54.ヒロインがやってきた
異変が起こったのはその日の午後だった。
魔法薬学の授業のためヒルダと教室移動をしている最中、突然外が眩い光に包まれたのだ。
「なっ! 何!?」
あまりにも眩しくて目を開けていられず、手で目を覆う。
「眩しい! 目が痛いですわ!」
ヒルダが悲痛な声を上げるので、私は咄嗟にあるものを魔法で生成する。
「くっ! 『遮光眼鏡生成!』」
遮光眼鏡つまりサングラスを二つ生成した私はサングラスをかけて、もう一つをヒルダに手渡す。
「ヒルダ。この眼鏡をかけて。目を開けることができるから」
この世界にも眼鏡はある。サングラスはないが……。
「何ですの、この眼鏡? 眩しくありませんわ!」
サングラスをかけたヒルダが驚いた声をあげる。
「サングラスというのよ。光を遮断することができる眼鏡なの」
「まあ、マリエルはそんな便利なものを持ち歩いているのですか?」
友人だから様付けと敬語は使わなくていいと今朝ヒルダにお願いしたので、様付けはやめてくれたが、敬語は直らない。まあ、徐々にため口になってくれればいいか。
「まあね。こんなこともあろうかと、カルクシュタイン王国から持ってきて良かったわ」
大嘘だ。ヒルダは先ほど私が魔法を使ったことを気づかなかったらしい。
咄嗟に国から持ってきたと嘘をついたが、カルクシュタイン王国にもサングラスは存在しない。
今日、帰ったらお父様に手紙を書いてサングラスを流行らせてもらおう。
「わたくし眼鏡なんて初めてかけましたわ。似合います?」
「ええ。とても似合っているわ」
美人は眼鏡をかけても美人だ。サングラスも例外ではない。
光は徐々に収まっていき、やがて元の視界に戻る。
「マリー、ヒルダ! 大丈夫?」
遅れてやってきたリーンが駆け寄ってくる。
「リーン。ええ、大丈夫よ」
「わたくしもです」
「うわっ! 二人とも何!? その黒い眼鏡っぽいものは何なの?」
サングラスをかけた私たちの姿に驚いたらしい。リーンが素っ頓狂な叫び声を上げる。
「ああ。驚かせてごめんなさい。これは光を遮る眼鏡なの」
サングラスを外して、ワンピースのポケットにしまう。
「光を遮る眼鏡?」
「すごいんですのよ。リーンもかけてみてくださいな」
ヒルダはサングラスをリーンに手渡す。
サングラスを渡されたリーンは恐る恐るサングラスをかける。
「あれ? 外が暗くなった」
「へえ!」と物珍しそうに回りの景色を見渡したリーンは満足したのかサングラスを外す。
「これすごいね。僕も欲しいな」
「皇宮の部屋に予備があるから帰ったら差し上げるわ」
後でもう一つサングラスを生成しておこう。いや。ベルンも欲しいと言うかもしれないから、二つ生成しておこう。
◇◇◇
野次馬というのはどこの世界にもいる。この世界も例外ではない。
そして、異変があった場所を見つけるのが早い。
その場所とは何と『聖ナールニカの泉』だった。
私も野次馬に混じって『聖ナールニカの泉』へと駆けつける。
なぜかリーンとヒルダも私の後をついてきた。異変が何なのか気になるようだ。
「何事だ?」
リーンが人垣を押し退けながら、問いかける。
私とヒルダはリーンの後についていく。
「リーンハルト殿下。それが……」
最初に駆けつけたであろう生徒がリーンの問いかけに歯切れ悪く答える。
「冷たい! どこよここ?」
甲高い声が響く。幼い少女のような声だ。
「あああああ! 服が濡れちゃったじゃない! 制服これしかないのに! もう最悪なんですけど!」
泉の中にいる少女らしき人物が立ち上がる。
長い黒髪は水に濡れているため、高い位置で結っていたであろうツインテールが垂れ下がっていた。
少女が制服と言っていた服は膝上丈の黒いワンピースだ。ワンピースの上にはフリルがたくさん使われている白いエプロンをつけている。
まるでメイド服のようだ。
泉の上にはヘッドドレスが浮いているので、まず間違いないだろう。
メイド服と言っても、こちらの世界のメイドが着るようなお仕着せではなく、コスプレのようなものだ。
頭を抱えている少女にリーンが近づく。
「ねえ……君は誰? 何で泉の中で泳いでいるの?」
そこは「何でここにいるの?」だと思う。泳いでいると決めつけているのが、いかにもリーンらしい。
「泳いでなんかいないし! って! えっ! リーンハルト!? 嘘! マジ!?」
少女の言葉は日本語だ。もしかしてこの子は……。
少女はじろじろとリーンを見ると、眉を寄せる。
「でも、何か幼く見えるんですけど。確か年齢は十五歳のはず……」
「ちょっと! 貴女! この方はこの国の第二皇子であられるリーンハルト殿下ですよ! 呼び捨てにするなど失礼ではありませんか!」
ヒルダがリーンと少女の間に割って入る。
「え? 貴女もしかしてヒルデガルド? 何かちんちくりんね。ゲームでは憎たらしいくらいにいい乳してたのに」
少女は自分の胸を見る。なるほど。ひんに……いや。微妙だ。
「なっ!?」
ヒルダは咄嗟に自分の胸を覆ってうずくまってしまう。
「まあ! 何て下品な方でしょう!?」
「ご自分は平たい顔をしているくせに!」
泉の周りにいた貴族の令嬢たちが口々に少女を罵る。
「誰の顔が平たいのよ! これでも目は大きいし、よく可愛いって言われるんだからね!」
日本人にしては確かに黒目のラインがはっきりしていて瞳は大きい。まあ、可愛い部類に入るだろう。
「ヒルダ、大丈夫?」
私はヒルダの肩に手を置く。
「……マリエル」
恥ずかしさからか顔が真っ赤になっている。目はうるうるしていて今にも涙が零れそうだ。
私は慰めるようにヒルダをよしよしと撫でる。
「マリエル? あああああ! もしかしてマリエル・ローゼンストーン!? ドリルヘアーじゃなかったから分からなかった! 何で『きみばら1』の悪役令嬢がこんな所にいるのよ!?」
きゃんきゃんと子犬のようにうるさい。いや。子犬の方が可愛いから、子犬に失礼か。
この辺りで一言物申さないと大事になるかな?
私が言葉を発そうとすると、ヒルダが拳を震わせてすっくと立ち上がる。そして毅然と少女に言い放つ。
「貴女いい加減にしなさい! この方はカルクシュタイン王国のローゼンストーン大公女殿下ですよ! 外交問題になったらどうするのですか!?」
ヒルダに一喝された少女はポカンと立ち尽くすが、しばらくの後、ぷっと吹き出す。
「外交問題って……。あたしこの国の人間じゃないし!」
「何がおかしいのですか? この国の人間ではないにせよ、どこかの国には属しているのでしょう?」
「日本人だけど」
今度はこちらの世界の人間がポカンとする。
「に……ほん? そんな国あったか?」
「さあ? この大陸にそんな国はないですわ」
「東の大陸の国ではないですか? あちらは未開拓の地もありますし……」
生徒たちがざわざわとする。
そうだよね。日本なんて国はこの世界にはないから知らないよね。
私はため息を吐いて、少女の前に立つ。
「貴女、お名前は?」
「心愛だけど」
心愛は口をへの字に曲げている。
「そう。ココアさん。少し言葉使いには気をつけなさい。ここは貴女の国とは違うのよ」
日本では貴族はいない。社会での上下関係はあるかもしれないが、この世界では日本の常識は通用しない。
やんわりと注意したつもりだった。
ところが――。
「あ~ん。リーンハルト様ぁ。助けてください。悪役令嬢二人が虐めるんですぅ!」
心愛はリーンハルトに泣きついていった。
悪役令嬢二人って何だ? せめて名前で呼べ!
リーンは困惑しているようだが、やがて落ち着いたのか、静かにため息を吐いた。
「マリーとヒルダは悪役ではないよ。それに僕には二人が君を虐めているようには見えなかったけれど」
「やだ! 君だなんて! あたしのことはここぴぃって呼んでくださ~い」
何がここぴぃだ。お前はピーナッツか!? そういえばココアピーナッツってお菓子があったよね?
「じゃあ、ここぴぃ嬢。そろそろ放してくれないかな? 制服が濡れてしまうから」
素直に彼女をここぴぃと呼ぶリーンだが、放つ言葉は辛辣だ。
「おかしいわね。確かこういえばリーンハルトは『大丈夫? 保健室に行こうか?』っていうはずなのに……」
心愛は首を傾げてブツブツと独りごとを言っている。
たぶん、ゲームの展開を口走っているのだろう。
「誰か彼女を保健室に連れていってあげてよ。行こう。マリー、ヒルダ。授業に遅れるよ」
そう言って心愛に背を向けると、リーンはヒルダと私に声をかける。
「えっ! ちょっ! リーンハルト様ぁ! 待ってよ!」
追いすがる心愛の前にリーンの護衛騎士が立ちはだかる。
リーンや貴族の子息令嬢には隠れて護衛騎士がついているのだ。
「これ以上はお控えください。ここぴぃ嬢」
おおう。護衛騎士までここぴぃと呼んでいる。彼女の名前はここぴぃで決定か?




