第二百十一話 父と子
カランコロン。
下駄がアスファルトを叩く。
その音が夜の山に響き、
僕の心臓がまた、鼓動を早めていた。
振り返ると――
藍色の着物に身を包んだ、
小さな男の子が走っていた。
「和音くん!」
奏さんが男の子……和音くんの名前を呼んだ。
あの子が、霧島和音。
「奏お姉さん!」
和音くんは、僕たちの数歩先で立ち止まった。
……暗くて顔がはっきりと見えない。
「今日は、どうされたのですか?」
和音くんが息を切らしながら歩いてくる。
「お友達も一緒だなんて、珍しいですね!」
一歩。
また、一歩。
彼が僕たちへ近づき、
数奇屋門の灯りが、その顔を照らした。
「……っ!」
丸い輪郭。
末広の二重。
見覚えがあった。
鏡で、何度も見てきた顔だ。
和音くんが僕を見上げる。
「どなたですか?」
僕と同じ黒い瞳に、僕の姿が映っていた。
堪らず、視線が泳ぐ。
「……あ……その……」
和音くんが振り返って叫んだ。
「お父様!」
彼の視線の先――
背の高い影が、山道をこちらへ歩いてくる。
喉の奥が、ひゅっと音を立てた。
和音くんが僕を指差す。
「この方、お父様によく似ていらっしゃいます!」
その言葉に、背後の足音が止まった。
「……和音」
昨夜と同じ声。
「指を差しちゃいけないよ」
――間違いない。
霧島詠慈だ。
ゆっくりと、近づいてくる。
「蓮太郎くん。
今日、約束はしていなかったと思うけれど」
「突然来てしまって、すみません」
斎賀先生が深く頭を下げた。
「響のことかな?」
その言葉に、
先生の背中がぴくりと揺れた。
「それも、気にはなっていますが……」
灯りに照らされ、
霧島詠慈の顔が次第に見えてくる。
白い半面。
目孔の奥にわずかに見える、末広の二重。
――この人が。
……本当に?
「柊」
光流くんが肘で僕を小突いた。
ハッとして我に返る。
「今しかないよ」
光流くんの顔は真剣だった。
喉の奥から声を絞り出す。
「……あの!」
斎賀先生はなおも頭を下げたまま。
その背中越しに、
霧島詠慈と目が合った。
――何を言う?
わからない。
ふわっと、暖かい風が頬を掠め、
僕の肩に――颯が触れた気がした。
大丈夫。
一人じゃない。
「あなたは……」
ザァッ……。
山の木々が騒めく。
僕は息を吸って、吐いた。
「……僕の、父親ですか?」
「……」
わずかな沈黙。
だけど、
永遠みたいだった。
霧島詠慈の唇が開く。
「……僕は」
初めて目を逸らし、和音くんの手を取った。
「和音の……父親ですよ」
「……っ……!」
目線はもう合わない。
霧島詠慈が先生と僕の横を通り過ぎた。
先生の頭がゆっくりと上がる。
胸が痛い。
……否定されたから?
違う。
じゃあ、何で――。
「……お帰りなさいませ」
いつの間にか、
数奇屋門の内側には着物の侍女が立っていて、
当主を迎えようと戸を開いていた。
耳元で変な音が鳴り始める。
「詠慈様!!」
耳鳴りの中、
奏さんの叫びが聞こえた。
「昨夜、柊くんに封印をかけましたよね!?」
「……何のことかな」
父親に手を引かれながら、
和音くんは困惑した顔で僕たちを見ていた。
「……っ柊くんに!」
奏さんが一歩前に出る。
「このまま何も言わないつもりですか!?」
「奏さん!!」
斎賀先生が片腕を広げて止めた。
霧島詠慈と和音くんが、門を潜る。
――行ってしまう。
聞かなきゃ。
なのに。
もう、言葉が出てこない。
「失礼致します」
ピシャ!
侍女の冷たい声と共に、
戸が音を立てて閉じられた。
***
Side:颯
柊が、固まっている。
戸が閉まる音と同時に――
「おい!!」
俺は叫んでいた。
「逃げんなよ!!」
戸の向こう側。
霧島詠慈の足が止まる。
――柊。
俺な。
お前の記憶の中で見たんだよ。
赤ん坊のお前を見る、
あの男の目を。
「……あんた」
拳を握る。
「本当にどうでもいいなら、
そんな顔しねぇだろ!!」
「――お父様」
和音が眉尻を下げた。
「どうして、泣くのですか?」
「……っ」
半面の下から、
一滴だけ雫が落ちた。
霧島詠慈が和音の手を引く。
「行くよ。和音」
早足で去って行く二人の背中から、
俺は目を離せなかった。
***
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※次回更新:6月20日15時
第二百十二話 もう一つの血




