼントってこと?」
安すぎ。
何の役にも立たないし。
なのに、
握りしめた拳が動かない。
掌の中で、宝珠が小さく鳴った。
「はい。魔除けの効果があるものにしました」
だって、
僕のために選ばれたものなんて、
生まれて初めてだったから。
「……意味わかんないし」
「?」
狛は眉間に皺を寄せた。
そして、
「友達の誕生日を祝っています」
また、あの仏頂面が崩れる。
——三回目。
「十三歳、おめでとう」
お前は、一体何なの?
誰の味方なの?
「こんなの……」
いらない?
——本当に?
「紫苑」
しゃがれた声が、僕と狛の間を裂いた。
「紫乃様!」
狛が慌てて頭を下げる。
「行くぞ」
「……うん」
突き返すタイミングを失ったから、
僕は鞄の中へお守りを突っ込んだ。
まあいい。
こんなの、いつでも捨てられるんだから。
僕とばあちゃんを乗せて、
雨の中、車は山へ向かった。
僕たちの後を東雲家の車がついてきていた。
*
登山道の入り口。
僕は傘をさして立っていた。
雨に濡れた山は、薄暗かった。
木々の間へ続く細い登山道には、
黒く濡れた岩がところどころ剥き出しになっている。
その先は急な斜面に沿って続いていて、
下の方から絶えず水音が響いていた。
山の奥から、濁った霊力が流れてくる。
「傘なんて随分と余裕だね」
蒼嶺がこちらへ歩いてきた。
蒼嶺の青髪の先から滴る雫を見て、
あの日、制服に染みついた甘い匂いを思い出した。
……さっき狛に会ったせいだろう。
「濡れるのが好きなやつって多いんだね」
変なの。
雨の日に傘をさすのは当然なのに。
「蒼嶺、紫苑」
じいちゃん——久世縹一郎が現れる。
蒼嶺の泥臭い感じ、
この人の好みなんだろうな。
じいちゃんの白髪は、
湿気のせいでうねっていた。
じいちゃんは婿養子だ。
だから僕たちと同じ真っ直ぐな毛じゃない。
久世家へ入り、嫁の言いなりになって生きてきた人。
今さら鬱憤でも晴らしたいのだろう。
その希望が、蒼嶺なんだ。
じいちゃんは蒼嶺に自分の傘をさした。
だけど、
「お爺様が濡れてしまいます」
蒼嶺はじいちゃんの傘をとって、
じいちゃんの頭上にさした。
——刷り込み。
こいつはこいつで、
じいちゃんを喜ばせるようにできてる。
結局、僕と同じだ。
……気持ち悪。
蒼嶺の持つ傘の下、じいちゃんが口を開いた。
「目標は、山に潜む特級霊害」
声だけは、叔父にそっくりだった。
「先に祓った方に褒美をやろう」
ばあちゃんは車の中からこちらを見ていた。
隣の車の助手席からは、タバコの煙が見えた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:8月20日21時
第二百八十一話 Episode:紫苑【一つ】




