63.ヒロインは元の世界へ帰れ
誰かが窓を掴んだからだ。
見れば白い手が窓を掴んでいる。
「ぎゃあ! 妖怪手首お化け!」
「誰が妖怪手首お化けよ!」
暗闇から甲高い声がしたかと思うと、白い手が無理やり窓を開けて室内に女が飛び込んできた。
女は見知った人物だった。
「心愛!?」
「あんたに呼び捨てにされる覚えはないわよ! この悪役令嬢!」
「えっ? じゃあここぴぃの方がいい?」
「余計にヤダわ!」
皇宮内を逃げ回っていると聞いたが、まさか皇太子宮にいたとは!?
ふふふ。『飛んで火にいる夏の心愛』だ。このまま『聖ナールニカの泉』に放り込んで、元の世界に強制送還させてやろうか?
いかんいかん!
何とかして心愛を捕まえて、外の騎士に知らせないと!
心を落ち着かせるために私は深呼吸をして息を整える。
「逃げてもムダよ。今のうちに自首しなさい」
「あたしは犯罪者じゃないわよ!」
「貴女は二日前、魔力暴走を起こして皇都を混乱に陥れたわ。十分に犯罪だと思うけれど?」
あのまま魔力暴走が収まらなかったら、一大事だったのだ。
「だいたい『きみばら1』の悪役令嬢がどうしてここにいるのよ? あんたみたいな悪役令嬢がベルンハルト様の婚約者だなんておかしいでしょう!」
「訳の分からないことを……」
「きゅい!」
ルリアが心愛にボディアタックをかます。
「ぐえっ!」
カエルがつぶされたような声をあげると、心愛はその場に腹を押さえて蹲った。
「ルリア!」
「きゅきゅい!」
ルリアが「大丈夫か」と私の胸に飛び込んでくる。
ルナとシルヴァー、ブランも私の下に飛んできて、心配そうに私を見つめてくる。
「大丈夫よ。皆ありがとう」
皆を順番に撫でていると心愛がむくりと起き上がり、ルリアたちを指差す。
「なっ! なななななんで!? どうしてハッピービーストたちがあんたの下にいるのよ!」
「私の大切な友人たちをビーストなどという言葉でまとめないで!」
「どうりでハッピービーストがいつまで経っても来ないと思っていたのよ。おかしなことばかりだわ。どうして悪役令嬢がハッピービーストをコンプしているの?」
私の言葉を無視してブツブツと呟いている。人の話を聞け!
しばらくブツブツと何かを呟いているので、この隙に扉の外に控えている騎士たちを呼ぶ。
本当は「であえ! 曲者じゃ!」とか言ってみたかったけれど……。
「そうか! 分かったわ! あんた転生者でしょ! って! 勝手に人を呼んでるんじゃないわよ!」
妙に勘のいいやつだ。
そもそも隙をつくった心愛が悪い。
「マリエ、無事か!?」
ベルンが飛び込んできた。最近、こういう展開多いな。
「無事よ」
「ああっ! ベルンハルト様! ようやく会えたわ」
騎士二人に抱えられる形で捕らえられていた心愛がまた騒ぐ。
そういえば、ゲーム内でベルンはなかなか会えないレアキャラという設定だった。
「ベルンハルト様ぁ。違います。誤解なんですぅ」
この状況でも媚びようとする根性は大したものだ。
「……俺には『魅了』の魔力は利かないぞ」
「えっ? 『魅了』を使っているの?」
「ああ。本人は無意識かもしれないが……。『聖女』にはつきものの魔力だ。初代皇后は上手く制御できていたらしいが、代々の聖女たちは制御できない者が多くいたそうだ」
そういえば、エリアーナの周りにいた男性たちも熱に浮かされたように彼女を信望していたけれど、『魅了』を使っていたのかしら?
「あたし……怖くて……やみくもに走っていたら、たまたまこの部屋にいただけなんですぅ。信じてください」
嘘泣きだろうが、涙ながらに訴えている心愛をベルンは冷たい眼差しで睨む。
「何を信じろと言うのだ? マリエを、俺の婚約者を危険な目に遭わせておいて、何を今さら抜かすか?」
いや。危険な目に遭ったのは、むしろ心愛の方だけれどね。
「危険な目になんて遭わせていません。被害者はあたしの方ですぅ。いきなりお腹を殴られて痛かったぁ」
ベルンが「そうなのか?」と目で問うてくるので、私は首を振る。
心愛のお腹を殴ったのは私ではない。ルリアがボディアタックをかましただけだ。これは正当防衛だ。
「嘘をつくと罪が増えるぞ」
ベルンの目がさらに吊り上がる。
「嘘なんてついてません!」
「いずれにしろ、其方は元の世界に帰ってもらうことになる。帰る方法があるからな」
心愛を元の世界に戻す方法はすでにベルンに伝えてある。
「そんな! いやっ! あたしは『きみばら2』のヒロインなのに!」
パン! と渇いた音が室内に響く。
私が心愛の頬を叩いた音だ。
「いい加減に現実をみなさい! ここはゲームの世界ではないの!」
「何をするのよ! この暴力悪役令嬢!」
頬を叩かれて素に戻ったようだ。
「貴女はこの世界をゲームの世界だと思っているようだけれど、ここはれっきとした現実の世界なの! 皆、貴女の世界の人と同じように生きているの!」
「だって、『きみばら』の世界と同じだわ!」
「違う! ただ世界観が似ているだけの全くの別の世界よ。ここをゲームの世界と思っている以上、貴女はここでは生きられないわ。元の世界に帰りなさい。そして、自分の世界で精一杯生きなさい」
心愛はがくりと項垂れる。それ以上、彼女が騒ぐことはなかった。
大人しくなった心愛は騎士たちに連れて行かれた。
元の世界に帰るまで、どこかで謹慎することになるのだろう。
「なかなか名演説だったな、マリエ」
「ベルンが気づかせてくれたからよ」
「そうか」
後から知ったことだが、心愛が魔力暴走をさせたきっかけを作ったのはクルトだった。
いつまで経っても『聖魔法』を使わない彼女を疑わしく思ったクルトが、本当に魔法が使えるのかと心愛を問い詰めたらしい。
問い詰められた心愛は魔法を使えることを見せようと、訳も分からず『聖魔法』を発動させ暴走してしまったというのが、事の真相ということだ。
きっかけを作った張本人ということで、クルトはアーデン校を退学になり、当分謹慎するとのことだ。
クルトの父親である神殿長は息子の管理不行き届きとして責任を問われ、神殿長を自ら辞任した。
そして――。
心愛は元の世界に帰されることになった。
その日、私はエルシーとともに『聖ナールニカの泉』に立ち会いに来たのだ。
「それでは、春崎心愛。泉の底に書いてある文字を反対に唱えてください。元の世界に帰れるはずです」
新しく就任した神殿長が心愛にそう告げる。
泉の底にはティアルーン文字と呼ばれる古代の文字が刻まれていた。
だが、私にはその文字が日本語に見える。
『いたりえかにいかせのとも』と刻まれたその文字は反対に読むと、『もとのせかいにかえりたい』である。
この泉に奇跡を起こしたという初代皇后は案外、日本からの転移者か転生者だったのかもしれない。
泉の中に入ると、心愛は私を見る。
「ねえ。マリエル・ローゼンストーン。あんた日本人なの?」
日本語で聞いてくるので、日本語で答えてやる。
「そうだったこともあったわね」
ふっと心愛は微笑む。
「そうなんだ。それじゃあ、魔法少女セトウチさんにもよろしくね」
にやりと笑うと、「それじゃ、あたし帰るわ」と言って泉の底の呪文を唱える。
瞬間、心愛の姿は光とともに消えた。
心愛は魔法少女セトウチの正体に気づいていたようだ。勘のいいやつめ。
「行ってしまったわね。無事に帰れるといいけれど」
「大丈夫じゃないですか。彼女逞しそうだったし……」
「……そうね」
さんざん騒いでいたけれど、決して憎めなかった。
彼女には元の世界で幸せになってほしいものだ。
今日はあと一話更新します。




