第百九十二話 Episode:響【理想】
紫苑くんとの初めての模擬戦。
結果は――言うまでもなかった。
「やはり、この世代は久世の一強か」
「霧島は男の子がいないのが残念ね」
私は、紫苑くんに指一本触れられなかった。
……ただ、一枚だけ届いたお札を除いて。
「あの紫苑様相手に、響様はよくやりましたよ」
けれども、
私にはわかってしまった。
……本気じゃ、なかった。
あの子は、
“霧島家の後継者が惨めに潰れない程度”に、
手加減していた。
お情けだ。
私は本当に、
あんな化け物と渡り合えるのだろうか。
――霧島の女は、弱い。
いや。
弱いのは、私か。
*
久世家と御影家が去った後、
私は詠慈様に呼び出された。
広い畳の間で、向き合って座る。
詠慈様は、
いつも白い反面で目元を隠しておられた。
色々噂されているものの、
本当の理由は誰も知らない。
「響。今日の特訓、お疲れ様」
私は、畳に頭をつけた。
「申し訳ありません。
何も……やれませんでした」
「奏を、庇っただろう?」
詠慈様の手が、私の頭を撫でた。
……温かい手だったのを、よく覚えている。
「たくさんの大人がいる中で、
響は、奏を見捨てなかった」
詠慈様は静かに言った。
「今日、一番“霧島らしかった”のは響だよ」
その言葉に、目の奥が熱くなる。
今日初めて、
私は認められた気がした。
ああ。
ちゃんと、見てくれたんだ。
下を向く。
泣きたくなんて、なかったのに。
「響みたいな子がいるなら、
霧島家の未来はきっと明るいね」
涙が止まらなかった。
私が落ち着くまで、
詠慈様は背中を優しく摩り続けてくれた。
「……どうして、詠慈様は止めなかったのですか?」
震える声で尋ねた。
金の縁取りが施された目孔の奥で、
詠慈様の瞳がわずかに伏せられる。
「特訓が開かれたのは、二年ぶりなんだ。
蒼嶺くんは前回も参加していた。
でも、紫苑くんは今日が初めてだった」
詠慈様は、顔の前で左右の指を絡めた。
「今日は、紫苑くんを、
“見せる”ための場だったんだろうね」
庭園のししおどしが、音を立てる。
「……まさか、奏をぶつけるとは思わなかったけれど」
私は視線を畳に落とした。
私や篝くんを潰せば、大人たちも困る。
だけど、奏なら。
分家の子なら、誰も困らないんだ。
「今の久世は強い。
御影や霧島の意見は――通らないことも多いんだ」
詠慈様が頭を下げた。
「辛い思いをさせて、申し訳ない」
「詠慈様!頭を上げて下さい!!」
詠慈様は、ゆっくりと顔を上げた。
「僕は、強さだけが正義だとは思わない。
たとえ及ばなくても、
霧島は正しい祓い師の家でありたい」
「でも……強くなかったら、守れません」
「そうだね。強くならなくてはいけない」
目孔から覗く瞳が、私を捉える。
「だけど、響。
今日の自分を、どうか忘れないで」
一瞬、息が詰まった。
「僕は君に期待している」
“後継者として”とは、言われなかった。
拳を握り締める。
――聞かなきゃ。
今聞かなきゃ、もう聞けない。
だから。
「……詠慈様は、ご結婚される予定はないのですか?」
そんなことを、口にしてしまった。
本当は、
別のことを聞きたかったのに。
詠慈様の指が、わずかに動くのが見えた。
「……そうだね。
僕も、前へ進まなくちゃいけないのかもしれない」
反面の奥の瞳は、
どこか遠くを見ているようだった。
「君たちに、
こんな重荷を背負わせ続けるわけにはいかないから」
この時の私の問いが、
詠慈様の心を動かしたことを。
私の運命を変えてしまったことを。
幼い私が、知るわけもなかった。
*
部屋を出ると、奏が私を待っていた。
「……奏」
奏は私を見ると、笑顔を見せた。
「お姉さん、お疲れ様でした!」
奏の額には、包帯が巻かれていた。
「怪我、大丈夫なの……?」
奏を心配している自分の掌も、紫色に腫れていた。
紫苑くんに触れられた場所が、まだ熱を持っている。
奏は包帯の位置を治しながら言った。
「大丈夫です!
きぜつしちゃった時は、びっくりしましたが!」
「……本当に?」
大人たちのせいで、
あんな目に、あったというのに。
「はい!
それより、しおんさん、すごかったですね!!」
「……え?」
奏は目を輝かせた。
「あんなに強い子、初めて見ました!」
疑わないの?
……どうしてそんなに、真っ直ぐなの?
「そうだ!お姉さんが、
わたしを助けようとしてたって聞きました!
だから、お礼を言いたくて、まってたんです!」
奏が私の手を握る。
その手はもう、震えていなかった。
「ありがとう!
しおんさんはたしかに強いけれど、
わたしのあこがれは、やっぱりお姉さんです!」
「……っ……」
せっかく止まってくれた涙が、
また顔を出す。
奏は、潰されて良い子じゃない。
女だからって、
下を向きたくなかった。
奏を――この家を、守りたい。
だから私は、
強くならなくてはいけない。
……まだ、この時の私は。
私が霧島を支えるくらい強くなれば、
いつか報われるのだと。
そう、信じていた。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:6月6日15時
第百九十三話 Episode:響【悪夢】




