第百七十五話 白い彼岸花
八月五日。
あっという間に、この日が来た。
瑞苑墓地。
ここに、母さんは眠っている。
毎年、ここには三人で来ていた。
今年は――違う。
僕と、父さん。
半霊になった颯。
そして――篝くんがいた。
「来てくれてありがとうね」
父さんの言葉に、篝くんが微笑む。
「……いえ。
一緒に行きたいと言ったのは、僕ですから」
父さんは白百合を墓石の横へ置くと、
静かに目を閉じ、手を合わせた。
篝くんも父さんに続く。
……目を閉じて拝む姿が、絵のように見えた。
篝くんは、
母さんに何か語りかけているみたいだった。
その隣で、
僕と颯も瞼を閉じ、手を合わせた。
……母さん。
そっちでは、元気にやってる?
僕たちは元気だよ。
颯はまだ、半霊のままだけど。
必ず、元に戻すよ。
だから――
僕はゆっくり、瞼を開いた。
「どうか、見守ってて」
白百合の甘い香りが漂った。
……母さんが微笑みかけてくれたと思った。
カツ……
カツ……。
「……?」
近づいてくる足音に、僕と颯は揃って振り返る。
次の瞬間、
呼吸が、止まった。
黒い着物の男。
薄紫色の髪が、肩の辺りで静かに揺れる。
長い前髪の隙間から覗く瞳だけが、妙に鋭い。
――寒い。
八月なのに、
背筋を氷で撫でられたみたいだった。
男が一歩近づくたび、
空気が重く沈んでいく。
その手には、
白い花束が抱えられていた。
――そして、
暗くて重々しい、冷たすぎる霊力。
隠そうと抑えられている。
それでも、隠し切れずに漏れ出していた。
全身の肌が粟立つ。
目が逸らせない。
隣で、篝くんが息を呑む気配がした。
心臓が、
勝手に早鐘を打つ。
――危険だ。
そう、警告するように。
「……誰だよ?」
颯が呟く。
男はちらりと颯を見て、
口の端を上げた。
――見えてる。
「……あ」
“あなたは?”
そう僕が問いかけるより早く、
「颯紫くん」
父さんが、男の名前を呼んだ。
「父さん……知り合いなの?」
「……うん」
墓前に置かれた白百合の隣へ、
颯紫さんは花束を静かに置いた。
白い――彼岸花。
まるで、
“連れて帰る”ための花みたいだった。
「お久しぶりです。透さん」
颯紫さんが父さんに微笑みかける。
「……柊くん」
篝くんの手が、そっと僕の肩に触れた。
「今日で丸五年ですか。……早い」
颯紫さんはそう呟いて、
母さんの墓前に手を合わせた。
その数秒間が、おそろしく長く感じた。
颯紫さんは瞼を開き、父さんの方を向く。
「……蓮太郎は、まだ来てないみたいですね」
「そうだね」
“蓮太郎”って、確か……。
「……蓮太郎って、斎賀先生のこと?」
「うん」
僕の言葉に、頷いたのは篝くんだった。
颯が僕に肩を寄せる。
「メガネの知り合いなのか?」
「……わからない」
僕は颯と篝くんに、守られるように挟まれた。
颯紫さんが僕の方を見た。
「蓮太郎の生徒?」
目が合う。
紫色の瞳が、
無意識に紫苑さんを思い出させた。
「蓮太郎に会ったら、伝えてくれ」
それだけじゃない。
纏う空気まで、どこか似ていた。
颯紫さんの口元が、
わずかに吊り上がる。
「“芽衣は元気だ”、と」
心臓が、ドクンと音を立てた。
「あ、芽衣……さんって……」
僕の言葉に、父さんが苦笑いする。
「柊は、忘れちゃったかな?」
「……あ!」
思い出した。
ずっと昔に、遊んでもらった記憶がある。
ストレートの長髪。
少し意地悪な笑顔。
僕の耳元で、颯の声がした。
「母さんの、従姉妹だったよな?」
そうだ。
母さんの従姉妹の、芽衣姉さん。
「颯紫くんと芽衣ちゃん。
それから蓮太郎くんも、母さんの教え子だったんだよ」
――『君たちのお母さん、白瀬綾さんは……昔から、深い縁のある方でした』
「……そういうことだったんだ」
パズルのピースが、少しずつ揃う。
だけど、まだ全然見えてこない。
「それじゃあまた、どこかで」
それだけ言って、
颯紫さんは踵を返した。
無意識に、僕は颯の手に指を絡めていた。
……怖かったのかもしれない。
――また、どこかで会う。
そう、確信してしまったから。
僕の肩に置かれた篝くんの手に、
わずかに力がこもる。
その瞬間、
颯が僕の手を強く握った。
僕は颯の手を握り返しながら、
もう片方の手を篝くんの手に重ねた。
この日から、
僕は少しずつ知ることになる。
母さんの死も、
颯紫という男も。
全部が、
もっと深い闇で繋がっていたことを。
読んでくださってありがとうございます。
※次回更新:5月24日15時
第百七十六話 開けてはいけない箱




