第二百四話 空白
***
Side:柊
ミーン……ミーン……。
――蝉の鳴き声が聞こえる。
「……ん……」
目を開けると、
懐かしい天井が見えた。
幼い頃、
家族みんなで寝ていた部屋だ。
二つ並んだダブルベッドの中、
僕はむくりと上体を起こした。
……なんだろう。
身体が妙に軽い。
部屋を見渡すと、誰もいなかった。
「……颯……?」
返事はない。
「……っ!」
ベッドから飛び起き、
階段を一気に駆け降りた。
リビングにも、誰もいない。
「……颯!!」
僕が叫んだ、その時。
ガチャ。
玄関の扉が開いた。
「柊、起きたんだね」
父さん。
その背後から――
「おい!見ろ!!」
懐かしい笑顔が覗いた。
「カブトムシ!!」
「……颯」
「お前のぶんも捕まえたぞ!!」
幼い颯が虫かごを掲げる。
「ごめんね、柊。
起こしたんだけど、寝てたから」
ああ、
そんな日もあったな。
確か小二の夏休み。
早朝から虫とりに行く予定だったけれど、
僕は朝が弱いから起きられなかったんだ。
それにカブトムシにも、
それほど興味がなかったから。
僕は颯に駆け寄った。
「……いなくなったかと思った」
「はぁ?何だそりゃ」
僕の反応に、
颯がつまらなさそうに口を尖らせる。
「ほら!もっと喜べよ!」
颯が虫かごを突き出し、
僕は反射的に両手で受け取った。
「だって……」
「お前、そればっかだな!」
虫かごの中、
二匹のカブトムシが寄り添い合う。
「俺はいなくなんねぇだろ!」
颯は、僕の頬を摘んで引っ張った。
「……うん」
「変な顔!!」
そう言って、颯がまた笑う。
颯。
いなくならないでね。
――お願いだから。
*
「……っ!!」
目を開けた。
白い天井が飛び込んで来る。
「柊!!」
次に見えたのは、あの金髪だった。
「気がついた!?」
光流くんが僕のベッド脇に近づく。
「……光流くん……」
「良かった!ここ病院!
柊のパパ、今病院の先生と話してるよ!」
僕は上体を起こした。
右腕に点滴が繋がれている。
身体はどこも痛くない。
なのに、妙な違和感がする。
いつもより静かで、
いつもより視界がはっきりしない。
まるで、
世界が完全じゃないみたいだ。
――颯は?
慌てて部屋を見渡した。
いない。
どこにも……!
僕は光流くんの腕を掴んだ。
「光流くん!颯は!?」
「えっ?」
光流くんが眉を寄せる。
「颯……俺の隣にいるよ?」
光流くんが指差した場所――
左側へ、視線を向けた。
……空だった。
「いないよ……!?」
光流くんの顔色が変わった。
「……柊、まさか」
掌に汗が滲む。
「颯のこと、見えてない?」
ドクン!
心臓が、大きく跳ねた。
「なんかおかしいと思ったんだよね。
俺が駆けつけた時、颯の霊力切れてたし」
光流くんは早口で続けた。
「柊の霊力も全然感じられないし。
今、俺が代わりに颯に付与してるけどさ……」
光流くんが左側――颯がいるらしい位置に掌をかざす。
「これでも、だめ?」
ほんの一瞬、
光流くんの掌に青白い光が瞬いたような気がした。
「見えない?」
「……本当に、何もいない」
光流くんが舌打ちした。
「じゃあ颯じゃなくて、柊の方か」
「え?」
「見えない原因。ちょっとじっとしてて」
光流くんが僕の肩に手を置いた。
——けれど。
ビリッ。
「っ!?」
光流くんが勢いよく手を離した。
「は?待て待て!」
「え?」
「いや、今なんか弾かれた」
光流くんが信じられないという顔をする。
「霊力が入らねぇ」
——入らない?
「いてっ!ちょ、颯!!」
突然、
光流くんが左側の空間に向かって叫んだ。
「落ち着けって!俺も混乱してんだから!!」
あそこに、
本当に颯がいるのだろうか。
……聞こえもしない。
僕は拳を握りしめた。
「颯からちょっと聞いたけど、
お面の男に攻撃されて、倒れたんだよね?」
「……うん」
あれは攻撃では、
なかったように見えたけれど。
光流くんが顎に手を当てる。
「それが関係してるってことだよな?
常夜のやつか、久世家のやつか……」
「……っ!?」
突然、掴まれていないのに頬が引っ張られた。
颯だ。
光流くんの霊力を介して、僕に触れてる。
……ここにいるんだ。
……ちゃんと。
目の奥が熱くなる。
僕は頬に手を添えた。
だけど何にも触れない。
「……何で……」
声が震えた。
「とにかく俺にはわかんないから、
明日みんなに聞いてみよ。
一時的なもので、戻るかもしんないし」
……戻る?
光流くんの言葉に、淡い期待をしてしまう。
「……あ……奏さんや、みんなは?」
「奏ちゃんたちは清祓医療院で治療受けてる。
柊は傷がなかったから港労災病院に運ばれたの」
「みんな、大丈夫なの!?」
「ミラと戦ってたみたい。
奏ちゃんと桃華ちゃんは無事。
暮羽さんは傷が深くて入院になるらしい」
「そんな……」
その時、
颯に引っ張られていた頬が戻った。
「ミラは逃げたって。
だけど……響ちゃんは、警察に保護されてる」
一体、何が起こったんだろう。
僕にも、奏さんたちにも。
ヒリヒリと痛む頬から、
僕は手が離せなかった。
――ガラガラ。
引き戸が開く音。
僕たちは病室の入り口へ視線を向けた。
「……父さん」
「柊!気がついたんだね!」
父さんが駆け寄ってくる。
「検査の結果、何も異常ないって。
貧血か、熱中症かって言われたよ」
父さんのこめかみには、汗が伝っていた。
「点滴が終わって落ち着いたら帰って良いって」
父さんが光流くんの方を向く。
「光流くん。付いててくれてありがとう。
もう遅いから送っていくよ」
「……ありがとうございます」
「柊、父さんは光流くん送ったら戻ってくるから」
光流くんはベッド脇に置いていたビニール製の鞄を肩にかけ、黒いキャップを被った。
名残惜しそうに僕を見る。
「じゃあね、柊。お大事に」
「うん……ありがとう」
僕は力無く手を振った。
父さんと光流くんが病室を出て行く。
再び、静寂が流れた。
左隣を見る。
そこは、やっぱり空だった。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:6月14日15時
第二百五話 ここにいる




