第二百七十一話 Episode:紫苑【ゆきむすめ】
ある夜、叔父が僕の部屋へ来た。
「紫苑ちゃん、学校楽しい?」
「……は?」
「ほら、俺も一応先生やってるからさ⭐︎
お前どうせ、学校に誰も友達いないんでしょ?」
叔父は、久世家当主の傍ら、
高校教師までやっていた。
「友達って作らないといけないものなの?」
「さあ?好きにしたら良いんじゃない⭐︎?」
叔父はタバコに火をつけながら言った。
「……何で教師なんかやってるの?」
「ん〜?若い奴らの考えに触れて、脳がリフレッシュされるから〜⭐︎」
叔父がタバコの煙を吐き出す。
煙が顔にかかって、僕は眉を寄せた。
——凡才の考えなんて、役に立たないだろ。
「この家、じじいとばばあしかいねぇじゃん?」
叔父は目を細めて笑っていた。
「じじいと言えば、爺や⭐︎」
叔父が人差し指で僕を指す。
「明日、俺もじいさんもばあさんも、会合で家空けっからさ。
たまには爺やに読み聞かせでもしてもらったら⭐︎?」
「……僕もう高校の漢字も読めるけど」
「キモ⭐︎」
叔父は胸元から携帯灰皿を取り出し、タバコを押し込んだ。
「ちったあ子どもらしくしろよ」
「じゃあ子どもの前でタバコなんか吸うなよ」
「それもそうか!あははははは!!」
笑いながら、叔父が腰を上げる。
「子どもらしくなんか、この家じゃ無理だわな」
そう言い残して、
叔父は僕の部屋を出て行った。
——何しに来たんだか。
次の日の夜、久世家は静かだった。
叔父が言った通り、
みんな三流派の会合とかいうやつに出かけていたから。
風呂を済ませて部屋へ戻ると、
爺やが寝床の準備をしていた。
「……爺や」
「どうされました?」
爺やは布団を整えながら答えた。
「何で、学校ってあるの?」
「えっ?」
爺やは少し驚いたみたいだった。
「……学校は、勉強をするところですからね」
「わざわざ教師の話を聞かなくても、本を読めばわかる。
できない奴らが勝手に行けばいいんじゃないの?」
何でこんなことを爺やに聞いているのか。
自分でも不思議だった。
「そうですよねぇ……」
爺やが布団をはたく音だけが部屋に響く。
「学校は、社会性を学ぶところでもあります」
「社会性?
社会に出て、周囲と上手くやるための力ってこと?」
「そうですね」
「でも僕は久世家の当主になる。
学校の奴らと将来関わる必要はない」
爺やは、小さく笑った。
「何で笑うの?」
「紫苑様らしいなと、思いまして」
「……」
僕は目を伏せた。
“僕らしい”って、何?
爺やが振り返って僕を見る。
「さて、寝床の準備ができました。
他に私ができることはございますか?」
「……あ……」
——『読み聞かせでもしてもらったら⭐︎?』
「なければ私は失礼します」
「……待って」
自分から誰かを引き留めたのは、
この時が初めてだったのかもしれない。
「叔父さんが、爺やに読み聞かせして貰えって言った」
「……読み聞かせですか?」
爺やが目を丸くする。
「……叔父さんがそう言った」
僕は自然と、爺やから目を逸らしていた。
「そうですか」
爺やは、また小さく笑って、
「では少々お待ちください」
どこかの部屋へ、絵本を取りに行った。
爺やが戻ってくるまでの時間が、
とてつもなく長く感じられた。
「——お待たせいたしました」
爺やが持ってきた絵本は、
“ゆきむすめ”という題名だった。
色褪せた表紙、古臭い絵柄。
ずっと昔に購入されたものなのだろう。
——この家らしいと思った。
「……ご存知ですか?」
「知らない」
「そうですか」
布団に横になる僕の傍で、
爺やは畳に正座して読み聞かせを始めた。
「ゆきむすめ」
爺やは、
しゃがれた声で絵本の文字を丁寧に読み上げた。
「……」
内容は、非常に退屈だった。
それでも爺やの声が何故か心地よくて——
何で子ども用の絵本は薄いのだろうと思ってしまった。
思い返すと、吐き気がするけど。
「……」
“ゆきむすめ”。
子どものいない老夫婦が雪で作り、
神様に命を与えられた女の子。
老夫婦は喜び、ゆきむすめを大切に育てた。
だけど、ゆきむすめは雪でできている。
冬が終わり、春が近づくにつれて、
ゆきむすめは少しずつ元気をなくしていった。
暖かい場所が苦手だった。
熱に触れれば、溶けて消えてしまうから。
『こっちにおいでよ』
ゆきむすめの友達が、焚き火を飛び越えて遊んでいた。
ゆきむすめは迷う。
だけど最後は、
友達と一緒に遊びたくて、自分から焚き火に近づいた。
そうして、溶けて消えた。
「……バカだね」
思わず呟いていた。
「友達なんて欲しがるから死んだ」
僕は横になったまま、爺やを見上げた。
「……」
ほんの一瞬、
爺やが眉尻を下げたように見えた。
「……老夫婦は、さぞ悲しんだことでしょう」
「そうだね。
弱くてバカな子どもで、悲しかっただろうね」
——僕なら、そんなことしない。
パタン。
爺やは絵本を閉じた。
「数年前、蒼嶺様にもこの本を読み聞かせたことがあるのです」
「え?」
——蒼嶺?
「幼い蒼嶺様は、涙ぐんでおられました」
「どういうこと?」
「……紫苑様とは、違う感想をお持ちだったということです」
そう言った爺やは、
いつもとは少し違う目をしていた。
「さあ、もう夜が更けます。
早くお休みになられてください」
「……うん」
「明日も、学校がありますから」
爺やが部屋の明かりを消す。
「おやすみなさい」
爺やの声と襖が閉じられる音が、
暗闇に落ちた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:8月13日21時
第二百七十二話 Episode:紫苑【化け物】




