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二つの心音――弟が守護霊になって帰ってきた  作者: しょう
離れられない心音

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第二百七十九話 Episode:紫苑【正義】


 梅雨入りは、すぐだった。

 今日も朝から雨が降り続いている。


 屋敷の廊下を歩いていると、前方に蒼嶺の姿が見えた。


 だからと言って、

 僕たちは会釈するわけでも言葉を交わすわけでもない。


 いつもと同じように通り過ぎようとしたその時——


「紫苑」


 蒼嶺に名前を呼ばれた。


「……何?」


 僕は歩みを止めない。


「最近、体調が優れないの?」


「は?」


「狛が心配してたよ」


 その言葉に、

 思わず足が止まってしまった。


 振り返りはしなかった。


「良かったね。

 気にかけてくれる優しい友達ができて」


 ——“友達”?


「狛は真面目で、誰にでも平等に優しい。

 紫苑もそう思うよね?」


「……そうだね」


 真に受けるな。

 こいつは僕を挑発してるだけだ。


 それくらい、わかってる。


「お婆様の指示さえなければ、

 狛には俺の護衛についてほしかったなぁ」


 それなのに、どうして。


「じゃあさ」


 こんなに苛立つのだろう。


「蒼嶺にあげるよ。

 僕は別に護衛なんていらないし」


 降り続いていた雨が勢いを増し、

 窓ガラスを強く叩き始めた。


「そうだよね。君に護衛なんて必要ない」


 蒼嶺の声が落ちる。

 

「だって君は、天才なんだから」


 ——うるさいな。


「……嫉妬すんのもいい加減にしてくれない?」


「紫苑こそ、いつまで調子に乗ってるの?」


 背後から蒼嶺の声が返ってくる。


「呼び捨てすんな」


「今さら?

 俺は君より年上だ。呼び捨てにするのは当然だよ」


「僕より弱いだろ」


「……ははっ」


 蒼嶺が、鼻で笑った。


「十三歳になっても、まだわからないんだ」


「は?」


「君は一体、これまで何を学んできたの?」


 蒼嶺の声に混じって、

 雨音が耳鳴りみたいに響いた。


「ああ。天才だから学ぶ必要もないのか」


 耳の奥がざわつく。


「何が言いたいわけ?」


 うるさくて、苛立ちが募る。


「俺は君に劣っているなんて思ってない」


「守護霊をつけたくらいで、僕に勝ったつもり?」


「そういう話じゃないんだよ」


「じゃあ何が言いたいかはっきり言えよ」


 わずかな沈黙が流れた。


「……天才でも、わからないことがあるんだね」


 ——そんなの。


「わかりたくないだけだけど」


「君は狛のことだって、“使い捨ての盾”くらいにしか思っていないんだろう?」


「何で狛の話?」


「そういうところだよ。

 だから、久世家の後継者に相応しいのは俺だ」


 ——『後継者には、蒼嶺様が相応しい……!』


「……違う」


 僕は拳を握りしめた。


「蒼嶺。この家では、強い者が正義だ」


 僕は正しい。

 だって僕はこの家の誰よりも強い。


 たとえお前が何か卑怯な手を考えていたとしても、

 僕は出し抜かれたりなんかしない。


「だから俺は、君より劣ってないと言ってるんだ」


「……話にならない」


 凡才の戯言に付き合った僕が馬鹿だった。


 僕がその場を去ろうとした、その時。

 

「蒼嶺様、紫苑様」


 廊下の奥から、侍従が姿を現した。


「紺士様がお呼びです」


 *


 タバコの匂いが漂う和室。

 叔父はソファに片膝を立てて座っていた。


「急に呼んでごめんね〜⭐︎」


 その正面で、僕と蒼嶺は畳に並んで正座していた。


 蒼嶺の隣にいるだけでも腹立たしいのに、

 ソファとの高低差で叔父に見下ろされる形になるのが、一層不愉快だった。


「何の用?」


「用件は?」


 僕と蒼嶺の声が重なって響く。


「息ぴったりだね⭐︎」


 ……ウザ。


 僕と蒼嶺が互いにそっぽを向くのを見て、

 叔父は楽しそうに笑った。


「え?いつにも増して雰囲気悪くない?」


 立てた膝に片腕を乗せ、叔父がタバコに火をつける。


「何かあったの?」


「別に何もありません。

 それより俺の前でタバコはやめてください」


「俺の部屋なんだからよくね〜?

 碧(みどり)ちゃんみたいなこと言うなよ」


 久世碧は僕の叔母、つまり蒼嶺の母親だ。

 僕はほとんど話したことがない。


 蒼嶺が眉間に皺を寄せる。


「長居したくないので早くお話を」


「はいはい」


 叔父は目を細め、タバコを深く吸った。

 

 吐き出された煙に、部屋の空気が濁っていく。


「土曜日さ、山行くよ」


「山?」


 蒼嶺が聞き返した。


「そ。仕事。羽振りいい人でさ〜」


 叔父は指を三本立てた。


「これだけ出してくれるって⭐︎だから引き受けたの⭐︎」


「……三十万ですか?」


「バッカ、零ひとつ足りねぇよ」


 笑う叔父とは対照的に、

 蒼嶺は険しい顔をしていた。


「命張る仕事に三十万とか舐めてるだろ⭐︎」


「……お爺様は何と?」


「は?何で弱い老ぼれの意見聞かなきゃなんねぇの?」


 ——ほらな。


 僕は横目で蒼嶺を見た。


「蒼ちゃんさ〜。

 俺の跡取りなんだから、まともな金銭感覚身につけな〜」


 また、それか。


 この家の“まとも”は、叔父が基準だ。


 叔父は手を伸ばして、

 ローテーブルの上の灰皿へ灰を落とした。


「んでも、じいさんが蒼ちゃんと紫苑ちゃんにやらせろって言ったからそれはオッケーしといた」


「……へぇ」


 守護霊をつけた蒼嶺と、僕を競わせる気ね。


「別に誰がやっても、祓ってくれれば俺は問題ないし⭐︎」


 叔父はにっこり笑って僕たちを見た。


「やれるよな?」


 ちょうどいい。

 どちらが正しいか、これではっきりさせられる。


「つか、やれ⭐︎ガキに拒否権とかねぇから」


 いつの間にか雨音は弱まり、

 静寂が戻っていた。


読んでくださってありがとうございます。

※次回更新:8月19日21時

第二百八十話 Episode:紫苑【お守り】

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