第二百十四話 焦燥
その夜は、
やっぱり眠れなかった。
翌朝午前九時。
チーン。
おりんを鳴らし、母さんの仏壇に手を合わせる。
……母さん。
霧島詠慈と、
どんな関係だったの?
どうして、
別れることになったの?
僕の封印のこと、
本当は母さんも知ってたの?
「……」
遺影の母さんは何も答えない。
ただ、笑っているだけだ。
ヴヴヴー。
スマホが振動する音がした。
立ち上がってキッチンへ向かう。
ダイニングテーブルに置いていたスマホに目をやった。
ロック画面に通知が浮かぶ。
【Hikaru Asakura.】
【着いた!】
僕は急いで鞄を肩にかけ、玄関に向かった。
その時。
「柊くん!」
「……!」
——篝くんの声が、僕を呼び止めた。
振り返ると、
「出かけるの?」
その顔は、いつもみたいに笑っていなかった。
「ちょっと……学校に」
篝くんから目を背ける。
「一人で?」
「光流くんが迎えに来てくれてる」
「……そう」
僕は靴に足を入れた。
「気をつけてね」
「……ありがとう」
「今の君は、守られる側なんだから」
……そんなこと。
「わかってる」
少しだけ、冷たい言い方になってしまった。
逃げるように玄関を出ると、
四角い黒色の軽自動車が止まっているのが見えた。
助手席の車窓が下がり、黒いヘアバンドがちらつく。
「おはよー!後ろ乗って!」
光流くんの隣。
運転席では、サングラスをかけた光知瑠さんがあくびをしていた。
「……光知瑠さん、朝からすみません」
後部座席へ乗り込む。
「いいよ〜。今日仕事休みだし」
光知瑠さんが軽く左手を挙げた。
「ウチはよく知らんけど、
あんた一人じゃ危ないんでしょ?」
「……はい」
今日は朝から学園で文化祭の準備がある。
謹慎中の光流くんは参加できないけれど、
僕たちを学園まで送り届けるために来てくれた。
「お願いします」
バタン。
ドアが閉まる。
次の瞬間——
ブォンッ!!
「ひっ!」
身体がガクンと揺れた。
そうだ。
光知瑠さん、運転荒いんだった。
急いでシートベルトを締める。
これはこれで危ないのですが。
とは、口が裂けても言えない……。
光流くんが振り返って、
僕の隣の空間へ掌をかざした。
「見えないのは変わらず?」
「……うん」
「そっか。常夜にバレないようにしないとね」
車窓の外を、凄い速さで景色が流れていく。
「ま、学校行けば、奏ちゃんも斎賀先生もいるから大丈夫だと思うけど」
光流くんは前へ向き直ると、頭の背後で手を組んだ。
「希望は響ちゃんだね〜。早く会えるといいね」
「……」
響さんなら、
封印を解けるのだろうか。
僕は、
本当に待ってるだけで良いのだろうか。
ヘソの上の、封印の紋様に手を当てた。
「柊」
光流くんの声が低く落ちる。
「わかってると思うけど、一人で勝手に動くなよ?」
「……うん」
みんな、心配してくれているのはわかる。
だけど。
“お前は無力だ”。
そう何度も言われてる気がしてしまって、
なんだか無性にイラついていた。
篝くんや、光流くんに対してじゃない。
何もできない、自分自身に。
一番腹が立っていた。
「もうすぐ着くぞ〜」
光知瑠さんは片手でハンドルを操作しながら言った。
「昼過ぎには河川敷来るっしょ?
俺も特訓には行っていいって言われてっから」
「……そうなんだ」
学園の案内看板が見えてくる。
「後で河川敷で会お」
*
瑞峰学園。二年A組。
「柊くん、大丈夫ですか?」
教室へ行くと、真っ先に奏さんが声をかけにきた。
「顔色が良くないようですが……
昨日、ちゃんと寝れました?」
「あ……うん……」
視線を泳がせて答える僕を見て、
奏さんは察したように息を吐いた。
「文化祭の準備まで、来なくても良かったのに」
確かに強制参加ではない。
だけど、家で何もしないでいるのも嫌だった。
「それより、響さんは?どうだった?」
僕の問いに、奏さんの表情が曇った。
「……昨日、あれから本家に電話をかけたのですが、
時間も遅かったので、取り合って貰えませんでした」
「そっか……」
一筋縄じゃいかないのはわかってる。
それでも、自然と肩が落ちた。
「ですが、父も本家に探りを入れてくれたんです」
「奏さんのお父さんが?」
「はい。
今日は朝から、警察が響の聴取に来るそうです。
おそらく、昼前には終わるかと」
奏さんがちらりと教室の時計に目をやる。
まだ、午前九時三十分。
「後で、本家に電話してみます」
「……ありがとう」
「必ず、響に会う約束をとりつけます」
奏さんの声は真剣だった。
僕は小さく頷く。
「とりあえず……文化祭の準備、しましょうか」
*
それから、約二時間。
僕は黙々と作業していた。
ダンボールで作られた井戸に、
赤い絵の具の血糊を垂らす。
奏さんは僕とは別の場所で作業していたけれど、
ついさっき時計を確認して教室を出て行った。
多分……本家に電話をしてくれている。
「ちょ!これクオリティ高くない!?普通に怖いわ!!」
「当日の役割決めよ〜!」
僕の心とは裏腹に、教室は楽しそうな声で溢れていた。
……みんなの言葉が、頭に入ってこない。
ダンボールに滲む絵の具が、
ただただ気持ち悪く見えた。
「なんか白瀬兄、暗くね?」
「最近明るくなったと思ったけど、戻ったな」
背後で聞こえた会話も、耳に入らなかった。
「白瀬くん、受付係の時間なんだけど——」
「……」
「——っ白瀬くん!!」
「え!?」
驚いて顔を上げた。
そのはずみで——
ピシャッ。
筆先から絵の具が飛び、
目の前にいた女子生徒の制服にかかってしまった。
——しまった!
「ご、ごめんなさい!!」
「あー……いいよいいよ」
女子生徒は僕へ掌を向けると、
教卓周りの集団へ向かって叫んだ。
「ねー!クレンジングオイルあったよねー!?
ゾンビのメイク落とす用のやつ!」
集団の一人が、ボトルを掲げて見せる。
「もうあとちょっとしかないー!」
「まじか!」
このまま教室にいたくなかった。
「僕が買ってきます!!」
「ごめんね!一番近い薬局のでいいから!
領収書もらってきてね!」
「はい!すぐ戻ります!!」
ロッカーの上に置いていた鞄を乱暴に掴み、
僕は教室を飛び出した。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:6月22日21時
第二百十五話 無力




