第二百七十六話 Episode:紫苑【友達】
その日の、昼休み。
「紫苑様」
狛は僕のところへ来た。
「お昼、食べましょう」
「……」
僕は無言で立ち上がり、
自分の弁当を持って教室を出た。
狛が僕の後をついて廊下へ出る。
「外で食べますか?」
「……関係ないでしょ」
校舎を出て中庭へ向かった。
狛はやっぱり、
僕の半歩後ろをついて来た。
「あのさあ」
足を止めて振り返る。
「僕、今朝もういいって言ったよね?」
「はい」
「じゃあ何でついてくんの?」
「好きにしろと言われたので」
即答だった。
「俺の好きにしています」
「はあ?」
何だそれ。
「紫苑様と一緒に食べようと思って」
「……」
斜め上。
校舎二階の廊下から、杉浦たちが中庭を見下ろしているのがわかった。
「……お前に得ないでしょ?」
「あります」
狛が弁当箱を掲げて見せる。
「飯は友達と食べた方がうまいので」
「……は?」
その時、
視界の端でペットボトルが揺れた。
咄嗟に掌へ霊力を灯す。
——しかし、
「危ない!!」
「うわっ!」
僕が霊力で弾くよりも先に、
狛が目の前に飛び込んで来ていた。
バシャッ!!
上空から、狛へミルクティーが降り注いだ。
「ごめーん!」
軽い謝罪と笑い声。
僕が校舎を見上げると、
ニヤつきながら片手を顔の前に立てる杉浦が見えた。
「飲もうとして手が滑った〜!!」
……こいつ何歳だよ。
「紫苑様!大丈夫ですか!?」
狛の黒髪から、甘い匂いの雫が滴る。
「……大丈夫じゃないのお前だろ」
——お前が邪魔しなかったら、上手くかわしてたのに。
「バカなの?」
思わずため息が溢れた。
呆れる僕とは打って変わって、
狛はいつも通りクソ真面目な顔をして言った。
「友達守るのは当然だから」
「……キモ」
いつ友達になったんだよ。
「お前が濡れてるし。
霊力使えば良かったじゃん」
「あ……」
狛は目を丸くしてから、
「でも、守れました」
少しだけ、
頰を緩めた。
「……先、洗ってきたら?」
東雲狛は、
頭のおかしい男だった。
「体操着、取ってきてあげるから」
近くにいたせいで、
僕もおかしくなったみたいだ。
*
教室へ戻る途中、杉浦たちとすれ違った。
「俺のミルクティー、東雲くんのせいでなくなっちゃった〜」
「……」
「喉乾いたなぁ」
杉浦の戯けた声に、取り巻き連中が笑う。
「……くだらない」
思わず溢れた。
「は?」
僕の呟きを、
杉浦は聞き逃さなかった。
振り返って杉浦を睨みつける。
「あのさ」
……おかしい。
「お前、東雲狛の教科書捨てただろ」
口が、勝手に動く。
どうやら僕の頭は、
まだ正常に機能していなかったらしい。
「何のこと?」
杉浦が眉をひそめる。
「言いがかりやめてくんない?」
「お前が東雲狛のロッカーから教科書抜いたところ、見てたやつがいる」
「え?」
杉浦が取り巻きと顔を見合わせた。
「学校の防犯カメラにも映ってるよ」
……まあ、嘘だけど。
「退学になりたくないなら、これ以上しょうもないことするのやめたら?」
「……っ」
「僕は優しくないからね」
杉浦たちは、それ以上何も言い返してこなかった。
全く、くだらない。
杉浦も、狛も。
——僕も。
狛の体操着袋は、思ったよりデカかった。
なのに少しも、重く感じなかった。
*
「紫苑様」
帰りのリムジンの中、
体操着姿の狛が僕に頭を下げた。
「今日はありがとうございました」
「……何が?」
窓の外を眺めながら答えた。
空は厚い雲に覆われ、まだ夕方なのに外が暗い。
春は、もう終わりかけていた。
「教科書です」
狛は鞄の中から、僕の教科書を取り出した。
「ありがとうございました。返します」
「あげるって言ったんだけど」
「でも、紫苑様の教科書です」
「僕は覚えてるからいらない」
「……」
「何?」
「……わかりました」
狛は教科書を鞄へ戻した。
「それと、体操着もありがとうございました」
「……濡れたまま無駄に歩かれたら迷惑だったから」
「ありがとうございます」
——ご機嫌取り?
繰り返される感謝の言葉に、
胸の奥が落ち着かない。
「……勘違いしないでくれる?」
僕は狛の方を振り返った。
「別にお前のためにやったわけじゃないし。
お礼とか言って媚び売らなくていいから」
「そんなつもりはありません」
「じゃあ、何度もへつらうなよ」
「?」
狛はまた眉間に皺を寄せた。
だけど——
「俺が嬉しかったから、お礼を言いたいだけですよ」
二回目。
ほんの一瞬、狛の仏頂面が崩れた。
「ありがとう」
「……ウザ」
——苛つく。
窓の外、あの用水路に浮かぶ教科書が見えた。
だけど僕は運転手に車を停めるよう指示しなかった。
別にいいよね。
あの教科書はあげたんだから。
リムジンが本家の門前へ着く。
「紫苑様。お疲れ様でした」
その日は金曜日だった。
「また、月曜日に」
「はいはい」
土日には大雨が降った。
きっともう用水路には、
狛の教科書は浮かんでいないのだろう。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:8月16日15時
第二百七十七話 Episode:紫苑【目覚め】




