第百九十三話 Episode:響【悪夢】
私は、訓練場へ通い続けた。
雨の日も。
熱を出した日も。
――奏と一緒に。
「……髪、切ろうかな」
私は毛先を手でいじりながら言った。
「ええ!?もったいない!せっかく綺麗なのに!」
「でも、戦う時に邪魔でしょ?」
「結べば良いじゃないですか」
そう言って、奏は私の髪を結った。
奏は昔から、髪を結ぶのが上手かった。
「それもそうか」
私は中学生になり、
霧島家の“後継者”として周囲に認められ始めていた。
――詠慈様はまだ、結婚されていなかった。
だけどこの年の六月から、
歯車が少しずつ狂い出した。
「紫苑くんが久世家を破門されたわ」
その事実は、母の口から知らされた。
「え?」
「禁忌を破ったそうよ」
母は淡々と言った。
「あの家が内部で割れていること、
響も知っていたでしょう?
現当主派の仕業だって、もっぱらの噂よ」
背筋に、冷たい汗が流れた。
「蒼嶺くんを後継者にするために、
紫苑くんを追い出したってこと?」
「……真実はわからないけどね」
他人事には、思えなかった。
紫苑くんの力は、
蒼嶺くんを上回っていたはず。
強ければ、選ばれると思っていた。
なのに。
強くても、
後継者にはなれないのか。
「大丈夫よ。響は特別だから」
母は、私の心を見透かしたみたいに言った。
本当に?
紫苑くんこそ、特別だったんじゃないの?
あの子ですら、捨てられた。
それとも……
“特別”なんて、誰かが勝手に決めるものなの?
この頃から、
私はよく、悪夢を見るようになった。
走っても走っても、辿り着けなくて、
途中で足元からボロボロと崩れ落ちる夢。
夜眠るのが、次第に怖くなった。
それから約一ヶ月。
三流派の動きは、やはり母の口から告げられる。
「篝くんが守護霊をつけたの」
「……守護契約を結んだってこと?」
「ええ。
今度の特訓には、守護霊と共に参加するそうよ」
心臓が嫌な音を立てた。
……あの男の子が、戦えるようになったの?
「色々あって、病院から自宅療養に戻るらしいわ」
「色々って!?」
食い入るように尋ねた。
「大丈夫。病気が治ったわけじゃない。
病院には、もういられなくなったらしいわ」
母は、私のことをよくわかっている。
だから、
病気が治ってないことを“大丈夫”と言うのだ。
そして、母が“大丈夫”と言う時は、
母自身が自分に言い聞かせている時だった。
世界が、進んでいる。
久世も。
御影も。
置いていかれる。
焦りが、胸の奥で膨らんでいく。
次の特訓は、
すぐに来た。
場所は御影本家。
霧島家からは私と奏、
久世家からは葵だけだった。
蒼嶺くんは、高校生になっていたから呼ばれない。
紫苑くんは――もう、いなかった。
奏と並んで訓練場に入った瞬間――
また、身体が動かなくなった。
五年前、
紫苑くんに出会ったあの時と同じように。
奏が震える声で尋ねた。
「あれって、篝くん……?」
私は奏の手に指を絡めた。
「多分……魂が、三つある」
蒼と緋のオッドアイ。
内側から、静かに燃え盛る霊力。
以前見た病弱な少年とは、まるで別人だった。
――初めて見た。
二体との、共霊。
背筋が凍った。
――あれは、人じゃない。
少なくとも、
私の知っている“祓い師”じゃない。
霧島家が共霊を禁じている理由が、よくわかった。
……あんな力があれば。
「噂の二重共霊者」
「御影家の復活か」
大人たちの話し声が聞こえる。
篝くんは畳の上で、
粛然と一点を見つめていた。
「お相手は久世家、葵様です。前へ」
葵が目を細め、畳へ上がる。
「……久世の私をご指名ですか」
だが。
相手など関係なかった。
篝くんが掌をかざした瞬間、
ゴオォォッ!!
蒼と緋の焔が、訓練場を包み込んだ。
「火だ!逃げろ!!」
誰かの叫び声と、
火災警報器の音が耳をつんざく。
篝くんは、逃げ惑う人々を一瞥もしなかった。
「奏!!」
私は奏の手を引いて、出口へ走った。
「水の元素付きは前へ出よ!」
老女のしゃがれた声が響く。
あれは――久世紫乃か。
紫乃の手から青白い霊力が放たれ、焔を裂いた。
「おばあ様!」
紫乃は葵の手を引いて、後方へ放り投げる。
葵はほんの一瞬バランスを崩すが、すぐに立て直して出口へと走った。
「御影め……!宣戦布告のつもりか?」
「……いいえ?」
焔が渦を巻く訓練場の上座で、
御影家当主――御影狭霧の声が落ちた。
「牽制ですよ」
心臓がうるさい。
御影が、力を取り戻した。
もう、強いのは久世だけじゃない。
私だけが、
置いていかれている。
「……どうするの……」
私は奏の手を強く握り締めた。
走りながら、奏が私の顔を見る。
「大丈夫です」
奏の声は、
不思議なくらい真っ直ぐだった。
「お姉さんは、強いから」
長い髪が、熱風に煽られる。
焼け落ちる訓練場を、
私と奏は手を繋ぎながら眺めた。
世界は変わる。
だけど奏だけは、今も私の隣にいる。
「……お姉さん、じゃなくて良いよ」
気づけば、
そんな言葉が口から零れていた。
「響って呼んで。奏」
――この日の夜、
詠慈様のご結婚が決まった。
その報せを聞いた時。
自分の居場所が、
崩れ落ちていく音を聞いた。
今夜もまた、悪夢を見る。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:6月6日21時
第百九十四話 Episode:響【髪を切る】




