第二百十七話 静養中
颯紫さんのことは、
結局何もわからなかった。
それから二週間。
長かった。
颯は見えないまま。
僕の力も戻らないまま。
狛さんからも連絡はない。
紫苑さんも、あの日から音沙汰がなかった。
レプリカ拳銃の件だって、何もわかっていない。
そして、この二週間。
常夜が大きく動くこともなかった。
……“ラッキーだった”わけではないだろう。
きっと、
やつらは見計らっている。
動くタイミングを。
八月三十一日。
夏休み最終日。
ようやく、その日が来た。
僕と奏さんは電車に揺られていた。
——響さんに会うために。
「夏休み中と言ったのに、遅くなってしまってすみません」
「ううん。頼み込んでくれてありがとう」
今日の午後三時に、
奏さんが響さんと会う約束を取り付けてくれた。
響さんなら、僕の封印を解けるかもしれない。
期待し過ぎてはいけないと思うけれど、
早まる鼓動を抑えられなかった。
「次の駅で降ります」
奏さんがスマホへ視線を落としながら言った。
「駅に迎えが来ているとのことです」
「……そうなんだ」
斎賀先生には、“仕事だから”と断られた。
“大勢で行っても警戒されるだろう”とのことで、
麗子さんと光流くんも来ていない。
……光流くんは謹慎中だし。
それでも、明日には謹慎が解ける。
——二学期が始まる。
四日後には、もう文化祭だ。
『まもなく、寺元に到着します』
車内アナウンスが流れる。
僕は、膝の上に乗せていたリュックを背負った。
*
黒い高級車が、僕たちを山の上の本家まで運んでくれた。
車窓から外を眺める。
陽に煌めく木漏れ日。
あの時は夜だったから気づかなかった。
それでも景色を楽しむ余裕なんてなかった。
数奇屋門が見えてくる。
——『和音の父親ですよ』
あの言葉がまた蘇って、
僕は膝の上でリュックを抱きしめた。
「お入りください」
家令の男に案内されて、僕たちは門を潜った。
焼け跡が残る日本庭園。
切り倒された松の木。
黒く変色した飛び石。
石畳だけが新しく、
やけに不自然だった。
——篝くんの、戦いの跡。
「……」
奏さんも何も言わなかった。
旅館みたいに広い玄関で靴を脱ぐと、
案内役が年配の侍女に代わった。
「どうぞ」
侍女の後に続き、長い廊下を進む。
畳の匂い。
磨き上げられた床。
……静かすぎる。
鹿おどしの音が響いて、
思わず肩が跳ねた。
やがて侍女が立ち止まる。
「こちらです」
案内されたのは、本館から少し離れた建物だった。
響さんは確か……霧島詠慈の姉の娘だったはず。
同じ敷地内に住んでいても、
和音くんたちとは別の家らしい。
「響様は現在、
こちらで静養されておられます」
侍女が障子戸の向こう側へ声をかける。
「響様。お客様をお連れしました」
隣で奏さんが、息を吸って吐く音が聞こえた。
数秒後、
「……どうぞ」
落ち着いた声が返った。
「入って」
侍女が静かに障子戸を開く。
最初に見えたのは、
縁側へ向けられた小さな背中だった。
肩にかかる黒髪。
晩夏の日差しを浴びる白い横顔。
——響さんだ。
僕たちは畳を踏みしめた。
「下がっていいわよ」
「失礼いたします」
響さんの言葉で、侍女が戸を閉めた。
「奏。よく来たわね」
「……響」
奏さんの声は、少しだけ震えていた。
「今の私は“静養中”らしいわ」
響さんは縁側を向いたまま話した。
「本家の言葉で言えばね」
含みのある言い方だった。
奏さんが畳に正座する。
「響……。
あれからどうしていたのですか?」
「別に?普通よ。
本家から出て行けと言われるかと思ってたけど」
響さんの声が、少しだけ柔らかくなる。
「違ったみたい。処分は保留。
……意外だったけどね」
縁側の風鈴が、透き通った音を立てた。
「それより」
響さんが振り返って僕を見る。
「久しぶりね。白瀬柊」
「あ……お久しぶりです……」
響さん。
二ヶ月前に会った時と、別人みたいだ。
髪が伸びたからだけじゃない。
纏う雰囲気が、明らかに違った。
「本当、和音にそっくりね。
あんたも会ったでしょ?」
僕は静かに頷いた。
「え!?」
奏さんが畳に両手をつく。
「響、和音くんを見たのですか!?」
「ええ。あんたに言われてから、確認のためにね」
響さんは自嘲するように笑った。
「三年間、一度も会わなかったのに。
まさか、今さら顔を見に行くことになるなんてね」
響さんは僕たちの方へ向き直った。
「……詠慈様の息子、か。
和音が生まれる前から、いたのね」
「それは……っ!」
何か言おうとした奏さんを、
響さんが手を伸ばして止める。
「良いの」
響さんは苦く笑った。
「男とか女とか、もう気にしてないから」
どういう意味なんだろう。
僕は眉をひそめた。
「座って」
響さんに促され、僕は奏さんの隣に腰を下ろした。
「封印は?見せて」
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:6月25日21時
第二百十八話 重なる封印




