第二百七話 あなただけの命
***
翌日。八月十六日。
祭りの夜は明け、
それぞれが違う朝を迎えていた。
午前十時。
奏と響は清祓治療院の玄関に立っていた。
玄関を出たロータリーで、赤い警告灯が静かに回っている。
「罪は、きちんと償わないとね」
響は遠くを見ながら呟いた。
奏が拳を握りしめる。
「……あなたは、戻って来られます」
響は、まだ未成年だ。
それに常夜に入ったのも、
ミラの洗脳めいた言葉がきっかけだ。
また、正しい場所へ戻って来られる。
――必ず。
「待ってます」
「……ありがとう」
響は小さく微笑んだ。
突風が吹き抜け、
二人の黒髪が風に靡く。
「響、髪が少し伸びましたね」
「そう?」
「やっぱり、あなたは長い方が似合います」
「……そうね。
戻ったら、また奏に結んで貰わないと」
奏は、笑顔を見せた。
「霧島響さん。行きますよ」
三岳警部補の声が二人を割いた。
「奏」
響が少しだけ声を潜める。
「私、常夜にいた時に聞いたの。
……蒼嶺くんの声を」
「……っ!」
「それから、もう一人。知らない男の声」
響は奏に背を向けた。
「気をつけて。
常夜には、まだ私も知らない人間がいる」
それだけ言って、
響はパトカーへ乗り込んだ。
赤い警告灯が遠くなっていく。
「……久世蒼嶺と、もう一人」
一体、誰なのか。
ヴヴヴー!
奏のポケットの中で、スマホが震えた。
小さくなるパトカーを見つめながら、奏はスマホを耳に当てた。
「……はい」
「奏さん?身体は大丈夫?」
電話の相手は、斎賀先生だった。
「はい。問題ありません」
「良かった。今日の夕方、河川敷に来れる?」
奏は、迷わず答えた。
「行きます」
「柊くんたちも、呼んであるから」
パトカーはもう見えなくなっていた。
***
同時刻。暮羽の病室。
暮羽は、窓から赤い警告灯を見ていた。
病室の扉が開き、甘い香りが入ってくる。
「――暮羽」
「桃華様!!」
暮羽は桃華の方へ顔を向けた。
「ご無事ですか!?」
「桃華より、自分の心配をなさい」
厚底のヒールを鳴らしながら、
桃華が暮羽のベッドへ歩み寄る。
「入院は二週間だそうね」
「……申し訳ありません」
ベッドの上で、暮羽は頭を下げた。
「謝る必要はないわ。
桃華を守ってくれてありがとう」
「……守りきれていません」
「頭を上げなさい」
暮羽は顔を上げて桃華を見た。
桃華は、いつもと同じ顔をしていた。
「霧島琴子は化け物よ。
今の桃華たちでは届かなくて当然だわ」
「桃華様……」
暮羽は一度下唇を噛んだ後、
ゆっくりと口を開いた。
「もう――関わるのはやめませんか?」
「……は?」
「白瀬柊たちには確かに恩があります。
ですが……もう十分でしょう」
「あの子たちを見捨てるって言うの?」
「そういうわけではありません!」
暮羽が声を荒げる。
「桃華様も、久世紫苑に言ったではないですか!
これ以上、三流派には関わらないと!」
ザァッ……。
窓の隙間から風が入り込み、
二人の髪が揃って揺れた。
「……ええ。三流派を助けたいわけじゃないわ。
燦宮は、久世にも御影にも、霧島にも加担しない」
「でしたら――」
「だけど、目の前で苦しんでいる子たちを放っておけないわ」
「救いたい気持ちはわかります!
ですが、これ以上は桃華様が危険です!」
「あの子たちは、危険でも戦うつもりよ」
桃華は窓の外を見つめた。
「助けられる力があるのに、見て見ぬふりなんてできないわ」
窓の外、赤いランプが遠ざかっていく。
「苦しんでいる人がいるのなら、桃華は助ける。
あの女の言う通り、燦宮は奉仕が好きなの」
「……桃華様」
「あなたは、やめても良いのよ。無理をする必要はないわ」
――やめられるわけがない。
あなたを一人で行かせる選択肢なんてない。
それでも。
「私は……あなたを失ったら……生きていけません」
夢も希望もない未来に、
光を差してくれたのは、あなただから。
桃華はすぐには答えなかった。
「暮羽」
桃華の声色が変わる。
「もう、桃華のために生きるのはやめなさい。
あなたの命は、あなただけのものよ」
桃華は暮羽に背を向けた。
「桃華を守るために戦うんじゃない。
これからは――
あなたがどうしたいか、考えて決めなさい」
――自分がどうしたいか?
そんなこと、考えなくても。
ヒールの音が、扉の向こうへ消える。
「……強くならなくては」
桃華様を守るために。
そう思ったはずなのに。
――あなたがどうしたいか。
その言葉だけがなぜか、
暮羽の胸に残っていた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:6月17日21時
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